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水中では動きが鈍る 3-6

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「それは国道を走ってみればわかります。Z町から向かうとトンネルの反対側に出る道の方が近道ですが、ちょうとカーブの頂点でトンネルへの道と繋がっているのであそこで減速すると後続車に追突される危険があるために遠回りをしたのでしょう」他人の喫煙にタバコを吸わせる力が働くのか、熊田は吸ったばかりのタバコが欲しくなってきた。合流地点は対向車を隙間を縫って交通量の多い国道から脇道に逸れるためには見通しが悪すぎる。
「……あとから来た警官の移動手段が不鮮明だから、なんだ?」タバコを叩いて灰を落として管理監は言う。
「なんだと言われましても……」
「空白の時間が存在していたとしてもその警官がやってくる前に、すでに人は死んでいた」そう、死体だったのだ。やってくる前は交通事故の処理ともっと前は二人一組でもう一人の警官と行動を共にしていた。抜け出したりはできないはずだ。
「参りましたね。熊田の言い分ではもう一人の警官も白だと言っている、うーん」眼鏡の男がわざとらしく困ったように管理監に訴える。最終的な決断は管理監にあり、両脇の二人はサポート役である。もしもの時の臨時の指揮官を務めるだけのお飾りである。
 管理監は石像のように固まり、彼だけ時が止まった。空調が待ったましたとばかりに雑音から主音声へと切り替える。煙草の灰が落ちそうだ。左指に挟まれたタバコの灰がだんだんと伸びていく。
「落ちますよ」張った声で熊田が教えた。はたと、目が見開き急ぐ様子は見せずに灰皿でタバコをとんとんと叩いた。
「もういい、戻れ」
「はっ」苦し紛れの見栄だった。弱みを見せられない官職はやはり熊田の正確には合致しない。自分ならば平然とお手上げのポーズを部下にも見せておくべきだと考えて、会議室から逃れた。廊下でもそのことを続いて考察する。間違いを犯さない上司のあり方がそもそもの誤りであって、威厳はそこに付随しない。十割を目指してたった一度の誤りを誤魔化すのと正確に9割だと言い切れる上司のどちらが、部下たちの力ではどうにもならない人事という人材の配置転換に適しているだろうか。もちろん、上の者が頻繁に誤りを犯していては部下からの信用は皆無となる。
 捜査の指揮権が別班に移ったために熊田たちはデスクで事件の終幕を待つこととなった。熊田が冴えない表情で戻ってくると、そのまま無言で椅子に座った。
 他の3人は、気を使ってか話しかけようとはしない。けれど、事件の経過は知っておきたい。相田が鈴木に目配せで聞き出せといっている。嫌々と、首を振る鈴木。しかし、相田の形相が如実に変化し、だんだんと赤みを帯びてくるではない。鈴木は仕方なく従った。
「あの、熊田さん?」隣の席の熊田に顔半分だけを向けてそれとなく尋ねる。熊田は考え事をしているようで、うんともすんとも言わない。「……熊田さん?」
「……なにか言ったか?」一瞥とまではいかないが一瞬の目配せは恫喝や威嚇に類するものであった。こんな時の熊田には触らないほうが身のためなのだ。ここで機嫌をこじらせるその日は終始ムスッとしたままである。
「いえ、そのね、管理監と事件についてどんなことを話したのかなあと思いまして……」振り絞って詳細を告げると鈴木はもう熊田の顔を見れないでいた。相田の表情も緊張に満ちている。

水中では動きが鈍る 3-5

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「……ここ禁煙ですよ」澄まして熊田が指摘する。
「お前、怒られるのがわからないのか?俺のことはどうでもいい、証拠を隠してた事実はそう簡単に許されはしない。わかっているのか?」
「はい」明らかに捜査の進捗状態よりも自身の進退に比重が傾いている。管理監は片手で頭を抱えて熊田に再度尋ねる。今度は弱々しい口調であった。
「はぁ、……それで、現場に遅れてきた警官に目星をつけたのはなにか特別な意味でもあったのか?」警官の不祥事で事件の終幕にはならなかったが、警官たちの不審な行動に振り回され事件は振り出しに戻っていた。聴取された警官からは殺人事件への関与を仄めかす告白とは程遠いごく普通の成人男性の日常が明るみに出るだけであった。
「交通事故の対応後、第三の現場に向かう警官の交通手段がはっきりとしません」
「移動手段?そんなもん、車がないなら自転車か、歩くしかないだろう」
「移動に使用したとみられるクルマや自転車は現場には止められていませんでしたし、もし歩いてきたとしても汗ひとつ掻いていないのは不自然です」熊田、種田そして鈴木が警官の息を切らせた姿や汗拭く仕草を視界に捉えてはいなかったのだ。熊田と種田においては平均以上の記憶力と種田には脳内で過去の現場を再現する能力が備わっている。二人の中の警官はいずれも不審な動きを見せないでいた。
「現場に入る前にハンカチか何かで拭いたんだろう」管理監の左に座るメガネの男が言う。細面、撫で付けた長めの髪。
「歩いてきた選択肢を排除したのはそれだけの理由か?」管理監が深く煙を吸い、吐き出す。
「違います」本当はその通りであったが、ここでただの勘だとはいえない。管理監は証拠や辻褄の合ったストーリーを好むからだ。一時の間でぱっと先が開ける。「……歩いてきたとしたらトンネルの向こう側から来るはずなんです」途切れていた論理をギリギリで繋いだ。「トンネルへの経路は二通りあります。一つは佐田あさ美が通った経路です。こちらから入ると途中で二股にわかれた道を右手に進み国道の下トンネルに行き着き更に進むと坂を登って国道に合流するのです。交通事故現場にもたらされた情報からは第三の現場であるトンネルのどちら側寄りに遺体が遺棄されていたのは伝えられていないのです。つまり、徒歩ならばトンネルの反対側から現れたはずなんです」
「しかし、調書にはパトカーで急行したもう一人の警官は間違うことなく入り口にたどり着いていてる、と書かれている」右隣の男性がきいてきた。声量は小さい。彼が言いたいのは、最初に駆けつけた警官がなぜ遺体に近い側のトンネルを間違わなかったのかである。

水中では動きが鈍る 3-4

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 上層部の面々は長机に揃い、入室の熊田を一瞥、無言だ。後方から前列付近に到達すると熊田が言う。
「お呼びでしょうか?」
「お前、録画した映像を提出しなかった正当な理由があるのなら言ってみろ」片肘をついて上目遣い、白眼が強調された瞳で中央に座る管理監は低い声できいた。両隣の人間は管理監の機嫌を悪化させないようにじっと身を潜めている。
「オイルをまいた警官は犯人ではありません」
「だったら、未だに警官の消息がつかめないのはなぜだ?犯人だからじゃないのか?」
「男なんてのは行き先を告げて旅行には行かないでしょう。まあ、すぐに戻ってきますよ」
「そんな悠長なことを言ってる余裕はないんだよ!」机が勢い良く叩かれる。「いいか、次の事件が起こりそれがもしも警官でしかもだ、犯人に見当がついていたと知れたら明らかな捜査の不出来を指摘されるんだ!お前が隠していた証拠は俺が知らなくても証拠として存在していた瞬間から俺の管理下に属するんだぞ。手をこまねいて何も手を打たなかったと言われても仕方ないんだ!」つばが飛び、顔が紅潮する。管理監は大声で会議室を瞬く間に舞台上にしてしまった。他の演者の声が小さいこと。熊田は笑いをこらえてなんとか返答する。
「ですから、彼は犯人じゃないですよ。シロです」
「遺体に付着していたオイルと警官が捨てたオイルとが一致した報告書には書いてある。お前だって確認しただろうが?」
「ええ。しかし、あいつはただの模倣犯ですよ。便乗してやっただけですから、そんなに害はないです。休暇が終わればきちんと戻ってくるでしょう」
「じゃあなにか?殺しはもう一人の方だって言うのか?」
「そちらも、おそらく違うでしょう」
「違う?何が違う?身の潔白を訴えるのなら追走されても派手に逃げはしない、素直に事情を説明すれば数分の遅れで自宅には辿りつけたはずたからな。第一、番組の録画ぐらいで交通違反を犯すなんて考えられん」管理監は禁煙の会議室で当然のようにタバコを吸い始めてしまった。指に挟んだタバコで熊田を指す。「あいつが犯人だ。それしかない」

水中では動きが鈍る 3-3

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 血液が凶器に付着していれば殺害に使用されたと断定されるが、警官の部屋から見つかっただけであって当日の警官のアリバイはまだ正確には照合されていないのが現状である。つまり、何者かがもしも凶器を警官の部屋に忍ばせておくことができれば疑いのかかっていた彼が犯人と確定の烙印を押される。
 時を同じく、エンジンオイルを巻いた可能性のあるもう一人の警官にも捜査の手が伸びていた。彼は今日、非番である。休みを利用して仕事終わりの昨夜から家を空けていたことは張り込みの捜査員から上層部は報告を受けていたようである。熊田が撮った映像が神から上層部に持ち込まれ警官の自宅捜索せよとの命が下っていたが、夕方の今になっても熊田たちの耳及びその他別班の捜査員たち、上層部にすら芳しい報告はもたらされていなかった。
「熊田さん、上が呼んでいます。会議室です」鈴木が神妙な表情で熊田を呼びきた。おそらくは、重大な証拠映像の提出遅滞が呼び出しの内容だろう。タバコを灰皿に押し付けて鈴木とともに喫煙室を出た。数人から好奇の眼差し。その時の顔を映像で収めそれぞれに見せれあげたいぐらいに引きつった顔であった。見ていることに重きをおいて見られているの忘れているからだ。
「例の警官は連続殺人の犯人なんでしょうか?どうも僕には納得できなくて」数歩前を行く鈴木が独り言のように話しかけてくる。熊田は床に視線を落として歩みを進めている。
「あいつが犯人ではないと思う明確は理由でもあるのか?」
「いやあ、明確と聞かれると自信はありませんけど聞いた話によると聴取では、ネット番組の録画に間に合わせるために急いだって、そんな奴が連続して人を殺しますかね?」首をひねる鈴木に対して興味なさげに熊田が聞く。
「何が言いたい?」
「鬱積していた自分を解放するために殺人を行ったのなら、楽しみである番組のことなんて忘れているはずですよ。どうみたって殺人のほうが圧倒的な非日常ですからね」振り返り、廊下、ドアの前で鈴木はさらりと己の考えを述べた。
 会議室のドアを鈴木が押し開ける。鈴木は中に入らないらしい、連れてくるようにとの命令だけだったのだろう。だったら、それを鈴木に伝えた者が呼びに来ればと熊田は内心で思う。