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空気には粘りがある1-4

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「鑑識の結果次第でここから捜査の方針が決まる。まあ、見たところ自殺の線は薄いが捨てきれないでいる。その程度の見解しかいえない。だから、先入観は捨ててむやみに動くのをやめにする。時間が時間なので朝にならないと情報は集まらないだろうし、それにだ、死体の身元を調べる必要も暇なうちに終えておきたいから、……鈴木に頼む」

「はい、わかりました」

「私は何を?」種田が髪を押さえているのはただ、正面の熊田が見えずらいからである。彼女には化粧や、見栄えと言ったこの年代の女性が併せ持つ道徳があてはまらないのだ。取り立ててしっかりとメイクを施していないにも関わらず肌の荒れやくすみなどが見当たらないのが周囲の女性たちから反感を買っているようだといつか署内の喫煙室で聞いた覚えがある。

「現場から何か証拠、あるいはそれに繋がる物証の捜索」

「熊田さんは何を?」

「被害者はどうやってここへ来たのだろう」

「なんです、いきなり」

「うん。不思議だとは思わないか。財布もないし携帯も持っていない、もちろん誰かに殺害されたのなら身元の判明を遅らせるための行動だと理解できるが、しかし、そう考えるとここへ死体を遺棄したことに矛盾が生じる。隠したいのなら、もっと別のそれも見つかりにくい場所があるだろうに」死体の所持品はいまのところ発見されておらず目下周囲、現場から約半径200メートル付近を捜索している。これらは鑑識の担当と種田の仕事。熊田は暗闇を見渡した。街灯で見える範囲には道路右手下に広がる闇と、左手の斜面に生えた茶色の木々。

空気には粘りがある1-3

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 熊田は鑑識によって運ばれていく死体を見送りながら現場を注視する。よく見ると現場には血痕のあとがほんのわずかしか周囲の土や草木に付着していない。死因は解剖結果次第である。しかし、外部からの観察によってわかったこともある。全身の擦過傷に、打撲の痕、腹部に残された広範囲の赤み、口から流れた血液が視認されていた。もちろん、自殺の類でないのは、感覚として察しただけであるが、明白な根拠があるわけではない。今日以降の被害者の予定が明るみにでたとしても、自殺であれば衝動的の確率が高く、明日の予定は頭にはないと考えられるので、自殺か他殺を判定は難しいと言える。

「熊田さん、まただんまりか……」熊田からの指示はすでに終えていた。最寄り駅はこの坂道を道なりに下ると線路を越えて駅が現れる。距離にして800メートルほど、所要時間は10分ぐらいだろう。行って帰ってきた鈴木の生の声なので信憑性は十分だ。寝静まった駅前には数台のタクシーがロータリーに待機している。車のエンジンは止まっているようで静かだった。鈴木がタクシーの運転手に話を聞いてきた内容は、終電の時刻は0時20分が下りの時間で、上りの終電は下りよりも先に駅を通過して本日の職務を終えるのだそうだ。一日の終わり現場を通過する人は下りの終電から降りた人間が有力であるとのこと。

「もうすぐで終わると思います、考えているだけですから」鈴木の傍らに立つ種田が風に流され乱れた髪を押さえてこちらを見ずにそういった。2人ともベクトルが一方通行のように鈴木からはみえる。

 種田の発言を聞いていたかのように、熊田が振り返り、2人に対峙する。いつもならば吸っている煙草が今日は手元にない。現場保存に気を使ったのかそれともたんに煙草を忘れたのか、はたまた時折吹く強風でタバコに火をつけられないかだろう。熊田は無表情である。

空気には粘りがある1-2

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「二、三時間かな、詳しく調べてみないと正確な時間はわからん」ジェントルな声の響きと受け取るか地獄からの誘いの声ととるかはひとそれぞれであろう。

「そうすると、ちょうど十二時から一時ぐらいですね。誰が発見したんですか?」鈴木が手帳を開く。先に現場に到着していた熊田に言っているようだ。

「そこのホテルの従業員が仕事を終えて帰るときに見つけたそうだ」現場を少し下っていくと右手にきらびやかな看板に休憩と宿泊の文字に料金。道路から奥まった位置に建物がある。一階は車の駐車スペース。ホテルに隣接して白い一軒屋が併設されている。そちらはオーナーの家である。

「こんなに明るいのにどうして発見が遅れたんだろう?」鈴木は高い声で呟いた。

「人が少ないのはではなく、歩いていないのです。下り坂の先には駅、最終の通過後でおそらくは歩行者はほとんどゼロになったでしょう」安易に口にした発言を指摘され、鈴木は言葉を慎んだ。種田は鈴木の後輩に当たるが頭の切れ具合は熊田と同等と言っても遜色はない。普段はこの熊田と種田のコンビでの捜査なのだ。どうして自分が呼ばれたのだろうか、と鈴木は思う。

「電車の最終時刻を調べて、現場までの時間を計ってくれ。だいたいでいい。それと、夜が明けてから駅周辺で目撃の情報を探す。かかわり合いを避けた可能性も高い」熊田のきりっとした声が2人と現場に届く。眠気を抑えて出勤した者たちにぴりりとした緊張が加味された。四月はまだ寒い。北の春は六月の後半からやっと夜風に上着なしで耐えられる気候となるのだ。これで雨でも降ればより一層春は遠のいてしまう。それぐらいの危うい気温。

 死体の性別は女性、二十代前後、茶色のジャケットにジーンズ。うつ伏せ。下ってくる車からは倒れている死体に気づくのは用意ではないと思われる。右のゆるやかなカーブから死体の先に左に曲がるカーブが待ち受けている。遠くからではガードレールで死体は隠れ、近づいても一瞬しか捉えられないであろう。助手席かまたは、左ハンドルならば目に留まる可能性もないとは言えない。明るい時間帯にもし死体が現場に放置されていたとすれば、発見はもっと早かっただろう。すると、死体が置かれたのは、辺りが暗くなってからだと推察される。

 4月の日の入りは、午後六時から七時前後。この時刻から死体が放置されていた可能性が浮かび上がる。しかし、あくまでも可能性であって、目撃者の証言からの推論でしかない。もしも、死体発見の目撃者が嘘を付いていると目撃者が死体を捨てるのも可能なのである。勝手に、目撃者を容疑者から外してしまったようだ。思い込みとは、恐ろしいものである。

空気には粘りがある1-1

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 道道二二五号線、O市の外れ、S市とは目と鼻の先。真新しいアスファルトの境目が目立つ。ロードヒーティーグの工事が冬の到来を告げた最中に着工していたことから、道路工事費を消化して造られたと言われても文句はいえない。

 急勾配の坂道、一つ目のカーブにだけぽっかりとガードレールが取り払われている。その空間に死体が転がっていた。周辺住民からの情報によれば、その死体が倒れていた場所にはごくたまに車が駐車されていたそうだ。死体がある現場は木が生い茂り、道路を反対側は絶壁、眼下には数件の家屋が見られる。近くは、下の平地に下りていく階段が設置されていた。

 話にあった車の所有者はこの数件のどれかに住んでいるだろう。付近に駐車場は見当たらない。片側一斜線、それも坂の途中である。駆けつけた警察車両の行き場は数十メートル下った先の開けた民家の敷地に収められた。どうせ誰も来ないからとその家の主人はそっけなく事件については興味なさげに答えて、屋内に消えていった。

 四月二三日、午前三時二二分。携帯の時計で時刻を確かめる。ここ数日は事件とは無縁の生活を送っていたからなのか、不思議と夜中に起されてもいらだちはみられなかった。自宅から程近い現場に到着したのは今から十分前である。すでにパトカーが到着済みで熊田に遅れてもう十分後に制服警官では対処の仕様がないとの判断で事態収拾に、本部からの要請で鑑識と刑事が二名が到着した。刑事二人は熊田の後輩である。

「お疲れさまです。お早いですね」白手袋をはめながらこちらに近づいてくるのが種田である。彼女はスーツに軽量なスプリングコートを着て登場した。春と秋に彼女が着ている型のコートをよく目にするが毎年本質的な形は変わっていないように見える。素材や、細部の微妙な違いが今ひとつわかりかねる。コートの新調は服を取り替えただけで、心も新たにとの外側からのアプローチ。多くの者は、まるで本質を見定めていない。彼女を除いては。

 熊田は、本屋で最上段の棚から本を探すような角度で夜空を眺めていた。彼女たちが到着したことは、知っていたがあえてとっさには返答しなかった。種田に遅れて運転席から鈴木が登場する。相変わらずの痩身で数年後に激太りしそうなタイプだろうか。にっこりと真意の測れない笑顔をこちらによこす。

「早いですね」早いと早い、遅いと遅いと言われる。とても単純な発言だ。挨拶にくっついているように軽々しい。二人を現場へと導く。先導などと言う大それたものではなく、あとを二人がついてきただけなのだ。片側の一斜線の坂を下る方向の通行を止め、下り坂の初めに制服警官が道路工事の誘導係さながらに無線で現場をさらに下ったあたりの警官と交信のやり取り。通過する車の間を縫って三人は道路を横断する。幸いにも等間隔で配置された街灯が現場にちょうどあたっていた。

「亡くなってからどのくらいでしょうか?」現場に屈み込んだ制服姿の男性に尋ねる。ぬすっと眠そうな目が種田に向けられた。