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JFK国際空港内 控え室 ~ミステリー小説~

最寄り駅。走る。暗い地下、古びた階段、かんかん、かつかつん、古風とは異なる趣。
 風を味方に車両が颯爽、搭乗。
 寄せる視線を跳ね返す、譲られた席はアキに譲る。
 下車。駆け出す。スタジアム。野球観戦は人生において未経験だ。とりあえず、入り口らしき場所に向かう人の流れを縫う。階段で名前が呼ばれた、私だと気がついて、それでどうというのだろう、本人だ、間違いなく。外側が好みなら、別の容姿を願うといい、そっちは空っぽだから綺麗なのである。言ったって無駄、当人が感じ取らないと。
 地上をひた走る。道が広くてありがたい。
 背の高い受け付け係に事情を説明した。誰もが私より背が高い。息が切れる、アキが遅れて背後に着く。こちら、訪問先の視点に切り替えた、なるほど子供が慌てて駆け込む姿、である。
 パスを下げた女性が全速力で駆け寄り、楽屋へ導いた。引っ張る力が強かった。残り時間を尋ねる、アイラに常に帯同するスタッフが緊張気味に数枚の紙をめくって応えた。彼女には聞かないことにしよう。着替える時間があるようだ、カワニたちはまだ到着していないらしい。
 出演者が挨拶に訪れる、こちらの国では珍しいのではないのか、そう、私を一目見たいのだ。まったく、そう、まったくである。
 発声練習の時間はいつも設けていない、それがスタイルといってもいい。マイクがある、声は拾われる、届くだろう。楽観主義かもしれない。悲観的では良くない、どちらも欲しがる、贅沢。
 出演前にスタジアム内を覗く、選手たちがひしめくベンチ内にこっそり侵入を果たした、カメラを向けないように指示を出してもらった。選手の数人が飛び上がっていた、縦にはもちろん、横にも大きく、太い。人の体とは思えない。握手を求められた、意思の疎通か、出会った証、感触。まだ私ではないのに。
 マウンドに上がるように言われた。靴を履き替える。土を噛むスパイクがぎらりと噛み千切る歯のようだ。特注らしい、たった一度きりに大層豪華な仕様、誰かが履けるようにして貰いたい、子供用サイズならば需要は引く手あまただろう。飾るなんてもってのほか。
 ベンチの角で声を出す。今日は選手も観客、試合を休む、どちらも今日だけは観客である。
 名前を呼ばれた。
「アイラ・クズミ」、海外使用がこの場面で活きる。 
 手は振らない、ぐるりと取り囲む場内を眺める。小走りも不釣合い、私は歩く。ホームベースにマイクが立つそこまでだろうに、たっぷりとひきつける。マウンドは前後関係の把握を嫌ったのだろう、どっちつかずになりかねない。潔く、バックネットのお客にはお尻を向ける。
 言葉は日本語。英訳の話もあった。断りを入れた。勝算はある。言葉を越えた言語が目標。のるかそるか、大舞台で試す。恐れ?とっくに捨てた。誤り?誰もが間違う。決めたのね?とっくの昔に。歌うの?誰のために?決まってる、私を生かすためだ。死にたいのね?本能だから。あの人だよ、犯人。どうしてわかる?だって仲介者だもん。性別は?わかってるくせに、悪い癖、考えないようにしてる。言ってくれないか?ここをどこだと思ってるの?スタジアム。何をするの?歌を歌う。誰がいるの?観客だ。機内と同じね。ああ、同じ……。そう、そっくり、誰かさんに。歌うよ。ええ。歌うぞ。うん。飛び出したら最後、引き返しはなしだ。そうね。はじめる。はい。聞いていて。もちろん。楽しみか?誰よりも。うれしいか?これまでよりも。じゃあ。じゃあ。
 彼女は声を届けた。澄み切った空が開けた角度に見えた。今日は晴れ、だった。

JFK国際空港内 控え室 ~ミステリー小説~

「事件についての質疑は終わりましたか?場を和ますブリッジにしては長く、そして多用が目立つ」
「それではもうひとつだけ」色が変わった、気配のコントロールを身につける人物特有の重厚な威圧を放つ。「その若者は、突然始めたあなたの予期せぬツアー先行予約のトップを飾った」
「興味深いですね。パスポートは有効期限内に限った、期限切れ、再発行は対処の煩雑さを理由に採用を断りました。埋め合わせの対象はビジネスクラスの観客です、勘違いをされた方はそれまで、引き止めることはしません。いずれ他人の趣味や流行に誘われる人であった」アイラは立ち上がる、手の内をやっと見せた捜査官との会話は雑談を下回る価値に属する。彼女は通訳を見下ろす。「ドアを出て、左右どちらが出口ですか?」
 めまいが襲う、捜査官の手元がふらつきの要因だ。
 手をこまねいたデスクに隠れる白紙、そして私に求めるマジックの文字、価値があるのだろうか、その人物が書き記した、となぜ言い切れるのだ。夢に生きてる、仮想の販売は虚構だと口々に言い続けている、信じるな、妄信は危険だ、とも。
 ドアは簡単に引き開く。当然だ、罪を犯したのではない、事情を訊かれた旅行者。
 廊下、通路に仕事を放棄した人物が二人壁に張り付いている、道を尋ねた、出口はどちらか、と。出口、方向、私が彼らに尋ねる、スマートな言い回しやテクニカルタームスラングを用いる必要はない、堅苦しく、古くて、いびつだが、意味は通じる。欲しいのは答え、正確さはどうだっていい。
 追い越される、捜査官が慌てて案内を買って出た。あの部屋へ最初に連れてきたのは彼だ、負い目を感じたのだろう、浅はかな行為として求めようとした仕事を越えた個人的な要求を呪ってくれるだろうか、これも不必要な考え、この機会をもって出会いは最後となるのだし。
 若者に変容を遂げた手法はまとまりに欠ける。思いついては、採用を破棄する。脳内での作業。半世紀を重ねた年齢に思えたが、空港の喫煙室、機内の彼は過去に反し若々しい。白くつややかで光をはじく細面ながらふくらみを湛えた顔とは対照的だ。若返りを取り入れる人物には見えなかった。突き当たりを左に曲がる、階段を下りて、屋外に出た。侵入を拒む塀が白く迫る。車が一台止まる。カワニが降りてきた、八の字の眉は健在である。
 自然と大きくよりもさらに大きくを心がけた。入り混じる低音が砂嵐のように空間を揺るがす、震える空。
「ロスを取り返す、何分の遅れです?」
「急げば、間に合うかもしれません。事情は説明済み、遅れの了承も取り付けました」
オープニングアクトの遅れは開催のずれに直結します。いいですか、可能な限り定刻を目指す。カワニさん、この後世に及んで渋滞による遅れを忘れてはいませんでしょうね?」カワニの顔が青ざめた、どこか抜け落ちるのが彼の性質。「ギターをトランクから下ろしてください、二本ともです。最寄り駅をどなたか教えてください。地下鉄が張りめぐるのでしょう、地図は端末から取得します、余分な紙幣があればいくらお借りして、ライブ後にお返しします。運転手さん、最寄り駅まで何分かかります?ええ、一番近い駅です、いいえ、遅くてもいいのです、確実に目的の時間が私の望みですから」
 抱えるギター、足元にも一本。急いでいるのか、それとも緩慢であるのか、土地のリズムを知るべきだろう。
「ベビー」、そんな表現が聞こえていた、空港内である。彼らにとっては真実。触れたデータが異質を訴える。共に時間を過ごすのなら、控える発言だ。若そうなパーツであっても皺は刻まれる、傍目八目。……反対もありるのか、なるほど、彼女は僅かに口角を引き上げて瞬く間に元の真一文を好む。
 死体について考える私がライブを差し置いて支配に身を任す。まったく、そう、まったくだ。
 無駄であるのに、厄介な構い事。もう他人事だ、私は解放されたのだから。
 アイラは景色を収めた。瞬きをシャッターに見立てた。郷愁を煽る風を浴びる。目的地を頭に入れた。端末画面、降車駅からの道順を読み取る、スタイリストのアキに衣装を取り出してもらう、スモークフィルムはこのときばかりは私の味方、スカートとは便利だ、上から履ける。上着はインナーの上から着込んだ、とにかく到着が最優先である。

JFK国際空港内 控え室 ~ミステリー小説~

「一つ」アイラは指を立てる。「特定すべき証拠が見つかっている。二つ、死体発見の一報を受けたあなた方は空港で私たちの搭乗機を迎える時間内に確からしい証拠、あるいは確証に近い状況証拠を集め、検証を以って逮捕に踏み切る予定であった。三つ、これは予測ですが、該当人物は別件にてそれらしい証拠、犯人らしき人物像と似通った手段を取る犯行、その履歴があなた方の管轄に記録されていた」
「あなたが望むならいつでも我々はあなたを歓迎しますよ、実に聡明だ」
「賞賛は結構です。それより、その若い男性を拘束しない理由が気にかかります。私にかまける時間があるということは、彼の拘束を引き延ばしに利用をしているのではないのでしょうね。自分だけ後に膨大で無益な取調べを受けた、それが公の場で公開されては沽券と威信にかかわる。貿易関係に悪影響を与えかねない、輸入車の量を引き下げる方針が加速するでしょうから」
「時勢にも当然精通している。いやはや、警察としてますます引き抜きたい才能ですよ、それは」
 睨みを利かせた。
 捜査官は咳払い。居住まいを正すアクションは万国、二国であるが共通するらしい。
「年齢がそぐわない。特殊メイクを真っ先に疑ったものの手詰まりで若作りの証拠は見当たらず。身長五フィート三インチ以上の該当者は三名、うち二名は若干の年齢差と太りすぎの体格。どちらも日本の警察官です」
「警察だから犯罪に手を染めない、とはいいませんよね?」
汚職、横領、暴力、押収品の受け流し、数え上げたらきりがない。あなたの国とは規模が違う。警察官には試験に合格した者を採用する、神ではなく、あくまで人なのです」捜査官は座りなおした。
 上司だろうか、背後のドアが開いて呼ばれて捜査官は席を立つ。てきぱきとせっかちな身のこなし、数分で彼は戻った。通訳は終始無言だった、聞き逃がした箇所のチェックし追加分を手元の用紙に書き入れる。用紙の全景は角度的に望めない、通訳の手の動きから想像したのである。
「言い忘れていましたよ」通訳に話し始めの合図、目配せを送った捜査官はコーヒーを携える。「客室乗務員たちに義務付ける、搭乗前の機内のチェックはその大半を一人で行うそうです。荷物棚は着陸後の忘れ物のチェックには再点検をするそうですが、搭乗前は半開きの確認のみで、中を調べることはない」
「背の高い若者との接点は?」
「頼まれたそうです、日本の警察に」
「保安員ですか?」
「何でもご存知ですね、話が早い」
「いえ、知っていることを告げているまで」
「民間人の採用を段階的に試す、試用期間にくしくも事件と抵触した。その若者はアクシデントを装った訓練だと捉えたらしいですよ、ぎりぎり辻褄は合います。航行を支障をきたさない程度のアクシデントは起こすようには伝えてあった」
「保安員など搭乗はしていない、彼個人が乗る」
「どこの国の警察も白状だ。僕らもいつ切り捨てられるのやら」
「身の上話は結構です。時間が惜しい」
「これはこれは。ぶしつけですがね、アメリカで何をされるのです?」
「あなたが長時間拘束される給与と引き換えの労働、仕事です」
「これはいい」捜査官は笑う、大きな口、横に広がる。「私はすっかりあなたのファンになりましたよ」
「これまでは違った」
「娘が夢中で。あの放送の余波は今も続いてます」
 あの放送とは、先月アメリカのバンドと行ったセッションの模様を生放送で全世界に放映したのである。

JFK国際空港内 控え室 ~ミステリー小説~

「安全性の見当は十分に協議と検証を行ったうえで、本搭乗に踏み切ったのか?」ぶっきらぼうな言い方は通訳の標準的な日本語習得レベルの低さに由来する。風貌からして、思慮が足りる、聡明な人物とは言い難いが、決め付けるには材料が不足してる。よって、判断は見送った。
「その義務は航空会社が負う。私の責任は可能の決議を受けた時点で解放、彼らが一手に背負う。当然ながら無許可で演奏することは非常に困難を極める」
「空港側が申請を受理したとは考えにくいんだよ、わかるか、お前たちは乗客を危険にさらしたんだぞ?」
「演奏に使用した楽器は電子機器等は一切持ち込まずにアコースティックギターを採用した。固有振動数がたとえば機体に与える影響があったにしても、ギターの音域八十~八百Hz、歌声の百七十~二kHzに収まる周波数です。機体を構成する素材、金属などの共振以前に話し声は客室の床材や内壁が吸収してしまう。破壊をもたらす機体の損傷やそのきっかけの懸念は思い過ごしです」
 けたたましい。電話が鳴る、クリーム色の天板は使い込まれた証に多数の擦り傷を負う。
 聴取の相手が入れ替わった。通訳はそのまま、イントネーションも外国訛りが続く。
「重複する箇所があるかもしれませんが、ご了承願います。何せよ、私もまだすべて事態を把握してるとは正直言いがたい。あなたは、搭乗から発見までを機内の同フロアで過ごした」人柄に合わせるらしい、語彙が些細に変容した。スーツを着た男性は持参した書類を指差す、分厚い爪、節くれだった指。「演奏の前後にこっそり顔を出す行動に移せなかった、お客の期待を削いでしまうから」
 アイラ・クズミは顎を軽く引いた。やっと事情が飲み込めそうな人物がやって来たらしい、と彼女は解放後の過密スケジュールの調整にようやく頭を悩ませそうだと、意識を振った。どうあがいても移動手段の変更が身に迫るし逃れられない、カワニは対策を練っているだろうか。
 話の展開にアイラは軽く首をかしげ耳を傾ける。
「こちらで仕事だそうですが、渡航スケジュールはかなり前に予定が組まれていたのではありませんか?というもの、あなた方がキャンセルした乗るはずであった便は整備不良のため日本を出国できていない。ようするに、陰謀、仕組まれた可能性があるのですよ、こちらの調べでは」搭乗機に演奏をいずれは退路を断ち、機内に誘い込む作戦だった、その前に私たちが突拍子もないと言われた機内での演奏に自ら踏み切ったのか。
「死体の謎については?」
「頭を悩ませてる、というのが現状です」捜査官は背にもたれた。「死因は内臓の機能不全が現時点での見解です、詳しい検死結果はもうしばらくかかるでしょう。無傷の体、気絶させて運び上げたのではないのかもしれない。発見に繋がるあなたの行動は偶然だと思いますかね?」
「ギターの弦に触れる機会はあったでしょう。スタジオ内に出入り可能だった人物はかなり多い。顔の知らない方がほとんど」
「客室乗務員とあなたの事務所の方々も同様のチャンスがありましたね」
「搭乗から発見までに限定すると、接触の機会はほぼ皆無でしょう。なぜなら、私はギターを担いで搭乗した。トイレに立ってはいない。衣装に着替える隙が唯一目を離した時間、ええ存在するにはします。しかし、一分もなかったでしょう。男性の目はマネージャー一人、彼には席を外れてもらっていた、フロア内で私は着替えを済ませたのです」
「エコノミークラスに明らかに怪しい乗客はいました?」
ビジネスクラスをなぜ除外するのでしょうか。それは特定の人物が念頭にある、ということです」
「若者で、背の高い男性に心当たりがあると、私どもは踏んでいましてね」