コンテナガレージ

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赤が染色、変色 1

 呼吸の荒い土井が手帳を開いた。彼が今回は担当らしい、上司である不破は目をこすり、乾燥した目元に手を当てる。「産業会館の撤収作業の終了時刻は午後十時二十分ごろ、隣接する管理棟の職員の立会いの下、ステージ設営担当の業者が内部の破損を一緒に見回って確認してます。死体はその後は出来上がったようですかね、殺害は屋外か室内かの判断はつきかねます。というのはぁ、三畳のカーペットの上に死体が置かれていことで、背中を伝う血液が吸収されてしまってました。血液はそれほど多量でもありません、これは鑑識の正式な回答です、よって、死体を持ち運んだ場合の滴下血痕は作られにくい状況であった、なんとも世間の風は冷たい、警察にとっては状況がマイナスの面ばかりに向いてますね。おっとこれは私の意見です。それとぉですね、死体発見者である市の職員は、ああ、この人は管理棟が職場でして、朝方の四時に産業会館を覗いたらしく、住民の苦情が寄せられたそうです。かなり深い時間までアイラさんのファンは産業会館を望む道路脇でたむろしていた、ちなみに呼び出された江藤智樹さんが車で到着したときにはファンの姿は消えてた、と証言してます。早朝ですから周辺の自宅を訪ねるものはばかられますので、開いていた酒倉と個人商店と米屋に昨夜の様子を聞いたところ、話し声は日をまたぐ深夜零時前後まで気になったが、眠りを妨げられて深夜に起きはしなかった、そうです。これから一般の住宅、産業会館により近い建物の証言がまだですから、なんともいえませんけれど、深夜零時前後から江藤智樹さんが出勤した午前四時ごろの間が犯行時刻。鑑識もほぼ同時刻が死亡推定時刻じゃないかと、あっと、まだ正式な見解ではありませんよ。お昼ごろには情報が届くかと思います」迫り来る、たぎる頬のふくらみがこちらを見つめる、土井はそれとなく意見を求めた。「……何かご質問があればなんなりと、いくらでも応えますので」

赤が染色、変色 1

 日曜の出発は遅れるのが常らしい、前日カワニが伝える週末の大まかなスケジュールは九州の地を踏んでから、まったくの役不足に徹する。警察の拘束を午前中に受けたのち、アイラ・クズミとスタイリストのアキはカワニを鹿児島に残して電車と新幹線にて現地を目指した。一ヶ月間借りる予定のバンはカワニが運転し会場へ運ぶ、と必然的に決まる。ツアーに帯同するスタッフは少数に抑えた事務所の方針である。

 昨日また死体が見つかった。会場の産業会館だそうだ。ホテルを出発する際、車に乗り込む寸前に佐賀県警刑事の不破と土井が顔を見せた、三件の連続刺殺事件の続報かと思ったアイラであるが、四人目の死体が見つかった報告が頼んではいないのに不要にもたらされた。

 しかしそれにしても、なんとも不可思議な状況報告だと、彼女は感じた。

 刑事とアイラが交わす会話、一連の流れは次のようなやり取りであった。

 ホテルの利用客にはアイラのファンが多数宿泊していた。出発予定の午前六時、フロントやロビー、車止めのロータリーの人はまばらだったが、不破たちはアイラにとって不都合を起こしかねない態度を窓越しにほのめかし、バンの後部座席に乗り込んだ、慣れた様子で椅子を倒していた。

 先週の事件を踏まえた警察の張り込みを掻い繰る犯行だったのか、アイラは後部座席後列、衣装に埋もれるアキの反対側の窓、運転席の後方、ホテルの入り口とは反対の道路側に背もたれを乗り越え、無理やり体を押し込めた。真ん中の席はうずたかく積まれる一公演分の衣装カバンがアキの存在を消し去る。

黄色は酸味、橙ときに甘味 7

 機材用の運搬車が発進、タイヤが地面を掴む、上空では低音をばら撒くヘリがバラパラ飛び去る。

「あのう、アイラさん、私の煙草も灰が……」

「……どうぞ」緩慢な動作で灰皿を開ける。

「事件をどう見ます?」彼はきいた。まだ、問いかけが続いていたらしい、彼の目的は、そうか、事件だ、思い出した。現実に立ち返った直後は、いつもこうして周囲の偏差に追われる。相手が一人で助かる。把握が楽であった、比較的処理が容易くて済む。

「さあ、なんともいえません。まあ、しいて言うなら……」

「言うなら?」不破の鸚鵡返し。先を急いでる、時間が迫っているようだ。

「やめましょう。憶測の域を出ない考えを発表するのは理に反する。いかがわしさを誘発しかねない。私は一応発信者ですから」

 不破は追い討ちをかけなかった、カワニがフロントガラスを通り過ぎて、引き返す、さらにもう一度通過した。今後も私に接触する機会を見据えた不破が引き下がったのは妥当な判断だろう。カワニの怒りは私への接触を閉ざす、アイラのツアー会場が死体の発見場所という共通点のみでの拘束と見解を求める権限は非常に弱い強制力だ。それゆえ、頻繁に何度も接触を行える可能性を、不破は残したいのだろう。

 彼が去って二本目の煙草を吸い始める。カワニが五分で出発する旨を伝えて運転席で一件電話をかけた、二分後にアキが乗り込んだ。彼女は煙草を吸わないので、すぐに消した。エンジンをカワニがかけて、エアコンと車内の空気清浄機が同時働いた。

 ――同時。

 アイラは窓を閉めた。会場を見つめる。見張りをかいくぐり犯行場所を会場に選択した意味とはなんだろうか。会場に居座った場合は……、無駄か、私は東京に帰るのだ、いずれは。

 カワニがギアを入れ替えた。出発、敷地内に機材車がまだ一台残っていた、最後の見回りと点検要員。

 敷地を出る。

 車道では観客がまだ数十人に塊でたむろしていた。

黄色は酸味、橙ときに甘味 7

「では、自殺ではなく他殺と考えてますね」

「早計です。三件とも犯行を見られていない。一件目の方も犯人と思わしき人物を見てはいましたが、犯行は既に行われていた、二件目は目撃者が走り去る白いバンを見たが、犯行の瞬間は目撃されていない。そして三件目のレンガ倉の人物もこちらもまた、犯行は目撃されていませんね?」

「はい。ライブ翌日の夕方です。翌日は観光名所としての営業が再開、夕方の閉館から見回りの数十分間に、……殺害された死体が突如として登場した。死亡推定時刻と血液量から発見現場で致命傷を負った、との鑑識の報告です」

「宮崎は割合仲が良くて、鹿児島は仲たがい」アイラは警察の対面を指摘した。

「お恥ずかしいですが、そういった慣わしなので」

「国民に意見を求めるまえに、もっと正すべきことがあるのですね」

「返す言葉も見つかりません、ごもっとも」

 長い灰を落す。筒の中の小さな闇。遮断。

 命を絶つ覚悟か……、アイラは立ち上る煙に眉をひそめて怯むことを忘れたかのように、見入った。たまにこうして時間が止まるのだ。昔からの癖。よく人は平然と物事を把握できるものだと感心した時期が懐かしい、未処理のまま整理を施す機能と知ってからは、かなり人への見方が変わったし、彼らが行う活動の意味の大半がそれで説明を賄えた。止まることへの多少の躊躇いが消えたのもそれからだった。