コンテナガレージ

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エピローグ

 笑みがこぼれた、めずらしく私が笑う。

 彼らにも伝わる、この場では彼らは疑いようもなく私である。

 見えている、生きているが、現物はたまに。しかも、初見の演奏は無自覚に私の本能を呼び覚ましてくれる、感じ取ってくれるだろうか、どれだけが、反応を示すのか。

 忘れてた、これは日本だけではないのか、世界に向けた配信だった。

 視野を広げる必要性に迫られるかもしれないな。

 体が自然とリズムを刻む。演奏ミスは気にしなくなった。

 笑えている、感じ取れている、価値はこのひととき、よって美しくしなやかで華やかに気難しく、恥じらい多く、いとたくましく、いとおかし。

 曲の終わり、最後に弾いた音の余韻をドラムが引き取って、ピリオド。

 これだけのために、海を渡ってきた。無駄?そう無駄にこそ価値がある。

 私は手を取り合った、私から、変わったのだ、言葉をなくしたからね、私でいられるんだ。

 表紙の写真を取る。カメラマンがブース内へ、カンペの横でしゃがむ。

 私を真ん中に、彼らが取り囲む、カメラマンがカウント、

 スリー、ツー、ワン。

 切り取った一場面が焼き付いた。

 

エピローグ

 目配せ。もっとも右端の私、その左斜め後方に長髪のギタリスト、ならびにもう一人ギタリストは短髪を固める、ベースのクールガイはサングラスで武装、軽く顎を引き、どんと構えるドラムスは大き目のメガネフレームを直して、スティックをくるくる回す。

 カウント。ワーン、ツー、ワンー、ツー、スリー、フォ。 

 ストローク、力強く四割ほどを目指した音の入り、私の音に応じて、追従が広がる。動き、沈む、足の踏み出し、声の音色が手がかかり。

 譜面は読み込んでいても、演奏は初の試みだ。歌詞とコードのみはカンペを作ってもらい、不確かな部分のみを抽出し、意識は演奏に注ぐ。

 楽器同士の会話、海中で相手の意思を確認しているみたいだ。おぼろげで、不確か、それでも形は明確で、理解に及ぶ。

 規則と知識は経験が保管し、取り出して演奏。技術は走破に取り込まれる。

 流れる。いつまでも弾いていたい気分だ。

 内部を開いた真実を次から次へと、彼らの柔軟な意思を渡り歩いては、私に還り、もう私でも彼らでもない、別の新しい、この場に相応しい人物が作られていく。

 はじけそうになって、相手に譲り、全体が陰に潜み、場を持ち上げて、一人が突出すると、続けてもう一人が対岸へ渡って、けれど、その場には一人が留まって、必ず歓迎、待ち構える。

 留まってはダメだ、絶えず形を変える、循環、似ているようでも姿が異なっていなくては。

 過去を詠む歌詞、しかし顔は前を向く。

 繫がりたくとも願いの成就には至らない。それでいいような気がする。

余震が続く7日の朝

6日胆振地方で起きた地震の影響により、今まで電気が使えませんでした。

ようやく、電力が復旧し、方々へ連絡。この記事を書いています。

 昨日と今日は、ラジオの情報に頼っていました。スマホやパソコンは使えなかったので、押し入れにしまっていたラジオを引っ張り出し、情報を得ていました。

SNSでは、不確かな情報も流れていたようです。私のところにも人づてに、断水の情報が入りました。しかしラジオは、私の住む地域で段階的に断水が行われる、との情報を伝えてはいませんでした。私に情報を伝えた近所の方は、断水が行われている地域で、そのような情報を得たようです。

 食料は備蓄していたため、数日分は困らずに済みそうです。これからの不安は、お店の営業はいつから始まるのか。店舗が再開する時期によっては、食べ物の量を調整しないといけません。

 昨日は近所を少しだけ、歩いてみました。国道を挟んだ先にあるスーパーは、人数制限をかけて、お客さんを入れていました。近所の方の話では、3時間ほどで中に入れたようです。コンビニでは、9時ごろの段階で、すでに食料は売り切れていたとのこと。水、おにぎり、パン、懐中電灯、電池、モバイルバッテリーなどは、地震発生から数時間で売れてしまったそうです。

 現在でも余震は、続いています。電力の供給もいつ止まってしまうかわかりません。
通信障害も改善されつつありますが、安定しているとはいえない状態です。

被害の大きかった地域に比べると、自分はまだよい方。

ガスと水道は、使えていましたから。雨風を凌げて、眠れる場所があるだけも十分といえます。

それでも、余震は続いているため、揺れが起こるたびに目を覚ましていました。テレビやラジオの発表では、地震への警戒は一週間ほど続けるようにとのこと。

 

停電、断水、地割れ、家屋の倒壊など北海道全域が復旧するにはまだまだ。

テレビやラジオは、行方不明者の捜索を続けていると報じていました。

一刻も早い救出を、心から願っています。

 

最後に、ラジオで情報を伝えてくれた方へ。

ライトの明かりに頼った不安な夜は、ラジオのおかげで乗り切れたのだと思います。

正しい情報と人の声に、救われました。

ありがとう。

 

 

エピローグ

 ブースの外で腕を組み、見守る人物たちの総数は圧倒的に作業に忙しい者たちを上回る。

「ニホンゴ、ワカラナイネ。アナタ、ハ、ウタエ」ギターの男に肩を叩かれる。

「オーケー」十分だ、ネイティブの日本人だって会話の文法はめちゃくちゃなのだ、伝わる。何より、こちらは汲み取ろうという意識がある。思いやりとは、言葉の通じない人物たちの間で生まれた言語かもしれない。

 ブース内が足元の映像モニターに映る。全員の右半身だ。正面の映像は避けるよう頼んでいた。彼らには事前に了承を得た取り組み。リハーサルを盗み見るのに、真正面からしかもカメラを意識して見せ付けることが、果たして面白いだろうか、勝手に取られていた、流れてしまっていた、視界に入らなければ意識は欠ける、私とのセッションが異質であれば、なおさら存在は薄れてしまうだろう、私が提案をしたのだった。一週間前のことである、こちらは深夜、アメリカは昼ごろ、互いの背後から漏れる窓明かりが記憶に新しい。

 曲は私の専攻、ジャンルも一任された、とにかく彼らは私と演奏してみたいのだそうだ、世界のどこかで私の映像が見られる、失われる権利とたまにこうした未体験がひょっこりと相手から姿を見せる。乗り気ではなかった、彼女だが、試作の現場としては有意義に思えた。