コンテナガレージ

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摩擦係数と荷重4-2

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 被害者は女性、人間である。体には無数の傷と死因の鈍器による殴打。死亡推定時刻は午後9時から深夜0時にかけて。死体の発見は通報者と同一人物。思い出した、通報者の証言をもとに捜査を始めたのだった。そうだ。もし発見者の彼女が現場を通らないとすると発見は遅れた。

 犯人は彼女に発見して欲しかったのだろうか。彼女の終業時刻を知っていた?

 発見を恐れない場所に捨てた理由は見つかる時間が重要ではなかったから。それならば、どこに捨てようとも犯行を目撃されない場所ならばどこでも良かったと推察できる。しかし殺すことに意味を見出した犯人ならば、死体を隠していたほうが次の犯行にも挑みやすいだろう。どうして、リスクが生まれるような死体の捨て方を選択したのか。疑問が残る。ただ、スリルを味わいたいのならば行動の意味も頷ける。見つかる見つからない、と殺しの両者を楽しむのだろう。では、ターゲットはどのようにして選ばれたのか。ランダムに選んだとしても被害者が姿を消した場所や死体の遺棄現場などから犯人の行動エリアが知られてしまう可能性を生み出すだろう。それも、犯人にはこの上ない喜びなのか。理解はいらない、ありのままを受け入れることが捜査の先を見据えられる。

 事実だけ。

 鈴木は向かい合わせのデスクの対角線上に座る種田がいつものように物思いにふけっているのを気づく。すると子守唄の誘いのように眠くなった自分のまぶたが落ちていく。

 「朝から寝るな」熊田がドアを開けて入ってきた。種田も閉じていた目を開く。

 「おはようございます」鈴木への注意が種田にも意図されたように伝わる。よく通る種田の声が室内に響いた。

 「すぐに出るぞ」

 「どちらへ?」種田は熊田を斜め下から見上げる。

 「レンタカー会社」

 「犯人がレンタカーを使用していたのですか?どこからの情報です?」種田の手がデスクに乗せられる。

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 現場に残されたブレーキ痕からタイヤ及び車種の特定には至らず捜査は振り出しに戻り淡い期待も消えた。それ以降の先週はめぼしい収穫はない。そろそろ疲れの溜まり始めた熊田たちであったが時間通りに出勤してきた。今日は、直接現場には向かわずに署からの始まりらしい。

 週があけた月曜日。

 「おはようございます」種田が抑揚のない話し方で挨拶をする。

 「はあー、おはよう」両腕でYの字を描いた鈴木がスプリングの軋む背もたれに体重を預けて大きなあくびをした。種田は空席を確認し、熊田及び部長の席が空いたままなのを入り口から見て取れたのだが、席に着きトイレや喫煙、その他別の用事で席をはずしているという選択肢をも排除した。「熊田さんならまだだよ」

 「わかっています」

 「そう。あーあ、こう何日も事件が起きないと捜査のしようがないよ」鈴木はぼやいた。部屋には2人だけ。先週二晩続いて発生した二件の事件は関連性を認められ捜査の重要度も増していった。自殺の線は完全に消されて事件つまり殺人か事件としての扱いに変わった。しかし、現状は捜査の糸口を見失い行き先すら見えていない。事件性の有無が知れただけである。時を同じくしてマスコミは隠していた事実を鋭い嗅覚で嗅ぎ分けると大々的に取り上げてしまい、警察も隠していたわけではないと弁明を広報担当がかしこまった形式だけの文書で伝えていた。ここで、恐ろしいのは事件を事件として取り上げた場合、犯人がそれを望んでいたとすれば、犯行の再犯を助長してしまうことにある。それでも、現状の打破には証拠を残す再犯にいくらか不謹慎な期待を寄せる捜査担当者がいるのは確かである。

 熊田の到着を待って、種田は喫茶店の店員である日井田美弥都の言葉を思い返えした。

摩擦係数と荷重3-4

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 「いいや、いい。ただの感だ。根拠なんてない。すまん。忘れてくれ」神は逃げるよう言うと素早く立ち上がり歩いていった。

 灰皿を脇に寄せて種田は姿勢よく座り、窓の外、ほとんどが内部が映る景色で落ち着けた。

 昔、姿勢が悪いと怒られた。

 箸の持ち方が汚いと言われた。

 挨拶がないといわれた。

 笑えとも言われた。

 遊べとも勉強しろとも本を読めとも言われた。

 話すな。しゃべるな。うるさい。静かにしろ。

 窮屈だった世界は押し付けの中にあって、私が取り戻せなくなる。忘れてしまったのだ。どうして私だけなんだろう。

 感情が邪魔だった。いらないとおもったから捨てた。楽しくもうれしくも泣けどもその反対の悲しくもないならいらないだろうと。しかし、代償として世界が停止した。色でいうと真っ白。どれも形、特有の色が消えたのだ。無機質。宇宙遊泳。朝の3時がずっと続いているのだ。

 私は私をどう捉えればよいのかと自答する。

 誰の世界なのか。

 私の世界。

 なんといわれようとも私が決めるのだから、白い花に黄色と名づければ完結する。

 感覚の共有が私に責務で特異なことで察するセンサーの感度が自慢でもあった。 

 けれども、どんどんと私が居なくなる。合わせている私。

 本当の私は何がしたいのだろうか。

 制限のつきの鎖の範囲でしか動きが取れない。

 ただの透明な鎖なのにサーカスの像は子供頃からの刷り込みで逃げられないと意識に蓋をした。

 私もだ。

 常識にのっとれば、真面目すぎると言われ、かといって堕落した生活が送れるほど未来をなめてはいない。

 手が痒くなる。左手の湿疹はストレスの象徴。

 耳が聞こえなくなった時期もある。世界が別次元に一段下がったような感覚。遠くで夢の中での声のようにかすかに聞こえるぐらいでしか音が聞き取れない。

 音は必要ないのだと体が悲鳴を上げた。

 人の言葉がうまく聞き取れなくて人が離れていく。

 唇を読み取ることを覚えた。それでも、雑音が入るとうまく聞こえない。

 伝聞の拒否。

 収穫もあった。なんとなくだけれど、本当か嘘か正義か悪かの区別は声や口調、話し方で悟ることが出来るようになった。しかしそれはより私を埋める力となる。

 私も嘘を付かないように心がけた。 

 回りはみんな自分を大げさに見せている。どれだけ先を走り知識を持ち、能力が優れているかを見せ合っていた。興味がない。まるで騙しあい。

 けれどなかには、有り余る力を隠す人もいた。周囲が劣等生だと決め付けている人である。どうして、見せ付けてやらないのかを考えてみた。そこには私がいたのだ。

 私が優れているとは言っていない。ただ、その人は本来の自分を抱えつつ現在に適合させていた。私は、拒否していた。だから、抱え込まないで脇に寄せていつもにらみ合っていた。白いペンキを塗ったフリをして。

 何でこんなことをいまさら思い出しているのだろうか。種田は、まだ喫煙室から戻ってこない熊田に上司からの命令を受けに部屋を出た。

摩擦係数と荷重3-3

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 早手亜矢子は特に目立つ行動を普段から取ってはいなかったようだ。つまりそれは、意外な行動を取らないと彼女から事件に結びつく線はかすかなでしかない。事件は被害者からは辿れないのかもしれないと鈴木は車のシートに落ち着けて思う。空はもうすっかり暗く、人の気配は消えていた。情報を求め、熊田と種田の2人は署に戻ってきた。夕方のラッシュに巻き込まれて大幅に余計な時間を消費し熊田のイライラが増していた。車内で長時間煙草が吸えなかったのが原因でもある。署に到着すると二階に上がるなり、熊田は喫煙室へ入っていく。そんな熊田をよそに種田は、会議室へ直行する。二件目の事件で人員が増えたために会議室にはまばらに捜査員の姿。青い制服を着崩した鑑識の神がまた一番奥の席、窓側で煙草を吸っている。

 「お疲れ様です」じっと神が振り返り目線が合うのを待つ。見つめてここは禁煙だと訴えるつもりだ。

 「おつかれ様。相方はどうしたんだ?」

 「喫煙室でしか吸えない煙草を吸っています。行かれたばかりですから、今いけば会えますよ」

 「わかったよ」種田の視線に観念したのか神は煙草を灰皿押し付けた。

 「種田さんの言うことなら聞くんですね」制服の女性警官が通りすがりに声をかけてきた。神が威嚇の目を向けると女性警官は身を引いて抱えたファイルをぎゅっと胸に押し当ててその場を去っていった。

 「それで、何か用かい?あんたは、用がないとこないだろうけど」

 「まずあんたではなく、種田です」

 「ああそうだった。それで用件は?」

 「工場地帯で発見された死体についてです。身元以外の情報は何かわかりましたか?」

 「ああ。事件とは無関係だと思うが……現場に残されたタイヤ痕の一つが一件目の現場に残されていた痕と一致した」

 「大いに関係性が認められると思いますけど」

 「被害者については特に主だった新情報はない。それ以外ならと挙げてみただけだ」

 「……また被害者からは何も見えてこない」

 「君でもそうやって落ち込むんだな」

 「落ち込むのは私であって神さんではありません。どうやって私が落ち込んだと判断されたのでしょうか」