コンテナガレージ

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摩擦係数と荷重5-5

f:id:container39:20200509131858j:plain 二杯目のコーヒーを注文する。店内には賑やかに、夕食を摂る人々が集まりだす。一人の客がその大半であった。一人暮らしにおいての食費は自炊よりも外食の方が安いと言われる。果たしてそうだろうか。一から作る手間や出来上がるまでの時間が惜しいだけではないだろうか。大勢で食べるご飯は美味しいなんて幻想は、食べながら溜まった鬱憤や胸のつかえていた思いを吐き出したいだけであって味は一緒。独りが寂しいのはそれをどこかで望んでいるから。誰かと居たいのならいくらでもあなたをもてなしてくれる空間は存在する。ただ、そこに至るまでの経費、時間がもったいないまたは時間掛かり過ぎると思っているために行動に移さないだけ。心底、望まれてはいない。
 2時間弱の長期滞在を終えて、3人は早手亜矢子の母親、早手美咲が働く事務所に向かった。時刻は、5時半を過ぎたところ。主要な幹線道路を走行した車は夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれ、思ったようにアクセルを踏めない。満腹の刑事たちは、コーヒーの作用でかろうじて眠らずに見えづらい車窓からの流れない景色に身を任せている。このペースだと事務所に到着するのは6時を過ぎるだろうと、誰もが思っていた。それでも約束の時間は7時であるからたっぷりと余裕はあるのだ。熊田は遅い車の流れにも急ぐ理由がないために気持ちは穏やかである。
「熊田さん、さっきの質問なんですか?」退屈にしびれを切らして鈴木が質問する。
「まだ、なにかあるのか」ミラーの角度を調整しつつ後ろの鈴木に応える。
「そうではなくて、その、犯人はもしかすると見つけて欲しいんじゃないかと思って」
「どうしてそう思う?見つけて欲しいのならば、自首すればいい」
「かくれんぼみたいに、探して探して見つけて欲しいんです」
「お前が犯人みたいな口調だな。まあ、考えないこともないな。探し欲しいってのは元来、人の欲求にもある。近所の高齢者に捕まるとまくし立てるように話してくる。本人は自覚がないのだろうが、誰かと話したくて、話したくてしかたがないのさ。内容なんてない。ただ話したいそれが極限にまで高まるとつながりを求めて犯罪に繋がる」
「二件目では被害者の遺留品は現場にありました。見つけて欲しいというサインでしょうか?」まっすぐ前の車両の大きなテールランプを見つめて種田が言った。
「さあ、なあ。でも、見つけて欲しいのなら説明がつくし、次の犯行も必ず起こる」道路沿いのガソリンスタンドから車が給油を終えて車道に戻ろうとウインカーを出しながらタイミングを図っているが、渋滞のためにスペースはぎっちりと前車との間隔は狭い。

摩擦係数と荷重5-4

f:id:container39:20200509131858j:plain「ここは喫煙席ですか?」カップを口元まで運び優雅にゆっくりと止まることのない動作で種田はコーヒーを飲む。鈴木が種田を見計らって言った。
「ここに灰皿がある」
「そういえば、入店時にタバコを吸うかと聞かれませんでしたね」
「全席喫煙席かな」鈴木が首を伸ばして前方の若者たちや背後の入口ドアを挟んだ席の並びを見渡す。「吸っている人もいますね」わずかに喫煙者と煙が2席後ろで確認できた。
「そうですか、ではどうぞお好きなようにしてください」大きい両目を閉じて種田は喫煙の許可を出した。
「いいのか?」
「私だけが同じテーブルについているわけではありませんから」そのセリフは車内で熊田が何度も種田から聞いた言葉であった。しかし、ここでのそれは喫煙許可の意味である。種田の基準は平均をその旨とする。つまり、感情や好みには泳がされないのだ。種田に発言までのいつもの自分ならば、すでに喫煙は許可されて、ただの煙が脳を刺激してクラクラと揺らされている。嗜好品のコーヒーも加味されて。
「まだ5時ですか」鈴木はため息混じに不満を言う。
「休みたくても休めない時があるんだ、今日ぐらいはのんびりしてのバチは当たらない」正面の熊田はタバコを持たない方の肘をもう片方で抱えている。暇なので熊田の言い分を突き詰めてみようと鈴木が尋ねる。
「人が死んでるのにですか?」
「窃盗だと、休んでいいのか?」
「それは言いすぎですけど、だって、また誰かが殺されるかもしれませんよ」
「同じだね」タバコを吸い熊田が続ける。「仕事はしている。一日中気を張っていたらそれこそ必要に迫られた時に力を出し切れないんじゃないか?体が大きことも特に有利には働かないさ。日ごろどれだけ力を抜いていられるかが重要なんだ、力んだ時とのギャップの大きさで力の大きさは決まる。普段おとなしい人の怒りは、衝撃だろう?」
「うーん。それは確かにそうかも。しかし、僕が聞きたいのは急を要する事件の場合はやはり窃盗とは違いますよ」
「急がないと殺されてしまうからか?」
「はい」
「どちらも変わりはない。物が盗まれてもしそれが故人の形見であれば、悲しみに暮れて奪われた人は勢い余って自殺をしないとも限らない。殺人事件の容疑者はまた誰かを殺すだろうし殺せば、人が死ぬ。人の死はどちらにも訪れる。ただ、殺人の場合は次回犯行の可能性の高さと殺される想像がつきやすいだけだ。殺される、あるいは死に関してはどちらも同等だよ」
「同等ですか……」鈴木は髪をくしゃくしゃとかき回した。納得出来ないといった仕草。鈴木が熊田の返答を噛み砕いていたのは約10分で、種田と熊田は黙っていた。納得などは到底無理。所詮は人の考えなのだ。

摩擦係数と荷重5-3

f:id:container39:20200509131858j:plain 行きに見かけた国道沿いのレストランに車は止められた。熊田からどこで何が食べたいとの要望を聞く機会は設けられないで独断で昼食場所はファミレスと決まる。刑事という職業に就いているからなのか、鈴木と種田は嫌な顔をひとつも見せずにいた。日々時間に追われている職種のために、食事に煩くはないのだ。食べられるだけでもありがたい状況を何度も体験して思考を書き換えたのだろう。
 赤いビニールのシートに腰を落ち着ける。制服の店員がかしこまった物言いで水を出しがてらメニューを渡す。3人とも選択の時間が短く、店員が去る前に注文を終えた。
窓の外は徐々に日が傾き、駐車場から店までつかの間の外気温でさえ冷たいと風を感じた。急激な温度変化。雨の多かった先週のほうが暖かったようにも感じる。
雨が降っていたから寒い、今日は晴れているから暖かい、どちらも思い込みである。
 人が面と向かい、近い距離にいるからといって会話を強制される覚えはない。加えて、仕事仲間だからといって無駄口を喋り合う必要性はもっとない。意思の疎通などは心が通っていなくでもできる。それに心は絶対通わない。種田がそのいい例である。誰と話していても心はここにあらずで、どこか遠くを見ている。楽しいの?と聞かれることもあった。しかし、いつも楽しければいいのだろうか。アドレナリン全開で、年がら年中快楽の虜になるのは中毒者でしかない。
 寄せ付けないオーラが漂っているのではなくて、これが種田が思い描いた結果である。人との時間が長すぎると置いてきた自分を探すためにそれと同じ時間が必要になる。人に合わせているからではない。勝手に他人の思考が入り込むのだ。もうどれが自分かもわからないくらい。
 だから、種田が機械のように冷静なのはこれだけは他人からの評価が一致するつまり種田であると認識されるからなのだ。あとの人格は現れるとやっかいで、種田だとは思われない。
種田はカレー、熊田は生姜焼き定食、鈴木はハンバーグ。
 種田のカレーが一番に次いで熊田、鈴木の分と運ばれた。食事中は皆、沈黙を貫き通していた。無理をしているわけではない。食べ終わってから言いたいことを言ったほうが時間的な効率を考えればベストな判断である。食べて話して食べて話してであると、何を食べているのかすら、味の善し悪しは最初の一口しか感じていないのではと思う。あれこれと食に対する講釈を垂れる人は料理が好きなのではなくて、ただ知識をひけらかしたいだけ。もちろん3人はそれに該当しない。料理経験のなさも多分に含まれているが、何よりも食べたものが言葉で表せるぐらいの単純さとは考えていないからである。刑事として人の生き死に、個人的事情、癖や欲望など根本的な人の生態が顕になったのが事件なのだ。だからこそ、たとえ、犯罪者の人となり、性格、生い立ちをトレースしたとしても本人が犯行に至るまでの正確な感情をたどれはしない。いくら、言葉に置き換えて情報を詰め込んでも奥底に潜む闇や光を伴った天望は明確に外部には写してはもらえないで、淡くたおやかにだけぼんやりを、情景のほんの一部をみせてくれる。
 食後のコーヒーを堪能する3人。会話はタバコを吸って良いか、の種田に対する喫煙者2人からの要求で始まる。

摩擦係数と荷重5-2

f:id:container39:20200509131858j:plain「明日の仕事のために資料を作成しなくてはならないので」母親はためらうことなく瞬時の回答。後ろめたさが察知できない。
「大変ですね。では、7時に事務所でお待ちしています。はい、失礼します」
「4時か。まだ4時間もあるぞ」熊田は鈴木の開け放たれたドアを見やって投げかけた。
「僕に言われても困りますよ」鈴木の眉が中央による。
「相手の都合に合わせくてもいいだろうが、こっちは緊急を要するんだぞ」
「殺気を出したら悟られます」くるりとピンと伸びた姿勢で種田は助手席に乗り込む。微かにタバコの臭いが漂っているが、許容範囲だ。そうだ、警戒心を抱かせると本心を聞き出すのに苦労するのは目に見えていた。ただでさえ、仕事を優先させたのなら、もしも仕事が絡んだ事件当日の事実であるとかたくなに拒むことは必至だろう。
「もし母親が犯人なら、警察との約束を交わしながら犯行は起こさないでしょう」つまり種田が言いたいのは、午後7時までは早手美咲が犯人の場合に次の犯行が抑止されるのことだろう。
「そう言い切れるか?」
「見張られているかもしれないと思いますよ」
「犯人だったらな」
「どういう意味です?」
「罪を犯した者が別にいて、母親がその共犯であったらどうする?警察からのマーク及び注意は母親に集中する。すると次の犯行が用意になる」
「複数犯ってことですか。それは頭にありませんでした」あっさりとした受け答えの種田。
「二人も殺害する犯行は複数犯にはリクスがあります。他人と共有する相手なんてそんなにいるでしょうか?」鈴木は疑問を投げかける。
「互いの殺したい相手を殺せばいいだけだ。それなら、殺害動機の共有なんていらない」後部座席、運転席の後ろに乗り込む鈴木に熊田が言った。
「あの、お腹すきません?」座って落ち着いたのか鈴木は思い出したように言う。
「空きません」冷たい反応の種田、熊田は無言でタバコをふかしている。
「君は、普通じゃないからね。熊田さんに聞いたんだ」
「普通の定義は何でしょうか?」
「まただよ」肩を竦めて両手を間近に迫った天井に天秤のように向ける。
「また?鈴木さんから話を始めてんですよ」肩越しに片目で頑なな瞳で言い放つ。
「はいはいわかった。ごめんなさい、僕が悪いです」鈴木は手をあわせて合唱のポーズで最大限の非礼を詫びた。
「悪いなんて言葉を求めたわけではありません」しかし受け取られるどころか筋違いだとひらりと躱されてしまう。
「もうだったらどうすればいいん……いいのさ」ついつい後輩であるのを忘れ種田には敬語で話そうとす自分がいる、
「どうも」助手席から右手がウエイトレスの不安定なトレーの持ち方のようにあらわる。「失言であったと認めくれれば文句はありません」
「ふたりともそれぐらいにしておけ。時間があるから、休憩にしよう」不遜なやりとりを熊田は諌める。
「やっと昼食か」ほっと撫で下ろして、鈴木はお腹をまぁるく円を描くように撫でた。
「もうお昼過ぎてますけどね」ポツリと種田が呟いた。