コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

赤が染色、変色 1

「……アキさん?」アイラは尋ねた。

「はい、あ、ここです」顔が見えない、上ずった声が聞こえるのみだ。

「煙草を吸っても?窓を開けますから、許可を抱きたい。外には出られない状況ですから」

「私は、は……い、大丈夫です」

「不破さんはタイミングが遅れましたね。じゃあ僕も」

「右の膝辺りの缶ホルダーに灰皿があります、使って下さい」

「ああ、これですね」

「刑事さん、車のエンジンをかけてもらえますか、エアコンを入れて欲しいのです」キーは挿したままのはず、ロータリーに車を寄せたカワニはチェックアウトの手続きを終えてすぐに戻る、キーを抜く行為は非効率的。

「お安い御用で」

 暖気が送り込まれる、それまでは数分がかかる。雪国では出発前に車の暖気が欠かせない、もちろん環境に気を使う車が無人の車内に熱を生み出し、送風する、これは低燃費でエコロジカルで未来を見据えた子供たちの将来につながる車に乗っている者たちの行動とは正反対に位置するだろう。冷え切った体はハンドルやアクセルの調節を誤る危険性がないとはいない。ただし、雪道は応答性の遅れに劣らず、路面や視界が目まぐるしく変わって、慎重な運転が危険を自然と回避するのだ。私には出身地の郷愁が残っているらしい、捨て去ったはずだったが、経験の蓄積は居座り、粘る。私は誰から生まれた、それぐらい持ち続けるには無用の長物。

 カワニはまだだろうか、彼が戻れば、私たちはこのまま最寄り駅に送り届けられるのに、アイラが自前の携帯灰皿に灰を落したまさにそのときに、わんさかとホテルを駆け出し、接する道路に向うのかと思いきや振り返って、数々の瞳が見つめた、彼女はとっさに窓を閉めたが、既に手遅れ。ばたばた、指紋がつく、映画の一場面を思い出す。しかし、あれは死んだ人間が生き返った姿であった。生き物、この形容は不適切。呼び声。多少、恐怖心が蔓延ってきた。ひあっ、アキが悲鳴を漏らす、車体がロールに近い動き、がたがた左右に揺れる。運転席の土井もこちらを振り向いて、不安げな眼差し。

 端末が震えた、取り出す。

「はい」

「だ、大丈夫ですか?」カワニだ。

赤が染色、変色 1

「当てが外れたんですかね」内ポケットに手紙を折りたたんでしまい込む。折れ線は気にしていない様子の土井である。三件目の手紙はバッグから見つかった。それはファイルに挟まれていた。

 ポケットに入れる時間がなかった、つまり予めバッグに忍ばせておいた。

 しかし、それではファイルの存在に持ち主が気がつく状況も多分に想像される、アイラは土井の短く整う後頭部を穴が開くように見入って、追及の手をやめない。意思に反して、頭が働き出す、回転が始まった。やっと体が起きたのである。

 すると、手紙は事前というよりも殺害直後にバッグに忍ばせた可能性が高い、といえる。

 いや、待てよ。死体が作り出された状況下でなおかつ手紙を残す必要性はかなり危険な行動に思える、二件目は教会内の駐車場、しかも時刻はまだうっすら視界が確保されていた夕刻の時間帯だ。

 だがしかしだ。アイラは更に考えを改める。続々とアイラの内部で情報の更新が止まない。

 バンの立ち去りをあえてみせたとしたらどうだろうか、つまり殺害に至るまで、他に意識を向けていたら。……たとえば、上空を這うヘリや飛行機。飛行機の発着場が近隣にあったはず、確認作業は警察の専売特許、私の役目ではないし、そこまで義理立てた親切心はいざというときに取っておく。当然ツアーを行った会場が死体発見及び殺害の現場と断定された、関わりを覆す困難に拍車がかかる。けれども、私や関係者が犯人という可能性はかなりの割合で低いと見なされる。身内だから、そういった感傷的な条件を一切省いた見解である。

 私がそのような人間に見えたら、低俗な思想だ、アイラは首を振った。

 人のことなど所詮、身近で長期間過ごしたとして、わかりきれるものではない。私のように性質は更新され続けるのだし。

赤が染色、変色 1

「煙草を吸うのなら、外で。喫煙者の居場所が追いやられるのはあなたのような方がいるからです」アイラは言った。視線は手紙を捉えたままだ。

「これは、煙草ではありません。禁煙用のパイプです」

「随分紛らわしい所から登場しましたね」彼は煙草の箱から取り出したのだ。アイラは顔を上げた、不破の偏った笑みが迎える。

「後ろの方に、彼女に配慮したつもりですよ、これでも。この方以外は喫煙者と知ってました」

「アキさんが乗っていなければ、喫煙の許可を申し出た、そういった言い方。しかし、私の隣の荷物は衣装です。臭いがついては困ります」

「ああっと、そうでしたか」不破は額を叩く。わざとらしい。「いつもながら爪が甘い。あなたと接するとどうしても浮き足立ってしまう、何か魔法のような罠にかけられているようでね。はあ、どうにも調子が出ない」不破は言い切って、車を降りた。

 不調、それは周囲に自らのサイクルを当てはめている。独立したシステムをなぜ構築しない。それほど、この世界の表が恋しいのか。裏を見つめる刑事が?そのままだ、そのまま脳細胞を殺せばいい、少しは生存が身近に感じられる。

 アイラは目を通した手紙を土井の顔の前に差し出した。

 受け取る彼は、こちらを見つめ返した。つまり、手紙の内容を読んで、事件を解明、紐解く糸口が見つかったかどうか、もし見つかったのなら教えて欲しい、瞳に込めた意思を彼女は読み取る。

「前の方の手紙を読み、警察は私書箱に張り込みを続けていた、そちらのアプローチは経過は?聞くまでもありませんね、動きがあって、私に伝えないとは考えにくい」

赤が染色、変色 1

「手紙は見つかっていたのですか?」彼らはアイラにすがる、微量な可能性であっても欲しがるだろう。本心は眠っていたい、まだ体は起きていなかった。前に応えた事例を引っ張り出した彼女の返答であった。

「ポケットに入ってました、どうやら通常の紙に戻した様子ですね」二件目はコピー用紙に印刷した紙が見つかり、一と三、そして今回の四件目が直筆。

 土井が不破に確認を取る、彼からビニール袋の手紙がアイラに手渡された。読めという意味らしい、土井の目配せは行動を急かす意志がこもる、物理的な体積が一役を担っているのは確かだろう。

 見覚えのある紙だった、それもそのはず、受付で配布されるこれは、データ収集のためにアイラの発案で導入したライブの感想用の黄色いアンケート用紙である、ボールペンのインクが目立つように発注し、当初の白いコピー用紙から変更を加えたのである。びっしり、質問事項とは無関係に、大きく紙面を割く空欄に細かい字が埋め尽くす。角張った字である。裏面にも文字が連なる、不破の煙草を取り出す動きを視界の端で捉える。ここは四人がひしめく、しかも衣装が同乗する窮屈な空間だ、刑事だからといって、車外で話しににくい状況だからといって喫煙を無言で嗜む権利はないに等しい。