コンテナガレージ

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手紙とは想いを伝えるディバイスである5-2

 食堂で刑事を見かけた、喫煙室で面倒臭さそうにタバコを吸っている。そういえば、刑事に話した内容は少しだけ事実と違ったところがあったのだ。一度、廊下正面の社長室のドアをノックしたのだ。セキュリティは万全だと思っていたため、ドアレバーに手はかけなかったが、もしあそこでドアを引きあけていたら、僕が死体を見つけたのかもしれない。それにだ。武本という人が、僕よりも先に会議室にやってきたというが、彼は一度部屋を出ている。トイレに行くと告げて席を立った。トイレはエレベーターの真向かいに設置されてる。だから、一度廊下に出る必要があるのだ。どのぐらいの時間だったかは覚えていない。短時間で済むほうの生理現象に思える、長いと私は思わなかった時間だ。そして、戻った武本と時間になっても出てこない社長に会議の時間を知らせるためにドアをノックし、声をかけた。返答はなかった。声をかけたのは武本である、僕はドアレバーに触っていない。試しに手をかけたレバーの感触に反応して武本は僕と目線を合わせた、鍵が開いている、彼は驚きを共有したかったのだろう。そこでドアを開けると同時に廊下側のドアが開いて、顔を見せた社ヤエが入ってきた。社はどのような言葉を発したのか、思い出すに彼女は、「嘘っ」、そう言っていたのではないのか。しかし、おぼろげな記憶だ。彼女の短い発声より衝撃的な死体を見つけたのだから、記憶がさらわれても不思議ではないのかも。

 安藤は食事を食べ進めては、租借の合間に刑事の姿を確認していたが、チャーハンを半分平らげたところで刑事の姿は消えていた。やっと休憩から捜査に本腰を入れるつもりか、自分も人のことは言っていられない。前半の倍の速度で安藤はチャーハンを一粒残さず口に、胃袋に運ぶ、スープを飲んで、水も飲み干す。少々食べすぎかもしれないが、眠気が襲うまでは、休憩を取りやめればいいだけのことだ。眠くなれば、それに従って仮眠を取り、再チェックに備える。万事仕事はこれで今日中に仕上がる。警察が事情をこれ以上聞いてこなければ。人が、会社の社長が死んだのに、自分のことばかり。反省したらいいんだろうか、それとも仕事を放棄するのが正しいのか。社長ならどうするのか、そういった死者の思いを受け継ぐ姿とは重なりたくない、作業の延期は私にとって社長が生きていても、その価値は変わらないのでは? 

 安藤はペットボトルを手に、デスクで作業に取り掛かった。

手紙とは想いを伝えるディバイスである5-1

三F→一F

 三十分。時間を決め、仕事の方針を打ち出す。安藤アキルは遅れた時間の取り戻しをこれまでの方針を潔く捨て、新しいアプローチの仕方に焦点をおき、貴重で希少な時間内にありったけの力を費やした。あまりにも時間に対してルーズに取り扱っていたのだと、気づかされた。時間を細かく再設定する、まずは三十分に区切るとしよう。時間の感覚を体に刻み込ませるのだ。時間は敵でしかなかったはずが、こうして短いスパンで向き合うと、制限時間までに通過点がはっきり見えてくる。追い詰められたときに襲うめまぐるしい思考、そういった感覚に似ている。

 一時間。もうかれこれ一時間が過ぎていた。作業のアイディアは確実に前よりも思い浮かぶ。創造作業は無理やり思いつくのではないと、知れた。かなりの収穫である。時間に没頭するここの社員は人に無頓着で、言葉も粗雑で人間関係を省みない性質が多いはずだ。そう、必要がないのだから仕方ないではないか。感けている暇が見出せなく、意識の傾く先はデザイン。常にどこかで、考えが働き、席を立っても、惰性で車輪が回り続けている。これまで僕が取り組む時間の流れは緩慢すぎてもう元には戻りたくない。それでもまだ現実、これまで寄り添った世界は恋しくて、手を伸ばして帰りたくはなるけれど、一応の目印だけはつけて、とりあえず今日の業務をこなすことに専念しようではないか。

 警察が一人だけ、現れた。僕は思い返してみた。作業はひと段落、二時間の作業に一旦休憩を挟む。作業に終わりが見えた、コンセプトも決まり、残すはデザイナーの真骨頂であるデザイン画の製作。これも時間を計ってみるつもりだ。

 安藤はペットボトルの水を傾けて、背もたれに体重を預ける。社長が死んだということは、まだ伏せているんだろう。誰も皆、仕事にかかりっきりだ。無論、社長が死んだからといって、手持ちの作業の手を止めるのはほんの一瞬の機能停止に過ぎないと思う。今後について考えるのは今日を無事に乗り切って、たぶんそれから。効率的にはこの方が有利。とても経済的ではないか。だったら、思い切って発表してもと、考えるが、安藤は首を細かく振った。社内よりも社外に流れる情報を懸念しなくては、取引先から待ったがかかる可能性だって十分ありうるのだ。社長が死んだ会社からは取引を停止する、といった非常識な感性を持ったクライアントは多いはずだ。まったくデザインには影響しないのに、いいや、その先、もっと深部の響く、お客が受け取るデザインへの微かな違和感に社長の死亡が重なる事態を危惧しているのだ。まったくどいつもこいつも、って自分もそう思うんだろう。思ってしまう、といったほうが正しいか。

 安藤は席を立って、一階の食堂に足を向けた。自然と体が栄養を求めたんだ、思い立ち行動に素早く移行できるのはいつの自分だったろうか、子どもの頃にはもう既に自分は遠慮を決め込んだ人格であったように思うのだ。

手紙とは想いを伝えるディバイスである4-5

「知りませんか?」

「まったく。あまり外部の情報は取り入れていない。端末も、それからPCも必要な情報以外のアクセスを控えるよう心がけてます。だって、不要な情報を処理する時間も判断をせずに所有する余裕も私にはありませんから」

 熊田は腕時計を見た。「あの、喫煙室はこのフロアにありますか?」

「ここにはないと思います。社内の喫煙は基本的には禁止されてますので。屋上か屋外の施設を利用しなくてはなりません」

「そうですかぁ、喫煙者には厳しい環境ですね」

「喫煙や化粧を直す時間もここでは排除されている。食事の時間は自由に選択できる反面、不要と思われる事柄に関しては、自戒の念を取り去って、強制的に正したんでしょう。私はどちらにも興味がなかった。こういった職業です、それこそ外部の人間とは顔を合わせませんので、薄化粧で十分。外見が整っているからといって、デザインが仕上がるかといえば、首はずっと斜めに傾いたままですから」

「面白い表現です。社長も化粧はほとんどされていないように思いました。いつもでしょうか?」

「どうでしょうか。私は社長とお会いしたのは病室ですし、そこでは化粧をしていなくて当然なので」

 話を切り上げる寸前に、わらわらと社員たち、いかにも年齢層の高い人物たち、一様にこの会社には不釣合いな上等なスーツを着込んで、会議室側から話し声が聞こえた。熊田は玉井を先に、会議室に戻り、現れた面々にいきさつと玉井が有する社長の権利の信憑性を説明した。当然に、懐疑的な反応。玉井はメールの文面とアドレスを見れば、判断が変わるのではと提案、彼らを引き連れて持ち場に戻った。

 現場に残された死体に熊田は軽く手をあわせて、ドアが締め切らないように椅子を調節、体重を支える右前の一本をドアに噛ませた。熊田は外の空気と現場到着の車両を待つふりをして、一階に下りた。喫煙室は食堂の窓際にサンルームーの一角、あるいは庭に組み立てられた父親の隠れ家のようなログハウスに見えた。どこでも追いやられてるらしい、熊田は先客にまぎれて、喫煙室入り口ドアをくぐった。

手紙とは想いを伝えるディバイスである4-3

「鋭いですね」彼女の表情はまだ固い。「会社を休んだことは、そうですね、ありません。また、二つ以上の仕事をこなす人物ということに限らず、新人のときにあてがわれる教育担当の社員のほかには社員との交流はほとんどありません」

「そうですか」

「あの、社長はどのようして、その……、殺されたのでしょうか?」

「私はあなたに殺人をにおわせる発言を控えてました、なぜ殺人と決め付けるのです?」

 彼女の表情は揺るがない。「病死ならば、すぐにでも救急車を呼びつけて、運ぶはずです。しかし、そういった兆候は見られない。救急車が社に到着すれば、漏れ聞こえてくるでしょう、ドライな関係性でも非常時の情報伝達は普段の意思疎通の有無を回避して届きます。これらの状況を総合すると、社長はなんらかの社員に知られたくはない、知られてはまずい状況で死に至った、と思われます」

「実に明快な解答です」熊田は二、三度拍手を送った。「ご覧になりますか、あなたの意見は社長に近い人物としては貴重ですから」

「ぜひ」

 二人は社長室に移動した。ドアは、開錠のロック機構が働かないよう椅子をかませて隙間を空けていた。ドアには触らないように、熊田は慎重に玉井を室内に誘導する。入り口から右手、足元の死体を彼女は見つめる、驚きと困惑の態度が微かにうかがえたが、あまりにも驚き飛び上がるといった大げさな仕草は制限をかけているのか、表には出ない。「何か気づいたことがあればおっしゃってください。私よりも社長についてはあなたのほうがよく知っている」熊田はドア正面の壁を背に、ドアの前に立つ玉井に尋ねた。

「……凶器が見当たりません」

「ええ、私が駆けつけたときにはありませんでした。犯人か通報者のどなたか、または共犯者が持ち去ったのかもしれない。殴られたのは確実でしょう。高い場所から落とされたとは考えにくい」

「あまり出血の少なさも気になる」彼女は大胆に死体を覗き込んだ。顔を、目元やこめかみに流れる血液を穴が開くように見つめてる。まるで公園の蟻の巣を炎天下の中じっと見つめるような子どもの姿だ。

「鈍器のようなもので殴られると、血液の飛散は少量、内出血が死亡の要因でしょうね。もちろん、頭蓋骨の骨折や脳への損傷も考えられます」

 彼女はしゃがんだ体勢をやめて、室内を歩いた。直接廊下に通じるドアが気になるらしい。

「そのドアは開けられていません。皆さんは、会議室に通じるドアからこの部屋に入ったようです」熊田は説明した。