コンテナガレージ

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3-4

「ええ、つい先日に」店員はすまし顔で応えた。

「いつごろですか?」

「先週、手術の前の日です」

「覚えていないな」

「無理もありませんよ、皆さん、忘れて帰られますから。思い出して店を訪れたのは、今年であなたが二人目。もしかして、あなたも頭を代えたの?」

「はい」

「体は覚えているようね」パイの匂いが鼻をついた。何も覚えていない、いいや、内部が言葉への変換を拒んでいるようだ。だけど、思い出さないように厳重に鍵がかかっている。ジュースを飲んだ。そうしたらもう、掴みかけた記憶は消えてしまった。何を考えていたのかさえ、思い出せない。甘い、苦味に反して。

 考えてる間に、パイが運ばれた。甘いものが好きなようだ、けれど、どこか違和感が拭えない。しかし、おいしい。食わず嫌いだったのかも。うん、そうだ、そうに決まってる。電話だ。端末を耳に当てる。彼女だ。体の心配、午後には帰れると伝えた。

 パイを平らげたら店を出る。車に乗って渓谷を抜けた。下は断崖絶壁。速度低下を求める標識が目立つ。これからどこへ行くのだろうか、ハンドルをカーブに合わせて切る。家に帰る。ハンドルを戻して加速、トラクションがかかる。どこから来たのだろうか。スピードが上がる。どこまで振り返れるか?次のカーブが迫る。病院の診察は何のためか。アクセルを踏み込む。ガードレールが近づく。入れ替えた、一体何を、頭をだ。対向車が行過ぎた対向車線。反応が遅れた、ブレーキ、悲鳴を上げるタイヤ、衝突、衝撃、空中、浮遊、落下。ああ、思い出した。だが、眠ったら思い出せなくなるんだった。でも、もう大丈夫。すべて思い出せる、だって二度と目は覚めない。ガードレールで人が佇む。あれは僕だろうな、自分に見送られるとは。左右に引いた口元のままで意識は途切れた。