コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

独自追求1-4

 作成にはたっぷりと時間が必要となる。時間を視野に入れないのは堕落を誘発し、時間に追われると紙切れみたいな薄っぺらい曲が世に出回る。

 見えないアプローチ。私はどんなふうに弾けるのだろうか?

 体感では二駅目に到着してないのに、車両が速度を落とし始めた。ぐらりと体が進行方向とは反対に流れる。つぶっていたまぶたを開けて周囲に様子を確認すると、乗客もきょろきょとあたりを探っている。窓の外は真っ暗でホームにはまったく見えない。

 「只今、車両に不備が発生したため、現在運行を中止しております。お急ぎのところお手数ですが、今しばらくこのままでお待ちください。お急ぎのところ誠に申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください」声の質から察するに、落ち着いている。アナウンスの真意は確かめられない。大きな衝撃音も匂いも煙もない。しかし、アンセーフリリースの作用が故障をいち早く検知したのか、騒いでも落ち着いても時間は平等。だったら、別のことを考えよう。

 ギターで演奏する私を客観的に観察。想像で演奏の模様をテレビで見ている感じ。テレビのみの音響は重低音をあまり伝えてはくれないようだ。ただ、高音や私の声は聞き取りやすい。歌詞が映像の白とかぶって上手く見えない。歌詞と声と表情が最重要視されるのか……。

 最近は皆どのようなディバイスで音楽を聞いているんだろうかと、そもそもを遡って調査。母親のようにCDで聞くのはもはや少数、音楽自体を買わないで動画を済ましてしまう人が大半だと思う。ハードルを超えるには映像が鍵か。その他は定額の料金を払って流行りの音楽を世間の好みに置いていかれないために、何を聞いているのと聞かれても堂々と答えられるように恥ずかしくない使い捨てのアプーロチだ。

 窓を眺めると暗がりに微かな明かりがチラホラ浮いていた。視線を対面の網棚に移して曲についての考察を続ける。最近の事情、情勢よりも私のオリジナルを構築しなければ。音楽はもう、だって、誰かの足あとを続いて辿っているようなもので、あとはそれらの混在を上手くごまかして新しいものですよと、歌うしか道は残されていない。

 でも、そこに私が居れば、確固たる不動で揺るがない、しかめっ面の私が住んでいれば人は感じ取ってくれるだろう。聞き飽きた、聴きこんだ曲に残されるのは残留の思念だから。

 車両が動き出した。アナウンスでまたお詫び。謝ってばかり。運んでくれるだけで私はありがたいと思う。しかし、車両は目的地にまでは行かず次の新島公園前で待機するらしい。