コンテナガレージ

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パート1(3)-3

「いいえ、怖いから話を合わせていただけ」女性はぐるりと目を回した。電車の駆動に、笛の音、車両がホームを去る。風が吹き抜けた。

「ポケットの物を出してくれないかな?」素直にカードを差し出した。未練はない。「ありがとう」

 彼女が立ち去るのを見送り、鞄のずれを跳ねて直してから階段を下りた。地下鉄に乗り換え、二駅目で路線を変える。そこから二つ揺られた駅が自宅からの最寄り駅である。バスが集結するターミナル駅だ。駅に着くと電話をする決まりなので僕は公衆電話に近づき、背伸び、手をのばして受話器を掴み、水色の小銭入れから取り出した十円を投入する。

「もしもし、駅に着いたよ、これから帰るから」

「遅かったわね、寄り道でもしてたの?」身を案じる質問ではなくて、制限のはみ出しを懸念しているのだ、僕は真実だけを告げる。

「図書館で本を借りていたら、電車に乗り遅れたの。それに友達のお姉ちゃんとばったり会って、お話したから」

「わかったわ。家まではまっすぐ帰ってくるのよ。お料理教室で手が放せないんだから。気をつけてね」

「うん」受話器を戻して、財布を上着、サイドのポケットに入れようとしたら、何かが進入を拒んでいた。銀行のキャッシュカードである。公衆電話がその時に鳴った。僕は躊躇うことなく、爪先立ちで重たい受話器を受けた。はい、もしもし。

「そちらのカードをご使用ください、金額が足りないようでしたら、ご希望の額を入金させますので」

「監視していますね、こちらを」

「ご自宅まで見張るようにとの命令ですので」

「あの女性に渡したカードは初めから盗まれる前提で、本物がこちらというわけですか、マジックみたい」

「我々だけでなく、これからは接触が頻繁に交わされるでしょう」

「自信がおありですね」

「自由は制限とセットです。豪邸に住んだとしても、普段使わない部屋の掃除は面倒で、しかも掃除のために自宅へ人を入れることはもうすでに自由とは言えません」駅前の信号に佇む人物は二回の青信号を見逃しているのを、右目が捉える。監視されているらしい。

パート1(3)-2

「具体的な普及はそちらにお任せします、そういった方面に興味はありませんので」

「製品化は来年初旬を予定しております。それには……」

 僕はさえぎる。「わかっています、出資者を納得させる詳細なデータが必要なのですね」

「はい。私どもとしましては、価格の三パーセントの契約を望みます」

「五パーセント」

「ご冗談を」男性が声を出さず、顔に皺を作って笑った。

「私はすべて真実を話しています」つり革から芝居がかった様子で乗客が倒れこむよう優先席の赤いシートに収まる。「これは失礼をしました。はい、肝に銘じておきます。それとですね、必要に際して自由にご使用いただく銀行口座も作っておきましたので、気兼ねなくご利用ください」

「監視の下で、という意味ですね?」

「はあ、何からなにまで、まったくその通りです。どうしてもと言われるのであれば、私が専用の講座を秘密裏にお作りします」

「結構です、使えれば問題ありませんので。見られても予測は難しいでしょうから」アナウンス、ターミナル駅へ電車が到着する。隣の男性が、稼動を再開した。口元を拭い、左右に視線を走らせる。車内もざわつき、降車の準備でいくつかの上半身が見えた。話していた男性も立ち上がる。車線が変るため、ホーム進入前は大きく車両が揺れ、これに任せて男性はこちらへバランスをわざと崩し、カードを、僕の抱える鞄と体に滑り込ませた。半透明のケースに入ったカードである。男性はよろめきながら、通路を進行方向へ歩き去った。隣の男性がそわそわ、降りる時に僕が邪魔なのだろう、気を利かせて、早めに立ち上がってあげた。後方の席から、外を眺める外敵への印象付け。カードは校章の刺繍が縫われた胸ポケットに投入した。

 駅に到着、具合の悪そうな優先席の女性も立ち上がって降りるみたいだ。僕はデッキに陣取り、一番に降車。人の流れを一旦、見届けてから優雅にホームを降りるのが僕のスタイルである。一緒に降りるとなんだか急かされるみたいで疲れるのだ。声がかかった。

「警察だけど、驚かせてごめんね。電車で話していた人は誰なのかいえる?」尋問だろうか。覗き込むような視線は、あきらかに僕を見透かしている。

パート1(3)-1

 二駅を過ぎて、席が空いた。車両は混雑時に内部まで人の収納を可能とする長椅子だけではなく、二席が両サイドに配された作りの車両であった。僕は空いた席に腰を下す、背中の鞄を胸に抱えた。隣の男性、白髪のスーツを着た人物は、かしげた首を車両の揺れとタイミングを合わせるよう上下に動かしていた。完全な居眠りである。通路を挟んで右隣の人物が、次の駅を出た地点で馴れ馴れしく僕を呼んだ。まるで、ばったり友人に会ったかのように。

「あれっ、いま学校の帰りかい?おじさんもちょうどお母さんのところに顔を出しにいくところだったんだった。偶然ってあるもんだね。それよりも大きくなったんじゃないかい。うんうん、少し見ない間に子供は大きくなる」音量は若干抑え目、乗客は前の駅が乗り換えの駅だったため、ほとんどが降りていた。前の席はここからは人が確認できない、背もたれから飛び出す頭頂部は見えない。声をかけた人物の前の席は二人とも前の駅で降りていて、その後誰も座っていない。後ろの一人がけの椅子は左右ともに優先席で、空席だった。

「どちらさまでしょうか?」僕は話しかけた人物へ冷徹に訊いた。その人物は声のトーンを低く変える。

「右目から入った信号は左脳、記憶をつかさどる領域を刺激、周辺部を活性化、能力の向上に貢献します。ご自身で、短期的なものから長期的あるいは、記憶の取り出しやそれらへの関連性について、これまでと異なっている見解はあるでしょうか?」どうやら駅前の人物の話をこの男性が続けるらしい。

「基準を設けていないため、まずは明確な始点を計る基準を設けるべきでしょう。散らばったデータほど無意味な情報はありませんから。ですが、おっしゃることの意味は理解できます。記憶に関しては、あまり効果は上がっていない、というのが現状でしょうか。記憶の概念を試験や一般常識に当てはめて考察すれば、その出力を口頭と文字の書き出しに特化した場合においては、ええ、成果はあまり期待されないほうが賢明でしょう。あなた方は処理速度は求めていないと僕は考えています」

「記憶の連結、芋ずる式に記憶が引っ張り出される想像こそ、我々が求める現象。精神安定を促す治療に、無意識の刷り込みや思い出さない悪しき記憶が現状打開の妨げになっておりまして、医療機関やセラピスト、精神科医たちは、連なった記憶の接合が見つけられれば、日常に復帰させられると豪語しています。それだけ、はい、記憶は、我々にとって重要なのです」人の気配、右の視界、人がつり革に掴まる。席は空いている、不自然な行動だ。僕は声を潜める。

パート1(2)-4

「また、お話をさせてください。詳細は後ほどお知らせします」

「方法は?」

「家や学校以外の場所で、お渡しします」男は女子高生、僕と別れを惜しむ彼女を引っ張り、黒のセダンで走り去った。ロータリーに学校の職員が降り立つ、教室で会った教師だ。目標はやはり僕のようで、一直線に不法駐車の車を乗り捨て、近づく。

「まだ駅にいたの?話していた男の人は誰ですか?」高圧的な問い掛け。これは叱りではなく、単なる怒りだ。

「友達のお姉さん。男の人はそのお父さんです」

「名前は?」

「サトウさん」

「どこのサトウさん?何組?」

「うちの学校じゃありません」

「じゃあどこの学校?」

「家の近くです」まったくもって不毛なやり取り。教師はメモを取っている。覚えられないのか、それとも他に覚えておくべき事柄や抱えた難問に挑んでいるのか。おそらく、どちらでもない。

「早く帰りなさいね、次の電車には乗るのよ」支えている、遠くから見守っている、これが教師の原動力。家族がいるのかもしれない。どうでもいい、切り捨てよう。車両に乗り込む僕はデッキに立って、データの観測を彼らに提供するべきかを考えた。有益な医療に適用されたら問題はないか。左目、まぶたが痒い。真っ白な眼帯は、マスクのようにいつも鞄にストックされる、家には大量に買い込まれていた物がある。母が買ったのだ。償い。自らの精神安定の作用を含んでいるが、僕は現実を受け止めて意見を飲み込む。乗り換えのターミナル駅、高架下の車道、車のランプが赤く光る。渋滞の苛立ちをハンドにぶつけるドライバーを見てしまう。僕の世界を破壊するように後続への合図が怒りを帯びて観測されてしまった。