コンテナガレージ

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永劫と以後 1-2

 理由は、明確にはならない。

 店主の予測もあいまいであった。だから、火がついたら消えるように消火器を取り付けた。

 必要や心配は、取り越し苦労。いいや、最初から気になどはしていなかった。

 嘘はいけない。

 そう教えられた。どうしてか、理由は聞くのをためらった私だ。

 聞けば、相手の立場がなくなってしまうから。

 昔の話だ。

 そして、とうとう、栄養価が高くて、栄養素の吸収が数日間も持続する夢の商品は、すっかり世間の広範囲な居場所を追いやられたらしい。一部、食事にわずらわしさを感じる、時間に追われる人物たちの絶大な支持は、その一定の層にのみ定着を余儀なくされた。未知数の副作用が害を及ぼすのではないのか、という噂がはやり始めてから「+マルチ十二」は急速に勢いを削がれたのだ。対抗馬の「エナジー・セル」は商品棚の片隅に追いやられる始末、商品価値はどうにか残らされているらしい、出入りの業者からの情報であった。

 生理現象である空腹が毎日感じられなくて不安、これが栄養食品を食べた小川の感想。さらに、余計に間食に手を伸ばす回数が増え、体重が増したとの報告も受けた。これはほぼ店主が思い描く想像図の再現だ。人間は消費動物なのだ、空腹と満腹に排泄が、生涯続き、人生を終えて、遺伝子を継承し、後世に自身の証を持ち越す。空腹は生命の機能循環の一役を担う。空腹、摂取、排泄のサイクルは言うまでもなく、連動性が伺える。どれかひとつが欠ければ、身体機能、生命維持に深刻な栄養を及ぼしかねないのは、体感としても理解ができるだろう。ここで、空腹が遮断されれば、無論摂取も排泄も控えられる。消化機能が一時的に稼動を停止、その代わりに摂取の機能が常に動いている、という構図が想像される。だが、おかしなことがここで発生する。摂取が行われているのに、排泄が稼動しないのだ。体内に吸収された固形物はビスケットサイズ。消化器官に一度吸収されると、栄養素は体内を摂取量が消費されるまでまわる。内蔵は空っぽ。機能は使いすぎも疲弊の害が生じるが、非稼動もまた機能の錆びつきを発生させる、と店主は予測を立てた。おおよそは、現実が証明してくれる。栄養食品に対する利用距離を各自が探り始めた、といっていい。

 過渡期なのである。どちらに転ぶだろうか?

 どちらにせよ、店主は市場の激しくうねる動向に左右されない、目を凝らして見ようとすらしていないのだから。