コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

永劫と以後 1-1

 三月下旬。巷をにぎわす究極栄養食品の販売開始から数えて約二週間。春めいた北国の目印、日中のプラスを越える気温と夜間の路面凍結、ところどころに顔を出す除雪車の削り痕が刻まれるアスファルト、それらが日をおいて、数日間の雪を経て、またまた日差しとまぐわって春を思わせる。

 二月の下旬に比済ちあみの指摘にあった他企業の栄養食品が販売され、爆発的なヒットを飛ばした。これらはお客の忘れた新聞、従業員、お客が話す内容が情報源である。「エナジー・セル」という呼称の商品は、地下鉄の車内や店までの地下道ですれ違う人々の口から、店主は日一回は耳をそばだてなくても聞こえていた。このような反響は街角、街頭に場所を定め、試供品を早朝から深夜まで、幅広い時間帯に配った効果と推定される。自宅から地下鉄、地下鉄から店への移動が主な屋外との接触である店主であっても売り子の姿を何度か見かけていた。

 しかし、栄養食品の栄華は彗星のごとく、また流星のごとく、儚く散る。約二週間前の類似関連商品の発売がその発端であった。当初、偽者というレッテルが商品名より叫ばれた。今思えばそれは比済のしたたかな戦略に思えてくる。それほど、絶大な嫌悪感を狂信的な「エナジー・セル」の支持者は抱き、崇拝。敬愛の商品を侮辱された、そう思い込んだのだろう。だが、現在ではこの商品の噂はまったく聞かれない。世間に浸透した、ということも言えるが、対するもうひとつの可能性は、世間の興味がほかに移ったことが考えられる。店主は新聞を読まないので、状況は不確定であった。だけれど、比済ちあみが生み出した商品「+マルチ十二」は、よくお客の会話に漏れて聞こえるワード。

しかしまたそれも、ここ数日はまったく音沙汰がなかったのだ。

 確かに、これら栄養食品の発売に伴う客足の遠のきは、若干ではあるが、数字に表れていた。減少傾向は週末と月末、月の中日に毎月見られる減少であり、一概に栄養食品の影響とは言いにくい。ただし、客足が戻りつつあるのは、どのように説明がつくだろうか。店主は、栄養食品の製造中止命令は出していない。にもかかわらず、客足は回復、周辺の飲食店も賑わう。ランチ時に手の空いた小川を三十分ほど外の様子を見に行かせた昨日は、十分ほどで店が忙しくなり、彼女を呼び戻すはめに。人の流れが戻っている、と彼女は証言していた。