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水中では動きが鈍る 2-7

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「あいつ何考えてんだよ。これから事件を起こすつもりじゃなかったのかよ」相田に悲愴な声が含まれている。
「知らなですよ、でも逃げるってことは犯人だって言っているようなもんですからね。何か、証拠でも隠しもっているんですううううよ」前のシートに体の前面が押し付けられる。トラクションが通常走行時とは反対に働いているせいだ。
 迫る車、逃げる車。切れそうで甲高いエンジン音が重なりあって住宅地に鳴り響く。
「もう、後ろがないですよ」車はとうとう先ほど曲がった角まで到達しそうである。道幅は狭く二台の車両が行き交う幅はない。左手は住宅の塀、右手は段差になって花や植物が植えられた畑。
 熊田はテールを流し、角に沿ってお尻から先の見えない角を曲がった。この時に角から車が入ってくれば逃げようがなく、事故となる。ただ、曲がり角でそれも見通しの悪い場所柄、侵入する車両はスピードを落としているとすれば、大惨事までの事故にはならないだろうと腹をくくる。
 案の定、衝突を免れて車は曲がる。
 すると、警官の車両が出てこない。一時の静寂。遠くでサイレンの音。
 そろりと車の鼻面を角に出してみる。
 方向転換をしていた車が正面に向かってやってくる。しかし、アクセルを吹かす音だけでタイヤは空転。
 どうやら後輪の両方が畑の段差に落ちて這い上がれないでいるのだ。
 ただ迂闊には近づけない。ぬかるんだ地面をタイヤが捉えたら急激な飛び出しで突っ込んでくるだろう。こうなれば、車で道を塞ぐしかない。
 その時、白バイが熊田の車両の間を縫って二台登場すると素早く降り、段差に引っかかる運転席のドアを引き開ける。幸いドアにロックは掛けられていなかったようだ。タイヤが焦げるきな臭い。車から引き出される警官。白バイのもう一人が手際よく、体を拘束。腕を捩じ上げて畑に警官を押し付けて動きを封じた。
「なんだよ。痛てぇよ離せって。俺は警官だ。ほら警察手帳も持ってる。だから何して、おい待てって」熊田たちは登場した白バイの華麗な逮捕劇に見とれてしまった。なぜ彼らが、あの警官を追っていたのだろうか、と熊田の脳裏には疑問が生じた。

水中では動きが鈍る 2-6

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「……上にも下に横にも斜めにも人がいるのが嫌なんだ。わがままといえばそれまでだが、無駄な挨拶や気遣い、配慮がどうも体に合わない」
「社会ってのは、たいていそういうものですよ」相田がきっぱりと切って捨てた。そこには同意も含まれていたかもしれない。
「そうかもな」
「なんか、空気が重くなりましたね」
二酸化炭素が増えたからでしょうね、窓を開けたら軽くなります」種田は相田とは異質の吐き捨て。
 追いかける車両はスタートと同時に白煙を上げて左に曲がった。リアクションをとって熊田も機敏に反応する。二車線の右側を走行する別班車両は追従できずに、まっすぐ交差点を通過していった。
 スイッチを切っていた無線を種田が入れる。車は急なハンドル操作で後部座席の二人は左右に一回ずつ体を振られた。
 車は高台の高架下にそって進む。グングン、スピードが増す。追いすがる熊田の車両。
 距離は20メートル前後。雑音に混じり、車両を見失ったとの報告。
 右へ曲がる。熊田もそれに習う。住宅街を疾走。十字路の一時停止を無視して直進を続ける。熊田も遅れないようにしながら、角では速度を緩めて最悪の事態に備えた急ハンドルの操作に備える。
 タイヤの摩擦音。車は右に曲がり、線路沿いを走行。
 一拍遅れての追走。熊田のひたいに汗がにじむ。
 種田はしっかりと天井の取っ手を力いっぱい掴んでいる。鈴木、相田の両名も息を止めてドアの持ち手を掴んで離さない。
「この先の道はどうなっている?」種田が携帯で地図を表示させた。
「行き止まりです」
「よし」熊田がにやりと笑を浮かべた瞬間、前方の車両が急ブレーキで停車するとバックで近づいてくる。
「あああああーまずいですよ、ぶつかります」鈴木が慌てふためく。
「見えない、どけ、間を空けろ」体をねじり、フルブレーキからのバック。車は5メートルにまで迫る。

水中では動きが鈍る 2-5

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「うるさいぞ、大きな声を出すな。上からの指示なんだ従うしかないだろう」相田の説得が始まる。彼がこの中では最も中立的で常識に富み、一見していい加減そうな風体は常識人を隠すための装い。誰もが皆何かしら装っている。
「いつもの言い方に比べると語気が強かったように思います。やはり犯人は彼と見て間違いはないですね。それだけの確信が言動の裏返しですよ。管理監は確実なものしか信じませんから」捜査は基本、証拠を重要視する。明らかになる情報はあくまで証拠を後押しするスパイスであって、材料は証拠なのだ。確実な証拠から外堀を埋め犯人を追い詰め、捜索の範囲を絞り込み一気に片を付けるのが彼のやり方。だから熊田のように推理で川から頭を出した大岩を軽快にぽんぽんと渡るような捜査への信頼性はゼロに等しい。もしかすると、熊田に辛く当たるのは管理監の理想が熊田の捜査方法なのかもしれないと、種田は考えた。やっかみとは得てして自分を投影するものだ。
 それでも熊田は口を開かない。うっすらと赤く染まりだした空は昼との境目を強調する。
 交差点で停車。対象車両が先頭。交差点は変則的な位置取りである。国道と進行方向の右折路は通常の道路であるが、左手は、曲がるとすぐに左右に道が分かれて突き当る。しかも坂道で左は下り坂、右手はわずかに上り、すぐに急な下りになる。
 熊田の車両に横付けして後ろに張り付いていた別班車両が止まると、サイドウィンドが降ろされた。
「何やっているんだ!お前たちは捜査から外されているんだ。あくまでも監視、遠くから見守っているのが条件だろう。約束は守れよ」いかつい顔の刑事が前方に気を配りつつ抑えた口調で訴えてきた。熊田はのんびりと窓を下げる。
「だからこうして一台空けて追いかけてる。あっ、信号変わりますよ」人差し指を差し出して熊田の車は走りだした。遅れた窓から微かに怒鳴り声が聞こえる。
「感じ悪いですね。だいたい僕らが捜査の主導を任されていたんです。あの人達にとやかく言われること自体がおかしい」鈴木が前席の空間に顔を差し出して意見を主張した。この男にとっては珍しい行動である。たいていは、のほほんと与えられた業務をこなすタイプの人種である。与えられた仕事はこなすが自らで他人を押しのけてまで領土や取り分を主張はしない。
「別班も好んでやっているわけじゃない。誰もが誰かの命令に従っている。背けば、後の処遇や向上するはずの地位が幻と消えると信じているからこそ、ああやって素直に責務を果たしているのさ」
「熊田さんとは真逆ですね」種田がぼそっと呟く。

水中では動きが鈍る 2-4

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「熊田さんはよく犯罪者の心理が読めますね。僕なんかはてんでダメですよ」鈴木はフルフルと首を細かくふった。その言い方や行動から擁護を望む心のうちが滲む。
「お前はたんに頭のネジが何本か抜けているだけだろうが」
「いまどきネジが抜けているなんて言われても、若者は理解できませんよ。子供の遊び道具もネジ一本で不具合が解消するようなアナログな商品なんて、もうありませんから」
「お前に通じるのならそれでいいんだよ」
 種田の携帯が震えだした。ディスプレイには見覚えのないナンバー。
「はい、種田です」
「お前たち、勝手に動くな!あいつにバレたらどうするつもりだ。さっさと尾行を止めろ!」一旦携帯を耳から離しボタンを押してまた耳に当てた。
「失礼ですがどちら様でしょうか?」種田が馬鹿丁寧な物言いで返答した。
「お前っ、私だ。管理監だ。まったくっ。いいから早く、車を止めろ。尾行は別班に任せるんだ」
「私達はただ事件の終わりを見届けたいだけです。こちらで犯人を捕まえようなんて大それた考えなどはもっていませんので、どうか安心してください」
「聞こえなかったのか?これは命令だ。即刻捜査から身を引くんだ。聞こえてんだろう、熊田。また単独捜査か、いいか、お前が要る組織はなあ、警察だ。社会なんだよ、お前の独断で事件解決したからって二度も三度もうまく事が運ぶと思ったら大間違いだ。お前のわがままでな、指揮系統が乱れるんだよ。いいか。よーく聞け。即刻、車を止めろ。いいな、お前が絡むと大成功か大惨事にしかならん。わかったなぁ!」ブツリと電話が切れた。なんて事のない会話なら通話の切断音に感情を動かされないのに、罵声のあとにはどうしてもその音に苛立ちを込めて聞いてしまう。途中から携帯を耳から遠ざけて話を聞いていた種田でも耳にはまだ音の名残り。
「なんです、あれ!僕達まだ何もしていないじゃないですか」鈴木の怒りに反応せず、熊田は黙んまりを決め込む。