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ワタシハココニイル4-3

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「理解しているみたいです。父親のことは死んでから口にしません、私に気を使って言わないようにしているだけかもしれませんね」

「お子さんに話を聞いても宜しいですか?」

「父親のことですか?」

「はい」

「……思い出させるのでそれはやめて下さい。まだ気持ちは散らかっていると思います」

 話の最中、灰都が小走りで駆け寄り母親と種田の間に座り、ノートと教科書を広げる。「ここでやってもいい?」

「自分の部屋で勉強しなさい、今大事な話をしているんだから」

「なんでダメなの?」灰都は透き通った目で母親の顔を覗く。

「どうしても」

「我々はそろそろ帰ります」熊田は腰を上げる。

「おじさんたち、お母さんのお友達?」灰都が見上げて聞いた。

「友だちではありません」種田が通常の対応で少年に答える。二人は数秒切り離された世界を形成した、そうかと思うと街ですれ違う通行人のように他人の距離感に移行。野生動物の無言のやり取りのようだ。

「なにか気づいたことがあればご連絡下さい」熊田は帰り際、理知衣音に名刺を渡し種田を促してマンションを後にした。エントランスの自動ドアを抜け寒空の下に晒された時、後方のドアが開いて声が聞こえた。

「待って」灰都が上着も着ずに白い息を吐いている。「お父さんのことを聞きに来たんでしょう?」

「ああ、そうだけど。お母さんに聞いたのかい?」熊田はポケットに手を入れたまま質問する。

「ううん、お母さんには内緒。だって、お父さんのことは聞いちゃいけないんだ。でも、おじさんたちはお母さんじゃないから言ってもいいんだ」得意げに少年は小刻みに体を動かして話す。

「お父さんのことでなにか知ってることはないかな?その、死んでしまう前の」

 「お父さんとね、約束してたんだF1を見せてくれるってさぁ。チケットが買えたの、前はうんと高くて買えなかったからお父さんお小遣いを貯めて、僕もお年玉も貯金したんだ、それで今度はF1が見られるぞって言ってたの」

「どこでチケットを買ったの?」

「お母さんには内緒だからお父さん、会社のパソコンでね、注文したの」少年は嬉しそうに小さな拳を口に当てる。「コンビニでチケットが買えたんだ。でも、お父さんは車でぶつかったんだ」

「取り寄せた資料にそのような記載はありません」種田は熊田の耳元に囁いた。

「チケットはどうしたんだい?」熊田が屈んで灰都と対等な目線で詳細を尋ねた。

「お母さんに見つかると怒られるから、僕がこっそりお父さんの服から取ったんだ。だめだよ、お母さんはこのこと知らないんだからさ。おじさんたち、約束してよね」

「約束するよ」

「お姉さんも」

「私も?」

「そうだよ、おじさんだけじゃあずるいじゃん」

「約束するわ」

「さむいさむい。さむいはいたい、いたいはくるま、くるまはやい、はやいはおそい」そう言って少年は自動ドアの中に吸い込まれていった。

「チケットですか。信じてもいいのでしょうか」種田が呟く。視線は上から見下ろすマンションに注がれてる。

「黙ってることも誰に教えられたのではなくて、自分で考えての行動だろう。それに秘密は絶対という信念も持ち合わせてるようだし、話が二転三転したりはしないだろう。母親の前で話さなかったのも彼なりの優しさ。一番気を使っているのは母親よりもむしろあの少年のほうかもしれん」

「やけに肩を持つんですね」

「一応、子供だったからな」

「私もです」

「本当か?」

「運転を代わりましょうか?」

「悪かった、謝るよ」

ワタシハココニイル4-2

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「いいえ、元々あまりしゃべらない人でしたから、よっぽどの出来事がなければあの人は黙っています。確実でないと話さない人だったので」

「仕事は何をなさっていましたか?」代わって種田の質問が飛ぶ。

「加工食品の会社で働いていました。私もそこで働いています」

「現在もですか?」

「はい、今日は休みで、子供がいると定時に帰らなくてなりませんので残業の埋め合わせに代わりに日曜にも出勤します」理知衣音はくぐもった声で言った。「私の現状が夫の死と関係あるのですか?」

「あなたが殺した可能性がもっとも有力で妥当です。夫を失って以前と生活環境が劇的に変化していたら疑うべき事象、とこちらは解釈します」

「やっぱり私を犯人に仕立てあげたいようですね」諦めたように理知は言葉を吐く。

「既に事故車は解体されていますから証拠を探しだすのは不可能。残る手立ては近しい人の記憶と証言しかありません」

「だから事故の時に何度も、もっと詳しく調べてくれって頼みました。でも応えてくれなかった」

「事故を解明したいという目的で私たちは来たのではありません。ですから、当時のとり合わなかった証言は大変重要な手がかりと考えています。旦那さんの死には無関係かもしれませんが、別の角度から観察すれば見えてくる事柄もあるでしょう」

「どういう神経をしているのかしら、まったく」理知は冷めた目で交互に刑事を見やった。そしてかすかに笑みを取り戻す。「だって普通は嘘でも真実を見つけようと私に言うもんじゃあないの?」

「嘘はつきません」種田が言う。「正直に話している。あなたは不鮮明な対応に嫌気が差していた。私たちは違う。目的は正直に伝えました、協力するかしないかはあなた次第です。断っても構いません」本心のやり取りで、種田の意思表示は敏感な人間にピンポイントで送られる。熊田は黙って二人のやり取りを見守る態度だ。

「まるで息子に言い聞かせているみたい」理知が呆れて言う。

「年代や場所を問わないと私は思います」

「変な人たち」口を抑えて理知衣音はこらえきれない笑いで声を出した。「すいません、あまりにも堂々としているもんだから、ついね。話しますよ、あなた達になら。でも、事故の前はほんとうに変わったことなんてなかったと思います」

「ただいまあ――」玄関には大きさで勝るランドセルに押しつぶされそうな躰が挨拶をしていた。「こんちには」ペコリと頭を下げる少年は脱いだ靴を揃えて理知の隣に立つ。

「息子の灰都です」少年は不敵に笑う。理知は尋ねた。「宿題は出たの?」

「うん、さんすうとね、こくご」

「おやつは宿題が終わってからね。ドーナッツだからね今日は」

「やったー」灰都はくるくると飛び跳ねながら自室に入っていった。

「元気ですね」熊田が言う。

「ええ、それだけが取り柄みたいなものですから」

「彼に父親の死を伝えたのでしょうか?」種田がまた踏み込んでずかずかと土足で歩きまわる。

ワタシハココニイル4-1

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 死亡事故の遺族は明記された住所で変わらず生活を続けていた。マンションの二階、外観は年代を感じさせるレンガ模様の赤茶色。利便性を加味すると郊外より多少高額ではあるが、交通費や移動に費やす時間を差し引くと生活環境としては都市部に合っている。種田は熊田の後ろについて廊下の水滴をみていた。

 熊田は部屋番号と名前を確認、インターホンを押す。

「はい」警戒心を持たずにドアが押し開かれると、小柄な女性が顔を覗かせた。

「O署の熊田と言います。亡くなられたご主人についてお聞きしたいことがあります」女性の顔が曇る。悲愴と言うよりかは、怪訝あるいは嫌悪と表現が可能。種田は後方で観察する。

「……今更調べる気になってもあの人は戻りませんから。申し訳ありませんが、そろそろ息子が返ってくる時間なのでお引取り下さい」ドアが引かれる寸前で熊田は足を差し入れた。女性は怯むどころからキリッと熊田を睨んだ。

「事故を蒸し返そうとしているのではありません。はっきりと申し上げますが、ご主人の無念を晴らそうとは思っていません。亡くなったのですから、我々が手を尽くそうともあなたの気は晴れないでしょう。ただ、ご主人がもし不慮の事故ではなく、引き起こされた事故に巻き込まれたのだとしたら……」

 熊田の訪問理由を彼女は遮る。「運転ミスじゃない、誰かに仕組まれたとでも言うんですか?」

 そこで種田が前に進み出る。「現状ではどちらとも言えません」

「捜査は打ち切られたじゃない!」風呂場のように廊下に声が反響する。買い物袋を下げた同階の住人は通り過ぎて部屋に入る前に一度熊田たちを見たが、流れる動作で躰はドアに消えた。

「事故とも言い切れない、しかし故意にハンドル操作を誤ったとも言えるのです」種田は女性の開きかけた口を手のひらで制止し、続ける。「単独でしかも交通量の少ない早朝の時間帯で起きた事故は目撃者がいません。もちろん、事故か故意かの判断はできかねますが、いずれにしても原因の特定は不可能。これが現状、警察の見解です」

「協力は強制するくせに事故の原因はわからないって、そんなの間違いを犯したくないのが見え見えなんですよ。事故にことかいて事実をうやむやにして、言い逃れを考える暇があった新しい証拠を見つけてくださいよ!」

「奥さん声が大きです」

「あんたに奥さんなんて言われたくない。もう夫はいないんだから」女性はうつむいて、躰を震わせた。彼女が泣き止むまで廊下はひっそりと漏れだす声が鳴り響いた。

 彼女は気持ちが落ち着くと刑事たちを室内に迎えた。時刻は午後の一時を過ぎたあたり、こじんまりした居間に二人は腰を下ろした。彼女は理知衣音という名で、苗字は旧姓には戻していないようでこたつテーブルに置かれた封筒の宛名には理知の文字が書かれていた。見えない位置に物を移動させただけでことさら片付いたとは感じない種田が室内をキョロキョロ見渡すと目線が熊田とぶつかりやむなく出されたお茶に行き着いた。

 「亡くなる前に車について不具合や違和感を訴えてはいませんでしか?」熊田はお茶に手を付けず、テーブルについた理知衣音に尋ねた。熊田は多少顔が近いと思ったのか、体をずらす。

ワタシハココニイル3-3

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 M社からも尋ねられた質問なのだろう、受け答えに迷いがない。時間を掛けて構築した考えだと、鈴木は感じる。「こちらも同意見です」

「ならば、わざわざ足を運んだのは何故ですかね。私以外にもリコールの車が見つかったとか?」

「今のところ、そのような報告は受けていません。あなたを訪ねたのは身を案じてのことです」サイトへの書き込みは伏せておく。やり取りで有利に立つには手札の数よりもいつ使うかにある。

「映画みたいに走行中に爆発とか、エンジンを掛けると木っ端微塵に吹き飛ぶとかですか?」おどけるように不来が言う。

「あれはあくまでも映画ですから。日常ではもっと単純に人が死んでいます。爆弾を作る労力より刺し殺したり突き落としたりするほうが割りと一般的ですからね」

「刑事さんが赤裸々に語りますね」不来の口の端が片方だけ引き上がる。

「新聞を遡れば入手可能な情報です、隠蔽はされていません。テレビが食いつかないだけです」

「へえ、刑事さん、なんていうか達観してますねえ」今度は顔全体に皺が寄る。女性が好みそうな顔立ちであると、男の鈴木にも感じ取れる。無機質な室内は一人暮らしの男性としては綺麗すぎるし人の気配がまったくない。所有には興味がないのだろう。そういう男もいる。だいたい男がフィギアを飾っていて当たり前なんて幻想はそもそも生活に余裕を持つ選ばれた人間のみだ。日々の生活で手一杯の人に人形を飾る選択肢はない。

「麻痺したんだと思います。こうしないと正常を保てないのかもしれません。私のことはどうでもいいですから」

「冷めてしまいますよ」

「ああ、ではいただきます」鈴木は液体と外気の温度差で立ち上る湯気を一吹きしてコーヒーを喉に流し込んだ。「……おいしいですね、これ。うんと、でもどこかで飲んだような気がするなあ、気のせいか」

「味が分かるんですね。これまで飲んだ人は他との違いを並べるほどコーヒーを飲んだことがないくせに一番美味しいと簡単に感想を言いますから。それ、喫茶店から買った豆で淹れました」

「その店、綺麗な店員が働いています?」

「ああ、ええ。刑事さんでもきれいなんて言うんだな。もっとこう客観的に物事を捉えるのかと思っていました」

「これは、その、個人的な意見でして、捜査ではないですから。私も仕事を離れればただの人ですから」鈴木は照れ隠しにもう一口。

「思い出した。あの店で車の不具合を発見したんだった。話しに出たその店員が指摘してくれたんです、車がおかしいって」

「おかしいと彼女が言ったんですか?」

「正確な表現は忘れましたけど、今直ぐに車を見てもらうべきだと強く主張するもんですから、その足でディーラーに点検をお願いしましたね」彼の話し方の傾向は客観的に事実を捉えるということ。鈴木が綺麗と形容した店員も思い出し遡ってるようにみえた。 

「彼女、車に触りました?」

「いいえ、エンジン音を聞いていただけですよ。それだけで故障を見極められるのかって疑いましたけどね」

「しかし、検査してみると異常は見つかった。原因は何だったんです?」鈴木は知らないふりで話を訊いた。

「よくはわかりません、部品の劣化だろうと聞いています」

「故障部分はすべて同じ箇所でしょうか」

「ううんと、おそらくはそうだと思います。なにぶん、エンジンルームや下から覗く足回りを見せられても私には何がなんだか。あの車だって思い入れがあるわけではなくて、まあ新車で購入したのだから数年は快適に走ってくれる願望を持っていたのでしょうね、本当なら別の車にのりかえていますよ」

「でしたら、車種を変えたらいかがです?M社から乗り換えを提案されたはずです」

「提案?まったくありません。むしろ、早急に原因究明に当たるから代車で我慢して欲しいと言われましたよ」

「……」顧客の流失を恐れたか。他社に赴けば乗り換えの理由を聞かれるかもしれない、情報を漏らさないための引き止めか。しかし、不来の口ぶりでは積極的な引き止めや優遇措置は行われなかったように思う。

「刑事さん?」不来が上目遣いで声をかける。

「ああ、すみません」 

「私、そろそろ仮眠を取りたいのですが、お話はもう宜しいでしょうか?」両腿に手を当てて立ち上がる仕草で不来が退去を促す。

「はい。お忙しいところお時間を割いていただいてありがとうございました」

 玄関扉の隙間が広がった途端に視界を埋め尽くす雪が目に入った。玄関まで見送りに出た不来にコーヒーのお礼を述べて、鈴木は滑らないよう車に急いで戻った。