コンテナガレージ

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焼きそばの日2-1

 開店時間。店を開けると、人の列が入り口を圧迫。通常、行列の隊列は建物の敷地に到達すると折り返し、さらに入り口まで戻って、さらに折り返す。これを繰り返すのであるが、今日は人が入り口に放射状に集まっている。

 お客はどうやら店内の飲食に確信を得て並んでいる様子だった。鬼気迫る、そして是が非でもと一人一食以上を持ち帰る列を乱したお客と、店で食する目論見を考慮に入れた常識を携えたお客。二種類のタイプは瞳に浮かべた食事という共通点で店長には同一にカテゴライズされた。

 国見が店のドアに手をかける、するとお客が気持ち、にじり寄る。「店長、店内に入れるべきですかね。整列の看板を外に出しておいたのに」国見は一度店を出て、お客の整列を開店前に調節する役割を担う。それは今日も行われた。彼女は自分の非、体調ゆえの能力低下を悔やみ、不穏な事態を招いたのは私であると自らに言い聞かせるような口調だった。

 しかし、店長は起きてしまった事態の対処に忙しい。これが店長の性質。あまりにもあっけなく失敗を認めるような態度に店員たちは反対に行いを各自で戒めてしまうだろう。

 あくまでも店長は過ぎ去った事柄には興味がないのだ、問題は現在、目の前で起きていることへの対処が最優先される。事態の起点は後に考え、次にもしも突発的や不可抗力による抗えない類の出来事であれば、それはそれはとして受け止める。これに対し改善の余地ありと見なすのならば、つぶさに行動の即席を一挙手ずつ遡る。

「テイクアウトもお客さんも店内に入れる。うーん、お客を半分に分けようか。テイクアウトということは、入る前にお客さんに伝えようか。あとは中に入れて順次、お客を裁く。入り口を開けて通路を確保するよ。残ったお客は通常通りの列に並び替えてもらう」

「どれが先頭だか見分けがつかない」小川がピザ釜に隣接する窓を、遠くを見るよう額に水平の手を当てて店長に判断を求めた。

「いつも並んでいるお客さんを優先するよ」

「暴動がおきませんか?」館山が眉をひそめて顔を向けた。

「優先は好みじゃない。だけど、いつものお客さんにはそれなりのアドバンテージを与えていいんじゃないかな」店長は説得するように言った。「意見は必ず分かれる。全員の同意を得るのは、困難だ。意見の一致は誰かが必ず内に秘めた意見を押し殺す。それにいつものお客さんはまた次も来てくれるだろう、近隣に職場があるんだ。もしくは、出先の用事でたまたま昼の休憩時間にこの辺りに滞在する。しかし、その他の無秩序なお客は列の並びすらもお構いなしだ、最初に並びを誤ったのか、わざと間違えたのか、判断に困るけど、彼らとこれまでのお客とを天秤にかけるとおのずと答えは導かれる」

「常連さんを優先ってことですぅねっ!」小川が高い声で言った。

「国見さんなら大丈夫だよ」店長は国見に言う。

「蘭さんに任せるんですか!?なんなら私がこう大声で一発かましてやろうかと思ったんですよね」小川が腕まくり。それを館山が睨む。

焼きそばの日1-3

「もうアイディアが浮かんだんですか?」

「うーんまあ、それと帰りにブーランルージュにも寄ってきて。あそこでパンをそうだな、100本を受け取ってきてよ。とりあえず店にあるだけを。不足分は注文、持てないようだったら、他に誰か取りに行かせる」

「つまりですよ」興奮して小川が跳ねる。「店長が焼きそばパンを作るっていうことですよね?」

「焼きそばパン一つでは空腹は満たされないから、パンにスープとサラダを添える」

「うああ。それはちょっと、かなり魅力的かもしれません。私なら、いや、絶対に買いますね、うん」

「何を盛り上がってんの?」小川の背後から館山が訊いた。小川は振り返り、腰に巻きつけたばかりのサロンを解いて館山に手渡す。「な、何?慌てて、おい、どこへ行くんだ、おてんば娘!」

「ちょっとそこまで、ランチの容器を買いに店長のお使いです」小川は入り口脇のレジ台にかがんで小口の財布を取り出す。「店長、カップの数量は?」

「余っても構わないから、パンと同数を頼もうか」

「わかりました。それではいってきまぁす」

「あっ、小川さん、まだ……、ああ」

「お店、まだ開いてませよね」館山が呆れて呟く。

「業務用の容器専門店は七時の開店だった、そっちへ先に寄ってもらいたい。わかっていると思うんだけど、先にブーランルージュに行くかもしれないな」ブーランルージュの開店は午前十時。

「昨日、注文していたんですか?」館山リルカはパンの注文に疑問を持った、彼女は急遽決定した焼きそばパンへのメニュー変更を知らない。

「いいや、今日の分はハンバーグのバンズ」

「今日の分?ハンバーグから変更ですか?」ハンバーガーへのメニュー変更を決めたのが、日付が変わる終電前の時刻。当然彼女たち従業員は知らせていなかった。

「何でも、焼きそばしばりの日なんだってね。館山さん知ってた?」店長は新聞やテレビの類をまったく見ない。

「焼きそば?ああ、そうか」館山が勘を働かせて、状況を把握した返答。「ですけど、世間が浮かれてるだけで、傾倒するまでの盛況ぶりには思えません」館山は冷静、彼女は小川よりもキャリアは数年長い。何度か彼女にはランチのメニューを任せたこともある。絶対の信頼には欠けるが、仕事を任せられない技量ではない。及第点というところだろうか。本質的に彼女は間違いを恐れる性質を秘めている、それゆえ所作が慎重になりすぎるきらいがある。

 もっと大胆に、というアドバイスを店長は決して与えない。彼女自身がそれに気づくまで、それを必要と悟るまで。欠点を吟味する日々の振り返りによっては、多少指導めいた言動を伝えるかもしれない。ただ、あくまでも店長は見守る姿勢を維持。それは小川にもいえる。

 店長はあからさまに肩を竦めた。

「お客が求めるなら、甘んじて受け入れるさ」

焼きそばの日1-2

「どういう日?」

「すべてっていうのは冗談ですけどね」小川は舌を出す。「まあ、でも、焼きそばの日は間違いなく今日ですよ。ニュースで見てきましたからね、この充血した徹夜明けの目でね」

「そう自慢されても」店長は冷ややかに応えた。焼きそばの日。一年を通じて好き勝手、独断と利益を見込んで制定されたような日だろうか。祝日とはかけ離れすぎて、しかし、回りまわって許される現代かもしれないと、店長は思いをめぐらせる。

「テレビの受け売りを私なりの解釈を交えて話しますとですね、起源は東北のどこだったかな、まあ北国の町おこしが発祥らしくて、毎年人集めに役場や観光協会が中心となって週末に学校のグラウンドで店を開けてたのかな。そこで振舞われた焼きそばがおいしいって評判で、年々会場と集客数が倍倍に増えて、去年、いいや一昨年か、メディアが取り上げ、全国区のイベントに発展。国か政府が動きだして、焼きそばの日を今日に入れ替えたんです」と小川。

「よく覚えてるね」

「ははは、まあ、これでも一応黒板を見ただけ授業の内容は覚えられましたからね」

「だったら、料理の腕を上げる努力を惜しまないことね」厨房のもう一人の従業員、女性にしては長身の館山リルカが姿を見せた。「おはようございます」

「おはよう。あのさあ、二人ともやっぱり出勤時間が早いよ。給料は出ないからね」

「それは店長にその言葉を返します、そっくり。着替えてきます」館山のすらりとした後姿が奥の通路に消える。

「小川さん、焼きそばは他の飲食店でも、そのしばりは適用されるの?」

「もちろんですよ」小川は腰に手を当てて応える、ドリンクの効果が染み渡ってきたようだ。「お客は求めてますよ、今日は焼きそばだって。和食の店が急に焼きそばをメニューに加えるのには違和感がありありですけれど、でもうちの店だったら、焼きそばは許容範囲に収まります。和洋折衷ですもん」つまり、店の焼きそばを目当てにお客は足を運ぶ可能性が多少なりともあるということ。お客はランチに今日も足を運ぶ。そして、今日が特殊な焼きそばなる日であるのなら、時間の支配、流行の選択を今日だけだからという理由によって手を伸ばすか。期待の裏切りもときには必要。

「……小川さん、カップの容器を大至急買ってきて。ランチで焼きそばとスープをセットで提供する」店長は厨房の床を眺めた数秒後に、彼女に向き直って、指示を出す。時節に乗らないわけに行かない。お客が求める料理を提供するのはこの店の、店長のコンセプトである。

焼きそばの日1-1

 雨雲の色を何かに例えていた。店長は店に辿りつく時間をたわいもない妄想で埋める。常日頃料理人は料理の試作品を脳内でつくり上げる、体現する時は既に形や味の微調整が大半、というのが店長の理想。

 しかし、現実は異なる表情を幾重にも幾度も見せ付けてくれる。だから料理を仕事に選んだ、とでもいえるのかも。

 五月の連休が明けた平日の朝はまだまだ桜がちらほらとまばらに蕾ができはじめた時期である。桜にのみ、これほど強烈な執着心をこの国の人物は体内に宿す。この花を、植物を、木を好まない、または心を打たれない人もいるだろうに。

 なぜこれほどまで開花の情報が扱われるのか。店長には不可解な密室トリックの解答提示よりも驚かない、揺るぎない自信があった。根拠などあるはずもない。どこ、誰、なに、どれをとっても必ず答えが導かれる。

 開店前、本日のランチに取りかかる。日替わりのランチ。昨日からのデータ収集は一区切り、今日はまったく別のメニューに切り換えるつもりだ。

 季節の変わり目。的確な利用が店に求められると、店長は肝に銘じた。高級な食材や凝縮された一品または、長時間をかけた味の構築などの特殊な工程はこの店とは無縁の長物であるのだ。

 店長はポピュラーな料理をそのままというのは選択肢にすら入れない徹底振り。作れないことはない、技量は十分に持ち合わせている。だが、それでは集客は望めない。多くの飲食店がひしめく都会。左右を見れば、一本道を入れば、選び放題。目的の資金に見合った店が見つかることだろう。

 その中で生き残るこの店は、あえてそういった競争からは身を引いた。逃げているともいえるだろう。ただ、店長にしてみれば、戦略の一つであり、これは実験と感じている。

「昨日は、やっぱり飲みすぎましたかね。頭がしこたまがんがんと鳴り響いてます」厨房の従業員、小川安佐が青ざめた顔で出勤、猫背、前かがみの体勢でドアを開く。

「僕と同じ時間に出勤しなくてもいいんだけどね」店長は開店時間の二時間前に店に入る。開店は十一時で現時刻はまだ午前九時前であった。

「決めたことです。私にだってランチを任せてもらえるように勉強しなくてはいけません」

「休息も必要だって言ってるけどね、僕は」店長は蛇口をひねって、寸胴を満たす、ガスに着火。

「大丈夫ですよ」小川は悲壮な顔で笑う。「見ててください、三十分もあれば、栄養ドリンクを飲んで復活して見せます。今日は焼きそばしばりの日ですからね、忙しくなるのは目に見えてますもん」

 よろめいて奥のロッカーに消える小川の言葉を店長は反芻して、首をひねる。焼きそばしばり、とは一体何を指しているのか。皆目検討がつかない。それに忙しくなるとも言っていた。なぜ彼女に今日の忙しさが予測できたのか、店長はサロンの紐を縛る弱弱しい両手の小川に訊いた。彼女はふらつきながら厨房の段差に躓かずに改めてこちらに頭を下げた、朝の挨拶らしい。

「焼きそばしばりってなに?」

「あれ、店長聞いてませんでしたか?」ぷはあ、小瓶を飲み干した小川は袖口で口元を拭うと、あっけらかんと大事を言ってのける。「今日は全国の飲食店や食品販売の店はすべて、焼きそばを使った食品しか売ってはいけない、そういう日ですよ」