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水中では動きが鈍る 3-4

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 上層部の面々は長机に揃い、入室の熊田を一瞥、無言だ。後方から前列付近に到達すると熊田が言う。
「お呼びでしょうか?」
「お前、録画した映像を提出しなかった正当な理由があるのなら言ってみろ」片肘をついて上目遣い、白眼が強調された瞳で中央に座る管理監は低い声できいた。両隣の人間は管理監の機嫌を悪化させないようにじっと身を潜めている。
「オイルをまいた警官は犯人ではありません」
「だったら、未だに警官の消息がつかめないのはなぜだ?犯人だからじゃないのか?」
「男なんてのは行き先を告げて旅行には行かないでしょう。まあ、すぐに戻ってきますよ」
「そんな悠長なことを言ってる余裕はないんだよ!」机が勢い良く叩かれる。「いいか、次の事件が起こりそれがもしも警官でしかもだ、犯人に見当がついていたと知れたら明らかな捜査の不出来を指摘されるんだ!お前が隠していた証拠は俺が知らなくても証拠として存在していた瞬間から俺の管理下に属するんだぞ。手をこまねいて何も手を打たなかったと言われても仕方ないんだ!」つばが飛び、顔が紅潮する。管理監は大声で会議室を瞬く間に舞台上にしてしまった。他の演者の声が小さいこと。熊田は笑いをこらえてなんとか返答する。
「ですから、彼は犯人じゃないですよ。シロです」
「遺体に付着していたオイルと警官が捨てたオイルとが一致した報告書には書いてある。お前だって確認しただろうが?」
「ええ。しかし、あいつはただの模倣犯ですよ。便乗してやっただけですから、そんなに害はないです。休暇が終わればきちんと戻ってくるでしょう」
「じゃあなにか?殺しはもう一人の方だって言うのか?」
「そちらも、おそらく違うでしょう」
「違う?何が違う?身の潔白を訴えるのなら追走されても派手に逃げはしない、素直に事情を説明すれば数分の遅れで自宅には辿りつけたはずたからな。第一、番組の録画ぐらいで交通違反を犯すなんて考えられん」管理監は禁煙の会議室で当然のようにタバコを吸い始めてしまった。指に挟んだタバコで熊田を指す。「あいつが犯人だ。それしかない」

水中では動きが鈍る 3-3

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 血液が凶器に付着していれば殺害に使用されたと断定されるが、警官の部屋から見つかっただけであって当日の警官のアリバイはまだ正確には照合されていないのが現状である。つまり、何者かがもしも凶器を警官の部屋に忍ばせておくことができれば疑いのかかっていた彼が犯人と確定の烙印を押される。
 時を同じく、エンジンオイルを巻いた可能性のあるもう一人の警官にも捜査の手が伸びていた。彼は今日、非番である。休みを利用して仕事終わりの昨夜から家を空けていたことは張り込みの捜査員から上層部は報告を受けていたようである。熊田が撮った映像が神から上層部に持ち込まれ警官の自宅捜索せよとの命が下っていたが、夕方の今になっても熊田たちの耳及びその他別班の捜査員たち、上層部にすら芳しい報告はもたらされていなかった。
「熊田さん、上が呼んでいます。会議室です」鈴木が神妙な表情で熊田を呼びきた。おそらくは、重大な証拠映像の提出遅滞が呼び出しの内容だろう。タバコを灰皿に押し付けて鈴木とともに喫煙室を出た。数人から好奇の眼差し。その時の顔を映像で収めそれぞれに見せれあげたいぐらいに引きつった顔であった。見ていることに重きをおいて見られているの忘れているからだ。
「例の警官は連続殺人の犯人なんでしょうか?どうも僕には納得できなくて」数歩前を行く鈴木が独り言のように話しかけてくる。熊田は床に視線を落として歩みを進めている。
「あいつが犯人ではないと思う明確は理由でもあるのか?」
「いやあ、明確と聞かれると自信はありませんけど聞いた話によると聴取では、ネット番組の録画に間に合わせるために急いだって、そんな奴が連続して人を殺しますかね?」首をひねる鈴木に対して興味なさげに熊田が聞く。
「何が言いたい?」
「鬱積していた自分を解放するために殺人を行ったのなら、楽しみである番組のことなんて忘れているはずですよ。どうみたって殺人のほうが圧倒的な非日常ですからね」振り返り、廊下、ドアの前で鈴木はさらりと己の考えを述べた。
 会議室のドアを鈴木が押し開ける。鈴木は中に入らないらしい、連れてくるようにとの命令だけだったのだろう。だったら、それを鈴木に伝えた者が呼びに来ればと熊田は内心で思う。

水中では動きが鈍る 3-2

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 まず警官の逃走については、特に尾行を巻くための逃走ではなったそうだ。正義の象徴である警官としての自覚が裏目に出たといってもいいだろう。急ハンドルで進路を変えたのは覆面パトカーに目撃されたため。つまり、追いかけてくる熊田の車両を覆面パトカーだと思い込み、とっさに信号無視の発覚を恐れてアクセルを踏んだそうだ。しかし、熊田からは自分たちに気がつく前にとてつもないスピードで走行していたように映っていたのだが、それも理由があって単に、ネットの生放送の録画設定をし忘れたための急発進だったのだ。今時携帯やスマートフォンが屋外で簡易に持ち運べるデバイスとして売りだされているというのに、記録としてあとで見返すためには録画が必要だったとの言い分である。熊田と同年代の署員たちの会話から漏れ聞こえてきた内情は、理解ができない、あるいはそんなことしか楽しみはないかと言った意見が交わされていた。熊田はじっと喫煙室の窓からその署員たちに背を向けていた。人の行動はどれをとっても一様にはならない。まして、信じられている普遍的な事象もコミュニティや組織、都市、国を出れば非常識となりうるのだ。現在は最小のグループが個別に生まれているのを知ろうはしないために凝り固まった柔軟性にかけた理屈でしか物事を把握しない類の連中はそれを蔑視する。熊田自身にもそれは言えることである。後輩や部下が近くで何の気なしにその年代の普通を持ちだして会話をすると私との違いが感じられ、接見も可能だ。そこでやっと、ああ違うんだと遅れた認識で上書きのアップデートの完了となり、次回の会話から相手の寄り添った私が誕生する。若者に気持ちを寄せていると自分の中の誰かが言っているが、取り合わない。そいつは、変化を恐れた私で役割は車の運転の簡略化に携わる己。あれこれと一々動作のたびに思考にのぼらないように反射的に簡略して動作に映す役目であり、繰り返すのが好きなのです。理由は楽だから。そう、習得のダンスを踊るのは簡単なのだ。一から十をこなすのはしんどい、だから人を真似て楽をする。それと捕まった警官のうわさ話をしている署員も同じなのだと、熊田が思う。
 二本目のタバコを吸う頃になるとまた別の署員が入ってくる。話題はやはり捕獲された警官について。三件目の現場に遅れて来た理由を尋ねられると、警官は交通事故の処理中に通報があったので相方を先に現場に行かせために遅れたのだと主張。これは熊田も知り得た情報である。知りたいのは彼の移動手段だ。交通事故の現場から死体発見現場までの距離は直線にして約4キロ。現場に行き着くは国道沿いを歩いてくるしかない。しかも警官はトンネルの手前、パトカーや佐田あさ美の車が止められていた側から現れたのである。もしも歩いてきたのなら、トンネルの奥側から現れるのが当然の結果なのに、わざわざ遠回りの佐田あさ美が通ってきたルートで現場に入ったのだ。別班の捜査によれば事件発覚の前後一時間に国道沿いを歩く警官の目撃者を探したようだが、誰一人として警官を見たものはいなかった。
 警官の自宅捜索で殺害に使用されたと思われる鈍器とナイフが回収されたと、喫煙室に駆け込んできた者が言う。
 本当にあの警官が犯人だろうか?

水中では動きが鈍る 3-1

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 夕刻の住宅からは夕食の匂いが換気口を伝って外部に漏れ出していく。日はすっかり暮れて、突然のカーチェイスから一転して白バイの登場は急展開で終幕。数分遅れでやっと別班の捜査員たちの車両が到着したが、まだ白バイが現れた詳細な説明は誰からももたらされずに淡々と逃走と暴走の警官に連行が進行していく。
 警官は主張する。「交通違反に大層な面々が揃っているじゃないか。どうしてですか?教えて下さいよ」口を開き、両脇を抱えた捜査員に対して悪びれる態度を微塵もみせずに言い放っていた。かくいう、種田もそれには同意見であった。納得の行く説明を求めているのはここで呆然と立ち尽くしている4名の刑事たちに共通していえること。
「白バイって、何かのパトロールの最中だったんですかね?」鈴木はぽかんと口を開けて話し始めた。
「さあ、ただピンポイントで登場したよな?ずっとついてきていたのか?」ようやく相田一人が後部座席のドアを閉めた。住宅からは騒然となった現場を眺める二階からの顔が餌を待つひな鳥のようにいくつか覗いていた。
「しかし、警官が逃走した理由がわかりませんね。なにか隠し持っていたのでしょうか?でもそれも、おとなしく家に帰ればこうやって調べられなかった……」種田も遅れてドアを締める。バタンと音が鳴り響く。
「あいつに聞けば全て判明するさ」熊田は高原のおいしい空気を吸うように煙を吸う。
 倒れた白いバイク。
 フロントタイヤが宙に浮いた車。
 種田は現場の様子を写真のように克明に脳内に記憶した。
 すっきりとしない感覚が体内を支配しているのはなぜだろうか。
 突然の出来事にまだ対応しきれない箇所が存在するのだろうか。
 空気が冷たくで気持ちいい。
 カラカラと白バイのタイヤが空を目指して動力の名残で回転を楽しんでいた。
 警官の身柄は署へと移送された。アスファルトにはタイヤの跡がくっきりと残る。事件は解決したのだろうか、モヤモヤの疑問を抱えながら熊田たちは行きとは正反対の安全運転で帰路についた。
 暴走した警官の取り調べは、熊田には伝えられずにいたが喫煙室で署員が話す内容を総合するとだいたいこのような道筋だろう。鑑識の神からもそれとなく情報は伝わってくる。