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K国際空港二階 出発ロビー 60番ゲート前

あの稚拙な言葉遣いはどこで覚えたのか、搾り出した末の発言に聞こえた。気負いを削ぐと残り現れる像である。開け放たれたドアの戻りを手で支えた、私の居場所、閉ざされてなるものか。剥奪権を譲り渡す、そう受け取れたら考えを改めるか。いや、私は普遍的な事象と手を取り合う、変わってるのはあなた方。置き去りにされた一握の欠片をより集め、現実に引きずり出して、見せる。感動的でしょう、かつて置き忘れた一部であるのだから、居所の知れない懐かしさは的確な感覚を揺るがす。
 手を上げて、即座に引っ込めるカワニを目に留めた、サングラスの歌手は視界を外れた、搭乗ゲート、ベンチに姿はない。
 ギターとリュックを背負った。ひたひた演奏が近づく。
 便名のアナウンスは架空の、存在しない私たちだけに向けた、いわば暗号。ツアー客の前に私たちは搭乗する筈であった。お客がちらほら姿を見せ始める、出発に遅れてなるものか、通常よりも余裕を見て空港を目指す行動は必然に思う。私たちがそれを見抜けなかっただけのこと。
 そろそろ乗客、いや観客が集まり始めたとカワニの落ち着きのない態度がわかりやすく空気を伝う。帽子を脱いだ私の姿をしかし彼は、元に戻すことの指示は控えた。ここは客前、会場で言うならば入場前の行列である。揉め事に取られるカワニの指摘は演奏へマイナスの影響を、お客がそうは思わずとも心理的な不安を煽ってしまいかねない、考えていないようでカワニはマネージャーとしては実に有能なのだ。
 さあ、とアイラは気を引き締めた。
 初舞台だ、失敗は覚悟の上。お客も理解をしているだろう、手探りな不具合をわざと見せなくとも揺れる室内が身勝手にアクシデントの手助けをいの一番に買って出るのだ、流れに任せる。
 ギターを手に持ちかえる。リュックを背負い直した。アキが最も荷物が多い、続いて事務所員の楠井、カワニは三番目で、私が最後。これは手荷物に限った観測で、預けたスーツケースをいれると二番と三番が入れ替わる。要するに身の回りの支度を整える所持品の多さは女性に軍配が上がる、ということだ。ちなみに、アイラは通例を外れ、またアキは私の衣装が荷物のほとんど占めるので、事実上二名の所属事務所プリテンスの社員の比較に行き着く。実に局所的なデータであるが、彼らは現代の当該年齢層の実態を如実に表してくれている、観測結果の正当性は脇においても、主だった流れを把握する指標としては手軽な試験体に属する。
 実験だ、お客の前でもそのようにアイラは伝えている。いつもの断りである。ライブの告知情報に、入場の注意事項に、日程の真下に大きく見落としのないようはっきり書きつけた。
 三人を先に行かせ、チケットをJFA航空の地上係に手渡す。女性にこのような接客の仕事をやらせるべきではない、息巻いていた女性社長が映像に浮かんだ、どこかで取り入れた情報が時々ノイズみたいに現実の意識に感応してしまう。現実の映像の重要度は低いので、その分視界の三分の一ほど脳内の画面にスクリーンを投影する彼女だ、蚊に指された思えば痕が残らず消える。
 上下左右を囲う橋を歩く、
 一度カワニが振り返った、彼が先頭である。つられて衣装バッグを肩に担いだアキも振り返る。楠井は右手の窓、滑走路と飛行機の尾翼を眺めてフライトに胸を躍らせる横顔をこぼす。
 性別を越えた共通の価値を受付係に求めると、女性側からは若い男性の受け答えを願う。問題は生じるだろう、男性の前に気後れする女性の気質や中年以降の年代が好意を抱いてしまう自責の念。与えられた仕事を超える影響を訪問客に与えてしまっている。機械に任せてはどうだろう。人件費とメンテナンス費用ならば、長期的な営利活動の場合、後者が安く上がる。刻々と搭乗間際を襲う搭乗に関する変化に機械がついてゆけるかどうか。
 アイラは考察と別れた、不快な映像も切る。
 緩やかにだか、頭は回り始めた。いつもは背負うギターが右手にぶら下がる。がらがらとキャリーの車輪。
 上空の音が聞きたくなった。
 音に合わせよう、それがすべてだ。セットリストの変更は大いにありうる。もちろん、お客は白紙、事前通知なしで搭乗し、席に着く。ベルト解除のサインが開演、ということだけを伝えていた。
 共通性、が肝だ。
 フライトの課題、異状な環境を利用する。
 アトラクションに並ぶ乗客が相似、ワンダーランドに足を踏み入れるとそこは異空間に早代わりするのだ、個々人の最上の空間にさせよ、内部がはやし立てる。 
「私を、殺せ」アイラは抑揚ないアクセントで呟く。ロボットみたい、無機質でしかし言葉の意味は放った傍から放射状に全身を染めた。
 窓が終わる。角を曲がり、明るさが変わる。女性客室乗務員が二人、ドアの継ぎ目で出迎えた。仕事、割り切った徹底振り、それは短期間の在籍の証でもある。左手に案内をされた、先導しなくても、と思う。右手がエコノミー、客席は空っぽであった。半身の客室乗務員が待機の姿勢を解除した、アイラたちは彼女に続く。
 十九席。
 最後尾の窓側の二席がアイラの目に付く。ハイグレード・エコノミー、このフロアの滞在はアイラたち四名に限られ、ツアー客の出入りを禁じる。表示板を立てかけて移動を禁じるのか、それともお客の良心に任せて口頭で告げ通行が不可能であることを訴えるのか、客室乗務員等の行き来を考えると後者が望ましいか……、アイラは控え室の安らぎが侵害しかねない事態を思い浮かべた。
 思い思いの席に三人が座る。アキは最後尾の列の中央三席を確保していた、バッグは既に背の高い乗務員が荷物棚に荷物を押し込む。カワニは最前列の中央に座る、彼はいち早く離陸を望む一人だろう、自宅の観葉植物が枯れ果てる寸前、その異変に気づき、現在予断を許さない症状らしいのだ、私が車に乗り込むや否や唐突に運転席で体をねじり伝えたのだった。なんでも、彼の同居人が毎日水を与えていたことで根腐れを起こしている。助かる見込みは一割程度、渡航準備に忙しい中貸しスタジオに私を迎える前に管理人に許可をもらい、その植物を置かせてもらっている、と必死に訴えた、湿度と温度が保たれるスタジオ内は乾燥に気をつければカワニの植物にはぴったりの生育環境であるらしい。
 それら植物たちは一般に私たちに癒しを与える。だが、四六時中は一緒にいられない、当然である。それでも時間が空いたら世話をし、応えるかのように子葉をつけ、つぼみ、開花、散り、種を実る様はなんとも世話人と無関係に思えてならない。
 数歩、最後尾から進む。アイラは立ち止まった。
 客室乗務員が仕事を全うする前に、持ち上げたギターケースを頭上の荷物棚にしまう。
 腰を下ろして、外を眺める。準備は整った、という合図だ、シートベルトは締めた。
 楠井の頭が飛び出ては、引っ込む。飛行機が苦手、と彼女は助手席でカワニに告げていた。前回の搭乗は先月の九州ライブツアーだったはず。物販の応援に彼女は借り出されていた。仕事と割り切った態度だったのか、事件に巻き込まれ当日のフライトに乗り遅れて急遽宿泊に変更した時安堵に胸をなでおろす様子は見られなかった。離陸間際の変貌への対処も考えておくべきだろう、アイラは言いくるめる文言を複数例考え出す。
 窮屈なベルト、自らの意思による発進を連想してしまう。自動車の記憶とリンクを果たすのだろう。
 時間は過ぎ、
 離陸までの待機は自分以外の誰かのために待っている、
 乗客が苛立つ意味が読み取れた。通路のカーテンが閉まる。
 "思い通り"、利便性の果てに露呈する愚かな、確実にその身に宿る人の本質。私が玲瓏であると公言したつもりがあってたまるか。知覚し自覚、だから発現に身をゆだねては意識をそらすのだ。
 高まる期待、
 通常との比較は難しいにしろ、異質であることは席に着くと後戻りができない状況、異空間に誘ってくれる浮遊を観客は思い描くのか、彼らの心理に寄り添えたアイラは機首を変える見慣れない地上の平たい作業車を密かに出迎えた