コンテナガレージ

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あちこち、テンテン 5-3

「質問の意図がわかりかねます」店主はあからさまに不機嫌に顔を曇らせる。先ほどの言葉が伝わっていないらしい。もしくはわざと苛立たせる為の作戦か?それだったら大成功、掌握術を心得ている。侮れない。侮る?立ち向かってどうするというのだ。
「答えてください、とても重要なことです」鼻を掻く仕草で熊田はここぞとばかりに低音で発言。
「一人です」僕は目を瞬く。「質問の意味をお答えください」
「無理を言って店を開けてもらうと、アリバイが生まれる。この店に滞在していたなりよりの証拠が出来上がる。だからですよ」入り口の種田が斜に構えて会話に割って入った。おとなしそうな印象とは裏腹の声質、女性では低音の部類に入る、しかしざらついてはいなかった。クリアとも違う、協和音。複数の音が合わさって歪みが掛かっているみたいだ。面白い声。自分で気づけないのはもったいない、多分聞いている人物にだけ伝わる作用。
「正確な死亡時刻とやらが出ているのですか?」
「なぜそう思われるのですか」熊田がきいた。
「おおよその死亡時刻を元に、時間帯に適合するアリバイの有無は捜査を行う上では重要な要素ではないのですか。あの、やはりこの質問の意味が私には見出せません」
「死んでいると、思われた理由を最後にお聞かせください。私は一言も死んでいると発言していません。事件が起きたとしか言っていない」内面を投下する鏡のような表情ない熊田の血色の悪い顔が、こちらをうがった見方、角度で覗いている。事件、犯罪の類は私とは無縁。無意識にそのような犯行に及んだとも思えない。仕込んだ料理がそれらを物語っている。
「人が亡くなった、それに少女が殺されたと二回も強調しました。忘れたのですか、それとも私に鎌をかけたとお思いだったら、手際が悪すぎます。見えすぎてもまったく見えてなくてもいけない。真実をはさんで嘘を刷り込ませるとうまくいきますよ」
「ご忠告に感謝します。通じませんか。いやあ、申し訳ありません。最近の人は、一口で何かを話してはくれません。こちらが何か情報を提示しない限り、いいや、なにを言っても話してくれない人も中にいらっしゃいます。だから、あなたのような人がいて、うれしくて、ついその興奮してしまって」
「刑事さんの知り合いに似ているからでしょうか?そちらのほうが原因だと思えますけど」
「ご指摘のとおりです。それにしても、いいにおいですね」鍋には丸鳥ともみじ、鳥と豚のガラに加えて香味野菜を入れたスープを火にかけていた。寸胴に満タンでもうかれこれ三十分ぐらいか。そろそろ火を弱める時間である。店主は、ふたを布巾で掴む。ちょうどスープが湧き始めていた。弱火にして、あくを取り除く。網杓子で水の張ったボールに。
「ただのスープです」
「この少女です、見覚えがありますか?」熊田はカウンターの天板に写真をおいた。店主は振り返り、しかし手には取らず顔を近づけて顔を見つめる。笑っている写真ではない、怒っているか不貞腐れている少女の写真。現在のものではないだろう。ずいぶんと引き伸ばされてしかも顔は白黒だった。好意的な態度による撮影の許可が下りたとは思えない代物。
「いいえ、初対面です。もうよろしいですか?」上目遣いで刑事を見つめた。刑事はため息、駒はもう出し尽くしたらしい、しおらしく写真を上着にしまうと背を向けた。そうかと思うと挨拶を忘れたように名刺を取り出しカウンターの同じ位置に置き、何かあればご連絡を、そう言い残して、二人の刑事はドアベルにまぎれて退出した。

あちこち、テンテン 5-2

「パトカーが止まれば、事件でしょうし、警察の訪問で確定的です。あくまでも予想です」
「あなた以外の従業員は何人です?」熊田は種田に代わり質問を続ける。
「三人ですが」一店一店、周辺に同様の質問を投げかけるのか、店主は疑問を感じる。「あの、先にお聞きになりたいことを話していただければ、互いに有効的な時間を確保できると思うのです」
「こちらの理解はあまり受け入れられないのが通常でして、つい回りくどい聞き方になってしまう。それでは、単刀直入に聞きます、ランチタイム後、仕込みの時間に店を訪れた人物を覚えていますね?」
「ええ、常連のお客さんです。あの方がなにか?」
「その人物が書いた短編小説の一編に状況が酷似しているのです。出版済みの書籍です、当然大勢の人がその物語を知っていて犯行を似せてもおかしくはない。が、現場近くで彼が目撃されていました」
「常連さんです、近くに仕事場や住まいなどがあったのでしょう。偶然というには強引。むしろ、見かけるのは当然でしょう」
「ええ、おっしゃるとおり。ただ、その発表された小説には明記されていない状況が現場にはありました」
「といいますと?」
「小説というのは何度も手直しをするそうでして、その変更前の記述、表には出るはずのない内容が、現場の状況を再現していました」目を見張るとでも思ったのか、刑事の両目はらんらんと輝き、僕の心理のゆれをあぶりだそうとしている。店主は咄嗟に感情を引っ込めた動きを後悔した。刑事には隠し事に見つかったまたは、虚をついたとの誤解を招きかねない。もう遅いか。短時間で状況は一変するものだ、先ほどまでは安穏と平静と今日のランチを対象者に合わせ、売れる。店に入らせる料理の構想に時間を消費していたのに。映画の、ドラマのあるいは刑事が話題に上げた小説のように、非現実がつき先ほどの僕を置いてけぼりにして、厨房の片隅へ鎮座させる迫力と相手に入り込む度量にはただただ感心する以外に言葉が見つからない。見つけようとしている僕がいることもたしか。
 これほど、世間での僕は無口であり、しゃべる理由を頻繁には見つけられない。だとすると目の前の二人の刑事はそれに値する、ということか。またさらに無駄な思考。早く帰ってくれないか。これは本心、まぁ数分間の強制的な誘いを甘んじて受け入れるのが彼らの言う市民の役目。
「出版社の人間かその小説を書いた人物、後は出版前の内容物をこっそり盗み見たその方の家族、恋人、それに近いしい人物、または彼らのそして会社、仕事場に潜入し出版前の改変前の作品を見た人物かのいずれか」店主は思いつくまま言葉に換える、普段ではあまり見られない店主の性格的傾向。
「……出版物に関わったのは本人、作者と出版社の担当者と校閲の人間の三名だけだそうです」熊田は確信を得たように数年振りに道でばったり出くわした旧友に語りかけるような顔で急に親しみをことばに込めた。「しかし、あの、あなたによく似た人物を私は知ってます、しゃべり方も似ている」
「似ているのですから、それは私ではないということです。それを私に伝えて、何の意味が?感覚は共有できません」
「似ている……」口が画然、意思を持って再度、セリフをはいた。思考がキャンセルされている。
「お聞きしたいということは、これで終わりでしょうか。ご覧の通り、仕事をしています。あなたがたと同様に」
「もうひとつだけ」立場を思い出す熊田。「ランチの時間外にこの店を開けたのは話に出た常連客一人だったでしょうか?」

あちこち、テンテン 5-1

 ハンバーグの大々的な勝利はお預けに終わった。六対四の割合の場合は継続経過に移行し、翌週に同じメニューで割合をはかり、そこで七対三の割合に分かれるとハンバーグをメニューに定期的に登場させる。また、支持が七割に達しないときは、もう一品を変えて動向を見守る。選択時間の削減のためにランチメニューは二品である。これは決して作り側の手間を省くためではない。
 店主は、ハンバーグを今日のメニューから一旦退け、ビーフシチューと競わせるもう一品を早朝の厨房で思案していた。本来ならば昨夜に決めているはずである。この頃の季節は夏から秋の匂わせる時期にさしかかり残暑によって日中は外気温を上げるが、だらだら汗をかくほどの真夏の気候ではなくなっていた。食欲が急に増し始める季節と夏場の疲れが気温差で体に表れもするだろうから、あっさりとした味つけが好まれるのだろうか。
 店主は腕組み、構想を練る。ドアベルが前後左右に錆びついたかつての金色を鳴らした。見慣れない風体の二人。皺がよったスーツ、どんよりとした気配の中年男性と二十代の女性である。表の看板はクローズのはずだ。外から僕を見つけて、開店と勘違いをしたのかもと店主は考えをめぐらす。
「まだオープン前ですが」スーツの男はざっと店内を見渡す。話を聞いていない様子で、返答がない。もう一人は入り口に立ち尽くし、じっと一点を見つめている。
「……O署の熊田といいます」熊田と名乗る刑事は、手帳を見せて店主に向き直った。
「同じく種田です」入り口の女性が感情を殺した面持ちで口だけを動かす。
「隣町の警察が、うちにというか僕にですか用事があるのは?」
「僕?」熊田は聞き返す。久しぶりに見た反応、一人称を咎められたのはいつ以来か。自分のことを名前で呼ぶ女性は許容されるのに。
「失礼。昨日、この通りで人が亡くなったのをご存知ですか?」顔の前で手を振る熊田は通りに首を振って切り出した。
「いいえ、パトカーが止まっていたとは聞いていますけど、それ以上は何も」
「客商売なのに?気になりませんでしたか?」
「うちで起きた事件ではありません」
「少女が殺されました。昨日の午後二時半過ぎです。その時間はあなたはどちらにいらっしゃいました?」
「テレビと同じですね、質問はそうやって唐突に切り出すんですか」
「我々がテレビに寄せているともいえますね。誰に聞き込みを習ったのかといえば、警察学校では教えてくれませんし、指導係の上司にだって懇切丁寧な指導は期待できないですから」
「熊田さん話が逸れています」ロボットのような話し方で、女性刑事の種田が話題の方向を修正する。
「これは失礼。お店は二時から休憩ですよね、入り口の表、黒板に書いてあるとおりディナータイムまでは仕込みですか?」
「はい。私は休憩を取らないので、ずっと店にいましたよ」
「昨日も?」
「ええ」
「事件のことはどなたから聞きました?」
「従業員からです」
「事件を知っていますね?先ほどは知らないと言ったのに」種田が言う。

あちこち、テンテン 4-3

「大丈夫ですか?」心配している声も声色で真剣さの度合いが測れる。鼻で笑う私。店員はいぶかしげに見つめる。背の高い店員、彼目当てのお客もこの店では多数。当の本人はそれに気づかぬように振舞い、羨望を受けてきた自信は外側の鋼で覆い、内部はだらしなく非対称。
「何もされていない、大丈夫よ。それよりも、この窓ね、問題は」重さに耐えかねて塗料は垂れる。まだ、彼女の姿は見える。捕まえられる距離だ。けれど、私は窓の対処を考えていた。店員は、緑の後姿を見つめている。「予約のお客さんって今日は何人?」仕儀は聞いた。
「えっと、五時と六時半に一人ずつです」
「新規のお客さんを今日は取らないように。五時までにお客さんのサービスは終わりそう?」
「三時には終わるかと思います」
「わかったわ。とにかく、これを落としましょう。手が足りなくなったら呼んでちょうだい、片付けるわ」
「僕も手伝いましょうか?」
「手があいたらね」いるはずの通りに何気にまた存在するであろう人物を視界に納めようと顔を向けたけれど、底には少女の特徴的な後姿は何処かへ移動していた。なぜか少女がまだ後姿を見せてくれていると思えていたために、少女が消え去った通りが殺風景に感じられた。
 一週間に一度、休みの前日に窓ガラスの汚れと水滴を拭き取るワイパーを持って仕儀は店内のお客に会釈、壁に描かれた前衛的なアートはあっさりと水と洗剤の混合によって排除された。特殊な塗料ではなかったらしい。ついでに、アスファルトの赤い斑点にも洗剤をたらす。痕は消滅、黒に濡れたしみが地面に残った。なぜ、私はあの緑の少女を逃がしたのか、自分でも説明がつかない。私が汚れた窓を彼女に洗わせることを強制する権利を主張すれば、まかり通っただろうに、ただ離れる背中を見送った。

 赤の塗料は少女の血に見えていたのかもしれない。周囲に迷惑をかけるのでも、自らを犠牲その血液をばら撒いているのなら、ペンキのそれよりも自主性や付随する思想が感じられた。でも、少女は何もしていない。取り除ける塗料をまいた。水を流せば落とせる。つまり、一過性の衝動性のよる行動ではない。落ち着いて対処するように警告を促していたのかもしれない。見せ掛けの緑。あいまいで不釣合いな表情は捉える側を尊重していたとも考えられるか。あるいは、まったくの変人であるとも。私が指示した可能性を候補に上げてみた。仕儀は口元を緩めた、大きく笑う。声が出ないように口元を覆って。肩、背中が激しく小刻みに振動。
 乾いた布で窓の水滴を取り除く、動物園の檻の中の気分を外にいながら味わえた。小さい頃、動物園には一度だけ連れて行ったもらった覚えがある。特別、楽しくはなかった。知らない場所に足を運ぶので私は精一杯、人が多くて疲れて眠かった記憶しかない。今考えると子供に動物を見せて親はなにを思うのか。子供がすべて動物を好きかといえば、大人になった自分たちが一番はっきりと自覚しているわけで、体験させるべき経験ではないように仕儀は思う。まじかで動物を観察し、なにを獲得するのか。驚きか人間以外の動物の生態か、それとも子供が喜びそうだからという安易な発想か。見たいと言ったのだろうか。私は言ってはいない。要求は我侭であり、受け入れるのが普通だったから。
 久しぶりに思い出したかつての家のありかただ。
 約十分で窓拭きを片付けて、仕事を再開。午後六時、最後のお客を見送って閉店。明日は火曜日。窓は仕事中に拭いてしまえた。今日は私のおごりで月に一度の食事会を開く。店は最近オープンした通り沿いのレストランに予約を入れた。所要時間は数分。十分前に店を出て、昼食分を取り返すべく私を含めた四人は食事に向かった。