コンテナガレージ

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再現と熟成2-1

 帰宅直後から倉庫に篭って新装のギターをかき鳴らす。音は許容範囲の歪みを羽織って揺らぐ。ありありとステージで歌う私を思い浮かべての演奏。

 座っていたので立つことにした。マイクはさすがに用意できない。跳ね返ってくる音にどう対応したらよいのか。シミュレートで湧き出す疑問の一つ一つをつぶさに解消していく。時間はあっという間に過ぎて明るさの感覚さえも鈍くなって、暗くなればなるほどに内入って、不要な情報が削除され高まる集中力に従い続けていた。

 でも、アランの吠えと私の空腹のサインで現状を取り入れ、ギターをスタンドに置いた。立てかけるように保存するスタンドは母親からもらったものである。この歳になって誕生日プレゼントだそうだ。いくつまでが許されていくつまでで禁止されるのかの基準は曖昧で、親以外の例えば恋人からのそれならば手放しで喜んでしまうのなら、プレゼント自体を悪者扱いする要因はないのだ。だから、プレゼントは大げさに感動を表さないまでも素直に受け取ったのだった。

 欲しいを要求してはいない。ただし、何時も母親は私の必要な物を買い与えてくれたように思う。それは、一過性の流行に左右されないプレゼントで二、三番手に位置する品々だった。感動は薄い、でも、それは長年手元にあって私を離れる時期は一番目よりもいつも後だった。

 アランを撫でて、夕食。食卓では今日の出来事の押し付け合い。私はいつも聞き手。それが私のポジションで長年培ってきた家族でのバランス。人の意見は私を更に拡大させる。対極の意見は、同意を保留して袋に詰め込んでおくといざそれにまつわる話を誰かにされても怒りや反対意見を探そうとはしないで、ああ、そうそう、そういう意見もあるんだと、取り合わないで付き合っていける。

 母親は私の今日の行動を尋ねることはない。どこで何をしていようとも私はあなたではないんだから、これが母親の口癖である。弟に対しても私となんら変わりなく、応えられる要求に対処し、できないものはできないと遮断する。竹を割ったようなというよりかは、数十年物の伸びすぎた杉の木に似ている。

 私が出来上がったのは母親と父親の影響によるところが大きいだろう。特別二人共私に強勢はしないために、一方的な見方で判断を下すことを私は持たない。もちろん、左右によりはするが、固定はしない。常にどこかフラフラで落ち着きがないと他人からは映るらしい。