コンテナガレージ

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飛ぶための羽と存在の掌握5-1

 理知衣音は偶然の出会いで心が動揺を隠し切れない。帰宅した灰都に何度も上の空を教えてもらっていた。昼食の出来事は警察が私を見ていてくれてる実感と更に、過去の傷を修復してもらった恩人ともいうべき人との再会をもたらした。

 あの人の死で後ろ向きな私を魅せつけることが生存の要となり土台となって私を強く固く閉じた貝殻で開かないようにしたの。

 灰都だって気がついている。頑張っている姿を見て欲しいのはあの子の方なのに、私にばかり気を使っている。

 優しい子は自分との比較で生まれる。

 誰しもが持っている才能であり、発現する性質なのだ。傷と対面し、身を削る。

 私はもらってばかりだった。

 あげたことなど一度だってないかもしれない。

 もっと灰都が小さかった頃はあの人もいたし、随分と面倒を見てもらった。仕事にも早く復帰したいから灰都を保育園に預けて残業の時は代わりに迎えに行って夕食の支度も完ぺきにこなしてくれったけ。

 台所で切れた野菜の切れ端なんかも私みたいに転がっていなかったもん。三角コーナーの野菜クズも明日のゴミ捨てに備えてまとめられていた。

 振り返ると私は何もできていなかったように思う。

 あの人がいてそれをただなぞっているだけのこと。

 新しいことは何一つしてない。

 怖いのだろうか。

 仕事だって特に代わり映えはしない。

 そういった仕事ではないのだし、もちろんこれからもそうだろう。

 

 焦げ臭い。フライパンで玉ねぎが無残に真っ黒に焦げていた。

 太腿を灰都が叩く。「全然聞いてないよね、変な匂いがするからって言ってんじゃんか」

「ごめん、ぼーっとしてた」取り繕って作り笑い。

「……まだ、見えないの」青白さの中心でまんまるの瞳がこちらを覗く。

「大丈夫よ。ほら、いつもでしょう、ぼーっとしてるのって?」

「これはカレーに入れちゃあだめだよ」灰都はテレビの前にちょこんと座りアニメを見始めた。

「わかってるって」

 時々、灰都は気遣いの視線を送る。いつもと違う母親を案じてのことだろう。

 新たに炒めた玉ねぎを鍋に投入、既に他の野菜や肉は入っている。

 鍋に適量の水を加え二十分待つ。

 手が空くと調理器具を洗い、レタスとシーチキン、コーンでサラダを作った。と、言ってもドレッシングは市販のもので代用。あの人なら手際よく調味料を混ぜて作れたはず。

 セットしたタイマーが鳴る。

 まだ料理の感覚がいまいちつかめない。目分量に頼るのはもっと経験を積んでからと言われていた。でも、その料理の腕はずっとあの時から進歩はしていない。

 子供用に甘口のルーを溶けるまでお玉に乗せ菜箸でスープと一体化させる。

 溶けていく姿は、私から流れた血に似ていた。

 白いシャツを着ていなければ、取り乱さず、平静でいられたのに。

 おかしい。

 今日は一段と思い出す日だ。忘れよう、前だけを見据えると決めたではないか。タイマーを十分にセットし、もうすぐできるからと灰都に呼びかける。

 半開きの口から返事が聞こえた。

 カレーはまあまあ、及第点が妥当だろうかと一口食べて灰都の反応を見る。何も言わないのは美味しい証拠。あの人と同じ、耐えられないほどのまずさと信じられないぐらいの美味しさでしか、二人は言葉を発しないのだ。まずい時は食べ進める手があからさまに遅いけど、今日はもりもり食べていた。

 夕食を食べ終えて、お風呂にお湯を張っていないことを灰都から教えられて、また反省。もっとも時間がかかるものから最初に手を付ける、これが家事の鉄則である。単なる受け売り。

 灰都が一人でお風呂に入ると言い出した。いつも一緒に入っていたのに。学校の友達は一人か父親と入っているそうなのだ。灰都の気持ちを汲むことにした。本当は父親と入りたかったのだろう。