コンテナガレージ

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熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 2

「おかしい頭」、耳にこびりつく。
 見たままを話してるさ、嘘つきのほうがこの世の中多いではないか。……私だけが割を食う。あのとき部屋を覗いたんだ、同じ人物に何度質問を受けたか、思い出すだけで打ち付ける鐘楼がけたたましく頭蓋が割れそうに痛む。
 日記に書き留める習慣は中学時代に始まる。「おかしな頭」、罵りを集中的に受けたときと個人面談の時期が重なり、私は通院を余儀なくされた。両親は心配性である、正常に対して。一人娘だから、大切に育てた子供は、必ずや健全に育ちゆくゆくは孫の顔を見るのだ、大層なスローガンを掲げる、けれど私への明言は避ける。幸か不幸か操り人形と黒子は一ヵ月後に見事異常なしの診断を持ち帰った、とかくきつく結ばれる間接部の締め付けが一挙に解き放たれたの、それこそ凧のように自由に大空へ私は舞を披露し始めたのよ、漸く生きてる実感を味わえた。紐が繋がっているとも知らずにね。まさに盲点だったわ。
 お客様を案内する立場にもかかわらずマニュアルに逆らってでもあの時は緊急時、フロントは空けざるを得なかった。一つ前の利用客が戻って来ないの。また利用終了五分前にと、固くきつく鍵の受け渡し時間を利用者に言伝てあったのに。(この部分は制服のうちポケットのメモ帳に書き込んだページを切り貼りしたもので、糊付けした日記帖は空白。わざわざ書き込んだこの説明は後で詳細を尋ねられたときに備えて)一枚目の最下段、罫線の外。
 二枚目。(一枚目の右となりに張り付ける、端は一センチほど重なる)
 利用状況を今一度浚う。正午を越えた昼食後の利用率は低い。一番人気は夕食後午後九時前後、二番目に日没、三番目は雨天(星や月を目を閉じて想像するらしい)。不人気な今時分に延滞とはどう転ぼうと後処理が目に見えてしまうんだ。
 午後三時を回った現在、フロントへ用事を申し付けるお客様の姿は人っ子一人どころか物音さえ回廊から引き潮のように掻き消えて私によからぬ出来事の前触れを予感させた。裏切れ、このときばかりは大いに私を否定したのです。

熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 1

 畑は台地にあったらしい、玉蜀黍畑を抜け視界が開ける、三メートルほどの坂を下って舗装された道路と一軒の商店に出くわした。高台の塀に沿って川が流れる、用水路にしては川幅が広い。予測するに氾濫した際の土砂が平野部に堆積、それらが隆起し不釣合いな高台が現れたと思われる。水深はくるぶしを隠す程度、たゆたゆ水が流れる。店先に車が止まった、愛想を振りまく店長が窓越しに聞き込み、年季の入った店先に陣取る老人に尋ねる。源泉と思しき山々はかなり遠距離に構えるのだが、雨天にはそれほど流量が増してしまうのか、美弥都は判断しかねた。助手席の私は止まるなり車を降りた 水路を覗き込む、深さとその許容量が気になったのだ。一秒間に加わる降雨量と水源からこの水路までの距離に晴天時の流量、水路の容積……場所によって深さが異なるとなれば、傾斜の始まり水路のもっとも高いところを始まりに据えるか、しかし流れるのだから排出量も加味するのか、けれど私が覗き込むあたりで溢れるとなれば同時に他の場所でも氾濫が起きるかもわからない、ほとんど平地に近いので水路は微妙な傾きをつけているだろうし、美弥都は水路沿いに躍り出た角のその先を何気なく胸をそらし眺めた。
「まっすぐにそれからな、ほれ突き当たりを確かぁ、そうそう左に曲がってさぁ、そんまんま行けばつくじゃろか」、案外土地の者は建物の位置関係を直感に頼り記憶する。毎日歩くのに毎度取り出しては不都合であるからだろう。
 助手席、風が抜ける。
 指差した先、商店と水路の間を車は走る。道に迷う心配は取り除かれた。「森々たる林野の一群が訪ね先だろねぇ、私しゃぁは行ったことはぁないけど、大層人気があるとかないかねぇ、死ぬまでにやぁ一度拝んでおきたいもんだわなぁ、かーかっかっか」、照れ隠しの笑い、諦めの自虐どちらとも取れる笑みの老人がかき消した。 
「間に合いそう?遅れはしてないと思うけど……」ハンドルを握る店長が運転席で言葉を濁した。
「ほぼ電車利用と同時刻の到着かと思います」
「はっきり言うよね、美弥都ちゃんはそういうことをさっ」
「不満ですか?」
「すがすがしいよ。棘が鋭くって肌を痛めるけど」
 駐車場は地下であった。ぱっくりアスファルトの竪穴が空く、それは近づくにつれ地面に埋もれた二つの瞳にみえた。

熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 1

 凪の薄緑と紺碧の小波と別れ、平野部とはるか遠くかすか山頂付近の霞を羽織る連なった山々に視界が切り替わる。正午前である。午前六時に美弥都は家を出た、平野部に入ってからはものの数十分で目的地に着くらしい、店長は宝の持ち腐れのナビ(午前中雹に見舞われた日、頼みもせず押し込まれた車内でナビが訴える、新しい地図データを読み込む働きかけの明滅を画面右上にみとめていた。CD-RMはシフトレバー後ろ、シートの間の凹みに音楽CDに紛れゴシック体の太字が片手で数えられる乗車回数の私にでも目に留まる視認性である。存在そのものを忘れ景色と同一視に日常の変化と重要度を下げた扱いを車内に与えるのだ、リラックスがハンドルを握る、しかも長時間となれば当然かもわからない、私は車の運転は恐ろしくて死亡率をあげている事実を通勤利用に仕方なしという理屈は時間と工夫を凝らせば可能であるのだ)に一度も電源を入れず頑な態度にも見えたが、道のりを振り返ってそれほど入り組んだ箇所を通り抜けてはなかったか、美弥都は日差しをよけるべく顔の前に手を翳した。道がつづく。丘陵を越えても道は一直線を頑固に貫く。洋上と水平線の関係にどこなく似ている。
 看板らしき表示板が一切見当たらないようだ。住所はこの辺りで正しいのだけれど、店長は田んぼのあぜ道を走しらせ道に迷った事実を認めず周囲にせわしのない視線を走らせる。代わり映えのしない景色は田んぼと遠方に構える連山と天空に漂ううろこ雲や狼煙のような一筋の煙それに時折すれ違い、ときに背後から抜き去る地元の自動車ぐらいで、車外に見かける人影は数えるほどだった。「あのとき道を尋ねておけばなぁ」、店長の負け惜しみ。謝罪の求めは控える。美弥都は遅延を踏まえた出発による大幅な余裕を宛がった、間に合えば文句はないのだ。
 居場所の確かな見かけた畑の住民に尋ねるか、『ひかりやかた』へ連絡を入れるか、私なら後者を選択、即時実行に移してるだろう。過去に固執、こだわりという概念を一切持ち合わせてはいない、彼女は現状における最良を優先に据えられる性質なのだ。となれば店長の立場を弁えた配慮は元来の性質と反するも、それは特急列車に揺られた場合に襲う長距離移動につき物の他者の興味津々のまなざしを受けずそろそろ移動を終えようとする気楽な時間経過の返礼というべきか、美弥都は自身をやり込める解釈を何とかひねって搾り出したという見方もできなくはないのだった。
 田畑に挟さまれた農道を横切る。
 今度は露地栽培の野菜畑に一変した。かまぼこ型のハウスがぱったり消える。
 これからが収穫時期を迎える玉蜀黍の列は穂先が今のところ目立つ色合いをかろうじて保つ、黄色の粒粒は何本か傾けてこちらを覗くよう顔を出すも外側の列が拝めるだけ、もう乗用車の背丈を越えてしまっているのだ。まるで迷路。不安を抱くのは全容がつかめないからであって、地上を移す上空の画像を一枚確認できると現在位置と目的地のおおよその距離感覚が芽生え安心を誘う、都会のビル街に抱く心象と様相がかぶる。

熊熊熊掌~ゆうゆうゆうしょう 1

「電車とタクシーを乗り継ぐ、それほど車移動に時間的な利得は見出せません。最寄り駅から歩くと思われたのですか?」日井田美弥都は店長の助手席に揺られる。

 半ば強制的だった。

 自宅から目と鼻の先無人のH駅に向かう矢先、歩道に出た所へ見慣れた車が颯爽彼女を出迎えた。

 どうやら駅のロータリー、それも中央の時計塔の陰に隠れていた。見つかれば私のことだ、知らん顔で乗車を隣駅に切り替えることは予測の範囲内であったのだろう。
「送ってあげなさい、いつもお世話になってあなたを支えてる人をいたわってこそお店と私たちの生活は成り立つんだって、力説されたのさ。うちの奥さんにね」

 店長の奥さんとはほぼ面識がない、顔を合わせたのは一度か二度。店長が忘れた弁当を店に届けた時に挨拶を交わした。個人事業主の店長は店のあらゆる係りごとをこなす。開店から現在に至るまで奥さんの手を借りずに切り盛りする、とはいえ弊害はやはり訪れるもので長期間営業を続けてにじり寄る現れた疲労には抗えはしなかった。そこで美弥都が雇われ、店長とアルバイト店員の二人体制によるコーヒーサービスの提供が確立したのである。平日の定休日と年末年始の数日を除き、一年を通じて店を開ける。
「一人で回りますか?」休憩返上で店に立ち続ける、休業は免れるだろう。が、一週間も持つかどうか非常に気がかかりだ。何せ開店直後は行列を裁く注文の嵐に一人でトーストを焼き、平行作業のコーヒーの抽出に追われる。二人で手一杯、めまぐるしい煩雑さを日々味わうというのに……、美弥都は思う、奥さんをとうとう引っ張り出すのかも。
「秘策を設けているのさ。仕入先のパンは特別製だ、お客さんならほとんど知りえる内情だろうからそれを逆手にとって納得させる。製法にこだわってるが故の数量限定だってことは織り込み済み、だから仕入先の事情によって数量が減ってしまったと先に言い訳を打ち明けてしまうんだよ」店長は進行方向に注ぐ視線を助手席に切り替える。あまり運転技術は高くはない、自負してるので早々視線は波打ち際の海岸道路に戻される。「四分の三ぐらいなら何とか僕一人でも裁きれるだろうしね」
 どのような計算方法によったのか、私にはわかりかねた。それとも秘策、とっておきの助っ人、おそらくは奥さんを駐車場に待機させているのかも。赤ちゃんはようやく言葉を話す年月に達した程度、まだ子守役が傍にいなくては。個人的な事情を許して欲しいがため、騒音を撒き散らす危険をはらんだ小型拡声器を背負い、接客にいそしむはずもない。もっとも私が店を離れなければ、ということなのだろうが、それは店長たっての希望、願いであり、一度目に美弥都は提案を断った。経営を危惧する現在の心境がその理由である。だが店長はかたくなに経験を私に求めた。店と自宅の往復で一日が終わる配慮なのかもしれない。美弥都を名指し、『ひかりやかた』なるホテルの要請をあっさり彼女の快諾を問わずひとつ返事で受けてしまった、聞かされたのは一昨日の夜であった。拒否もできたが、強硬手段に打って出た店長は稀に見る振る舞いで、それほど私に断って欲しくはなかったらしく、何かしらの理由を胸中に恐る恐る理解を募る申し出の最中私は悟ってしまったので、無理やり体躯に鞭を入れこうして今日を迎えた美弥都である。