コンテナガレージ

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あちこち、テンテン 6-4

「生活のためにのみ生きている、息をつなぐのは苦しいことだと知っていながらも、やっぱり生活は大事か?」私の声だ、少女の口からは宅間の声が聞こえる。どうしてだ?状況を見込めない。私は話してはいなし、聞こえたのは少女の口からだ、間違うものか。音が反響したと思えない。機械的に収録した音?いいや、滑らか過ぎる。笑っている少女。動かないのに、生きていて、それは私の声色で話しかける。異質。幻。昨日の寝つきが悪かった、もしかすると夢かもしれない。窓口の椅子で私は眠っていて、無理な体勢だから恐ろしい夢を見させて起こそうとしているんだ。
「なにをいっているんだい。君、学校はどうしたの?」精一杯の受け答えだった。けれど、相手の笑みは消えない。蛍光塗料だったようで、かすかな暗闇でぼんやり傍らに立つ少女が光を帯びている。光沢の笑み。後光が差したような仄かな明るさ。
「枠にはめたがるのは大人の悪い癖。海外では飛び級という制度によって頭脳に応じた進級制度が設けられている。私が平日の昼間に都会の中心街を歩いているのは、あなたからの局所的な観測でしかないのよ。わかって?」かしげた首は、古典的なお嬢様、そう執事でも控えている人物を想像させた。

あちこち、テンテン 6-3

 立ち上がる少女の口元が赤に染まっていた。驚きを隠せない、一歩後退する。何か動物を肉に食らいついたような口元の汚れ方。恐怖がよぎる。私は食べられてしまうのではと、宅間は左右、逃げ道を探す。少女が一歩前に左足を踏み出す。それに呼応して宅間も後ずさり。冷涼な空気は汗の冷却効果だ。戦慄なのでは決していない。これが幽霊というものだろう。霊感の類はまず持って私には備わっていないと思っていたが……。
 にこやかとは言い切れないが、赤い口は左右に力なく引かれている。緑のコートだろうか、きっちり首までファスナーが絞まっている。また一歩の接近。
「な、何か、用かな?お父さんか、お母さんが車を預けているのかな?」子供だからといって、わかりやすいように大きな声でしかも普段は絶対に多用しない言葉遣いで宅間はご機嫌を伺った。けれども、相手は一言も発しない。室内は暗い。
 すると、少女はおもむろにポケットから拳銃を取り出した。ただそれは子供がよく使う水鉄砲である。安堵したのもつかの間、少女は床に液体を発射する。宅間の足元にも被弾。色は赤、彼女の口元と同系色。かすかに闇で光る塗料だ。べったりとした印象。腰を抜かした宅間は、必死で窓口に後ずさる。
 少女の口元がわずかに引きあがる。連動して彼女の左手も稼動、液体が銃から発射された。
 文字を描いている。


 S
 O
 S


 救難信号。起源は船の救難信号だと記憶する。最近では、どこでもその意味さえも知らずに、救助を求める信号の意味合いが主流だろうか。誰に対する助けだろうか、宅間は少女を見つめて考えをめぐらす。突発的に刺される可能性をはらんだ距離を自分はとったのか。少女の形容には猟奇的が最も当てはまる。まだ余裕がある証拠。こんなにいろいろと考えが飛躍するんだから。
 少女がこちらを向いた。やっぱり、口の周りの液体は血液にしか見えない。聞いてみようか、いいや、言葉が通じるとは思えない。そっと携帯に手を伸ばす、右のポケットだ。軽く体を斜めに死角を作る。

あちこち、テンテン 6-2

 頭を振る。狭い、窓口を出た。じっと座っているからだと、体を動かす。回転機構の真円のアルミ、滑り止めの凹凸。危険を知らせる黄色いランプと、食物連鎖の頂点に立つ肉食動物のイメージカラー、黒と黄色の縞々が車の出入り口を囲う。黄色の回転灯は赤色と緑もあったように思うが、それぞれ効果が異なるのだろう。緊急性を伝えるという意味ではどれも同じなのでは、色の違いを見出せない、宅間隆史である。
 ぼんやりと外をまた眺めた。人が通過。うん?宅間は疑った。顔を突き出す。わざとらしく目をこすってもみる。少女が姿を見せたのだ。通行人のように左から右、右から左の登場ではなく、上から下の落下による登場である。ここはビルである。一軒家のように庇や二階の窓は存在しない。本当だろうか?いつも見逃しているビルの外観を思い出す宅間であるが、一向にビルの詳細な形、色、窓の数や大きさは浮かばない。見ているようで何も見ていないのだった。
 少女は降り立つ、しゃがんだままだ。傘を持っている。黒い傘。女らしく、腕にかけている。緑の服装。横顔が染まらない白さを誇る頬。二つに結ばれた髪。映画のワンシーンみたい。
「そこにいたら危ない」宅間は注意を促した。避けるようにというのは少女のためを思っても、安全を考慮した呼びかけではない。仕事の邪魔になるから。いつだってそうだ。お客のためといいつつ、人を言葉巧みに騙していたのは誰だろうか、ほかならぬ私ではないか。本心ではない。ただの金銭の絡んだ、大々的な金銭を介した仕事という名の搾取。名前が知られてサービスが一般的であるから素直に、疑いを持たずにお客は金を落としていく。

あちこち、テンテン 6-1

 宅間隆史は同僚を休憩に入れて立体駐車場の勤務をこなしていた。日の傾きを待つ静かな時間、人が流れて時たま、車が一台、二台と入ってくるのみ。忙しさとは無縁の生活。かつてはスーツを着こなし会社に勤め、この町へ通っていた。しかし、今といえば、比較すれば嫌悪感しか抱かない。嫁もわざとらしく大げさに下がったの。給料に文句のひとつも言ってくれれば多少は楽で私に居場所も与えられるのに、彼女は気を遣い、何も言わない。ただ、苦しさややりきりなさ、日々の食生活の切り詰め、衣服は去年の物を、もちろん休日の娯楽は転職してからはどこへも出かけていない。息子はかろうじて幼稚園へと通わせているが、嫁にも働いてもらっている。幸いにも、彼女は自由になる時間が持てて、アルバイトに精を出している。生活費を稼ぐためにだ。本来の姿ではないと自覚している。そんなことは重々承知だった。頭を下げた。嫁はしかし、怒りはもたない。ぶつけても来ない。仕方ない、できることをする。彼女の主張で救われた私。しかしだ、こうしてまた給料の下がった生活でも安定がもたらされると、かつての自分を思い出し、憧れてしまう。とんでもなく自分勝手な私が生きている。わかっているそれはこれは、余裕が生み出したかつての幻影で、取り合うだけ無駄というもの。戻れないと、言い聞かせてはいる。だけど、でもと再現を望む私の登場回数は頻発する。