コンテナガレージ

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あちこち、テンテン 4-2

 そうやって取り込まれないようにいくつの私を抹殺してきたんだろうか、仕儀は煙を吸い込み、差し入れを無理やり二口で押し込んで店に戻る。差し入れを携えた常連客は髪を切りそろえるのとセットだけであったので一時間と少しで応対が終わった。これで心おきなく休憩に入れると、肩をまわした刹那に、通りを不可思議な格好で人が歩いていく。
 おかしいのはそれだけではなく、傘には蛍光塗料のような発色の赤が斑点のように塗られていた。ワンピースというよりか、カッパ、ポンチョのように真緑の姿着で、色黒の素足。動きが普通ではない。顔は笑っているようで悲壮感が漂っていた。店の前を通り過ぎて姿が見えなくなる。仕儀は駆け足、入り口まで様子を見に来ると、その人物は戻ってきた。笑っている。手には、プラスチックの水鉄砲を所持、ドアガラスを通して銃口が向けられた。しかし、すぐに標的から外される。
 ガラスが染まった。短い悲鳴があがる。落ち着いている私はその悲鳴が幼さに聞こえる、店の中で上がった悲鳴だ
 真緑の人物は真顔だ、紛れもない少女。一心不乱に引き金を引く。ガラスは赤で埋まる。店員の鋏も雑誌に落としたお客の視線も、ブローの風も、有線放送もなにもかも動きが一時的に、外の人物の手技に見惚れる。楽しそうに見えた。純粋で過去の忘れてきた私そのもので、涼やかな目元、赤で埋めたいだけの行動様式、パターンは砂場で完成の見えないできるだけ高い山を作り上げることそのものだ。年を重ねて、罪を承知で、堂々昼間にしかも目に付く場所で行うのは、もう覚悟を超越しているんだろう。
 いけないこと、非常識、無秩序、非現実、狂乱だとしても、私には私を含めたこの店の人間の誰よりも緑の彼女が正しいと思えてしまう。ドアを開けた。触れたかったその表面と暖かさに。視線が交差。にっこり、そして微笑。銃が向けられる。しかし、空砲。かすかな塗料が私の手前で落下、地面が点々と赤。
「軽快な赤は軽薄で経験で蛍光で計算づくの傾向。今からでも遅くないわ、求めなさい。あなたを」男の店員が仕儀の前に躍り出るが、緑の彼女はきびすを返して歩いていってしまう。

あちこち、テンテン 4-1

 飛び込みのお客と予約客の対応に追われ、その日は朝から休憩する暇もなく常に立ちっぱなし、三十代後半あたりから立ち仕事のきつさが身にしみて体を蝕むさまをまざまざと見せつけられている仕儀真佐子は、正午をとっくに過ぎた時刻に、十分の休憩に入った。裏の休憩室は簡易台所と一台のコンロ、それに換気扇にたたまれない折りたたみの丸テーブルに二脚の椅子で詰まる二畳ほどの広さである。タバコを吸わない若手が煙の匂いを嫌っているが、ここは私の店なのだからと、一応の説得や圧力を込めて言い含め、何とか、換気扇の下での喫煙を許されていたのだった。小窓は換気用のためのもので、空けるとビルの裏側が覗きそこからは、室外機のオンパレード。窓の用を成さないために仕方なく運転音のひどい換気扇を回して仕儀真佐子はつかの間の休息を味わっていた。

 お客の差し入れが届けられた。律儀な人である、顔を出してお礼を言う。良いのよ、と顔では言っているが、感謝の言葉はいつもまんざらでもなく受け取る人であるから、やはり褒めて欲しいのだろう。悪いとは思わない。そういう人であると認識すれば、その先を穿った見方で考えることもまた無意味。知らないほうがいい、身のためだ、ということはこの世界で生きていくための資本である。過剰な詮索は自分の世間の価値観とを最終的に比べたがる。何も考えるなとはいえないが、考えすぎるなとは言える。黙って話を受け流すこと、つまり相手の思想に触れても取り込まれたり、離れたりしないことが大切なのだ。笑顔で受け取れば、甘いものはおいしい。しかし、報酬によって得られる体験に想いをはせたり、あるいは自身をよりよく見せるためと思ってしまえば、固着した角度でしか相手を見られなくなってしまい、その結果、手技が疎か粗雑になり、摩擦の少ないほかのお客が被害をこうむる。

あちこち、テンテン 3-4

 店主が国見蘭の代わりに答えた。「許すのは誰?同年代とお客さんの世代とではまた意見は食い違うと思う。見え方、捉え方に平均は存在しない。だから僕は評価を下さない。あくまでも表には出さずにね。言葉に出さず思ってもいいだろう、しかしそれを共有するために店での安易な評価の裁定は控えてもらいたい」

 二人の店員はきっちりと厳しい表情でうなずいた。その時ホールから呼び声、オーダーである。国見蘭が厨房を離れた。

「あのう、店長?」持ち場に戻る小川が店主の後ろを通過し、二歩引き返す。「予約のお客さん、夕方のこと話していましたよ」

「夕方?」完成した料理をデシャップに、そして呼び鈴を鳴らす。小川のほうは一切見ない。伝票を確認、万遍なくテーブルに料理がいきわたるよう提供の順番を構成する。「館山さん、ピザはあとどれぐらい?」

「もう一、二分であがります」

「了解」店主は何を考えていたのかを思い出す。「えっと、何の話だっけ?」

「裏通りの事件ですよ。実はですね……」

 小川安佐は料理の合間を見つけては、食材を取りに来るときを狙って、営業時間終了まで店主に聞いた事件の内容を語った。彼女は国見蘭に聞いた話を誰かに話したくて、このような行動に出たと推測する。

あちこち、テンテン 3-3

「店長が甘いから安佐がいつまでの手順を覚えようとしないんですよ」

「今日はテンパっただけで、予約のお客さんだって覚えてましたよ。四名様ですよね、蘭さんにも言われましたもん。それにジャガイモだって皮をむいて、茹でてる空いた時間、予約の下ごしらえに取り掛かろうって思ってたんです」

「ホールまで聞こえてますよ、お客さん入れますので、話すなら静かにしてください。まったく」国見蘭の努めて冷静な言い方で口論は収束し、厨房は調理される食材の音声が前面に押し出された。

 午後の客入りは大体ゆったりとした出足、皆はきっちり昼食を食べている、夕食には早すぎる時刻だ。午後五時から六時にかけてちらほらお客の姿が目に付く。仕事終わりだろうか、二人や三人連れが入店する。予約客は七時前に四名揃って席に着いた。遅れてくるお客はいないらしい、どこかで待ち合わせをあらかじめしていたのかもしれない。コース料理の予約であった。前菜を提供。すべて女性である。カウンターから僕のほうを何度か見ている。背を向けて座る人物もまた、あからさまに上半身をねじる。体の稼動域の限界でも知りたいのだろうか。食事がメインの目的ではないらしい。彼女たちの会話はカウンターまで時折、耳に届く。人は雑踏で相手の声を聞き分ける能力を持つというが、聞きたくはない情報までも聞いてしまえる耳は僕にはあまりというか、ほとんど必要性を見出せない。近づいて、顔が触れるぐらいで話せばいいことである。相手が嫌がるだろうか、嫌ならば離れていく。好きなら状態が保たれる。簡単な指標ではないか、作業の手を休めることなく思い浮かんだ考えだった。

 約二時間。予約客の滞在時間である。帰り際も逐一厨房を覗く仕草、トイレに立つ時もこちらを目が合うまで観察していたように思う。肩の荷が下りて、自然とため息が漏れた。

「やっとお帰りになりました。お客さんだから、あまり陰口は言いたくはないんですが……」片付けた皿を水の張ったシンクに流し入れた国見が愚痴をこぼしそうだったので、店主はさえぎる。

「言わないで。お客はお客だから。それ以上でも以下でもない」

「……すいません。お客さんの、その行動があまり上品ではなかったので」小さくなった国見が弁明する。店主は横目で付け加える。

「ほかのお客さんも厨房の僕でも気がついてる。けれど、声が大きいとは話の内容が低俗だとかは、彼女たちの領域内のことだからね、安易に踏み入ることはできないし、ここには場所を料理を食べることで提供されている。少なくとも、公共の場所ではない。彼女たちの自宅でもないけれど、迷惑になるほどの大声が聞こえたとは、いえないだろう?」

「いやああ、あの人たちはいい大人でしょうに、あんな大声でもっとわきまえて欲しいですよね。妙齢の女性なら」小川が冷蔵庫を開けて言う。手にはレタス。

「子供は騒いでいいわけ?君は大人それとも子供?」店主は首を傾けて聞いた。スライスしたトマトにソースをかかる。

「うーん。大人は大人ですけど、私たちが騒いだって許されることもあの人たちだったら、変な目で見られますよ、ねえ、蘭さん?」国見蘭は答えを決めかねてる。店主の指摘に反対して良いのか、表情に困惑がにじみ出ている。