「いいえ、私は彼女のチョコを受け取った側と、渡した側とでの会話のみ。興奮状態であなたが重要視する栄養素の有無や彼女が作ったチョコの形、それに包装紙や箱の特徴は一切、未確認のまま彼女を連れ立って店を後にしたのです。不注意だったのはそちら。強引な約束も私は飲み込んだ、不本意です。これでまた、契約は不履行と言い立てるのはいかがなものでしょうか?」時計が刻々と時間を刻む。
「……わかりました、あなたの要求は受け入れます」
「私の権限で製造を中止できるのですね?」店主が聞き返す。
「しかし、残りのチョコは今日持ち帰らせていただきます」
「イニシアチブはこちらにあるのですよ、それをお忘れなく」店主は、目を瞑り。開く。「今日一晩の時間を与えます。明日のお昼前、ランチが始まる前に再度、店にお越しください。契約書なり、契約の締結を証明する書類などを持参で。第三者の声も聞きたい。ただの紙切れに名前を書いてしまう場合も考えられますから、面倒ですが私が個人的に専門家を要請します。異論はありませんね?」
「仕方ありません。反論できる立場とは思っていません、そこまで思い上がってはいない。ですが、製造中止ともなれば、製造部門にまで中止の命令が行き届くまでタイムラグが生じる。製造途中の商品は廃棄するおつもりで?」半ば馬鹿にしたような口ぶり。
「生産に取り掛かる商品は製品とみなして出荷を許可します」
比済は重く頷いた。「必ず説得して見せます。契約は結んでくれるのでしょうね?」そして、念を押す。
「何度も言いますけど、二度同じことは言いません」
「その言葉、忘れたとは言わせませんから」銃のように構えた人差し指を向け、比済と従者の男たちは闇に消えた。騒がしい閉店後の一幕であった。店主は淡々とサロンとコックコートを脱ぐ。
「店長、認めるんですか?」ホールの館山は、投げ掛けるなり、駆け寄って厨房の店主に正対する。顔が近い。
「そういったつもりだけど」
「私の知り合いで仕方なく話を聞いたのなら、遠慮はいりません。だって、明らかに店長、不満顔でした」
「先輩、今日は荒れてますね」
「うるさい。あんたは黙ってて」
「はあい」
「ただ、要望を受け入れたように見えるだろうね。だけど、うん、それだけじゃないんだ」
「何か考えがあるんですか?しかしですよ、栄養素の潤沢な商品、しかも栄養がなくならないのなら、昼食を食べに出歩く人が減ってしまうかもしれない。そうしたら、店の経営だって……」うなだれる館山、顔が見えないほど長い髪の毛が頬を隠す。糸のような髪。店主は手をかけた、彼女の肩は細い。