思い切って立ち上がった。顔を背けた人が視線の相手。館山は奥に長い店内、真ん中の列のちょうど真ん中辺りに座っていた。入り口側ではないな、と感じ即座に振り返る。
一人、さっと顔をそむけた人物。見覚えのある特徴的な髭。館山がそらした相手の視線を再度捕獲。間違いない、こっちを観察していた人物はフランス料理促進普及協会の田所である。
館山は立ったまま、豪快にグラスを傾けた。ストローを取って。
中腰の田所が通路を出入り口に向かい、歩き、駆けた。彼女は追いかける。財布をパーカーのポケットから取り出し、円いトレイを持ったウエイトレスに千円札を渡す。
「そこの席のお代です。おつりはいりません」
真鍮のドアノブ、ライオンの彫刻ドアを引きあける。左右を確認、視線を走らせた。
いない、くそっ、どこへ行った。左手の通路、ひらめいたコートが見えた。あっちだ。
走る。財布はバトン代わりに軽く手首を丸めるよう、右手に持って走った。人の間を縫う。角を曲がる。正面に人影。あっちだ。
遠くまで見渡せる、続く直線の通路だと道が勝手に開けていた、田所が走りぬけた証。それを頼りに、館山は追いかける。追いかける理由は彼女自身、明確に問い詰めていないのは、高まった衝動の矛先の処理に困るからだ、あいつに一言ぶちまけなくては、納まらない。
突き当たり、階段を上った。後を追う。踊り場で休む、田所を見つけた。
「止まりなさい!」田所は尻に火がついて、限界の体力にムチを打った。失敗、無言で忍び寄ればよかった、館山は後悔を即座に捨てて、階段を上りきった。
いない、どこだ?いた、タクシーだ、目の前のタクシーに堂々着席している。あっちはまだ館山の発見に気がついていない。
あの時、店内で無意識に気配を殺したから、反対に気配が浮き彫りになったのだ。
信号は赤。彼女はゆったりとタクシーの窓を叩いた。運転手が後部座席のドアを開ける。
「すいません、私も乗ります」
「わっ!」
「どうも、ご無沙汰しています。この間、店で会った以来ですね。それとも数分ぶりでしょうか」
「はて、何のことですか?私にはさっぱり」
「この制服に見覚えは、あなた達が大立ち回りをやらかした場所ですよ」
「あ、ああ、はいはい、四丁目の。ええ、そこの従業員でしたか」
「運転手さんドアを、ほら、赤信号から変わりますよ」