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公演一回目終了 十分後 ハイグレードエコノミーフロア ~小説は大人の読み物~

「根拠のない発言は害悪そのもの」アイラは言う、表情は曇りなく清廉を保つ。「あなたが身をもって示してくれたました、お礼を言います。殺された、という認識は極端な見方でしょう。もちろんわたしは医学的知識は持っていない。人は死んでいる、それは皆さんも根拠に頼らずとも憶測は可能でしょう。生物機能の一つ、顔を認識できる私たちがその人間が生きているか、眠っているか、死んでいるかの判断をできなくては、獲得した機能の意味はうせてしまう。相手が誰であるか、どのような状態であるが自らの生死、行動に影響を及ぼしてきた即席です。要するに、人は死んでいた。私以外そこのマネージャーも含めた六名が認めた。精巧な蝋人形ではなかったのです」
「はぐらかさないでよ!応えて、きっちりとね」抑揚をつけた反論。女性の顎が上がる、細い喉ぼとけが見えた。
「あなたの質問や意見は論理性にかける。自らの正当性を守りを固めた上で、私への質問を投げかけましょうか」
「死体はあるの、ないの、どちらなのよ?」
「あります」
 客席がざわついた。これは恒例行事のように毎度アイラを襲う。前はたしか、血液をためた袋を観客が破裂させたのだった、アイラは思い出す。そこへ、女性客の畳み掛ける応酬。
「死体を隠して私たちに曲を聞かせていた、これはねえ、紛れもない事実なんだよう!」
 静まり返る客席、水を打ったよう。波紋が女性を中心に広がった。
 それと同時に席の各所で、他人同士がひそひそ言葉を交わす。
 女性が大げさ、後方ににらみを利かせてなぎ倒す光線のごとく乗客たちを視線で射抜く。それはアイラで止まる。
「君村、君村ありさよ」彼女は名乗った。まるで一騎打ちを果たす侍。
「アイラ・クズミです」名前はまず自分から、名乗られたら名乗るように。教えられた訳ではない。自然と声が出た。名前などどうでもよかった、だって乗客たちは私を名前では認識していない。ギターを持ち、死体のように私たらしめる曲を歌う、ようやく、ああ私と、思い込むのだ。
 あの死体は誰だろうか。搭乗名簿を逃れた乗客。
「カワニ!」君村ありさがマネージャーを呼びつけた。彼は反射的に席を立つ。「甘やかすにもほどがある、売れっ子だからって手を抜いてるわね」
 首をすくめるカワニはかろうじて否定を示した。二人は知り合いらしい。観客たちの興味はすっかり、演奏から、死体、君村ありさ、そして今は事務所のマネージャー、カワニに向けられた。
 アイラはそっと演奏の再開を取り掛かる。注目の的であるカワニの動向を観客になりきり見守る、歌が始まるはずがない、その予測をあえて裏切ったのだ。
 観客たちの顔の向きと意識は徐々に離れアイラに向かい注がれる意志の強さ、関心の度合いを満遍なくある程度カワニの存在がその視界に入りつつも気にならない、歌が聞こえて、もうどうにも聞くことがこの瞬間そのものに引きあがった頃合を的確、瞬時にアイラは読み取り、スムーズに中断を余儀なくされた演奏へと戻った。
 君村ありさは立ち尽くしていたが、結局は着席に落ち着いた。身動きが取りにくい中央列の真ん中である。立ち続ける、それは背後の観客たちの視界を奪うことに繋がる、一応歌い手の立場を把握していたらしい。胸をなでおろすカワニに目配せを送った。三度目でやっとこと彼の仕事を思い出してくれた。演奏の残り時間を把握と同時にセットリストの改変を演奏中彼女はこともなげにやってのける。
 死体など観客は忘れ去れている、奇特な機能だ、と彼女は多少羨望の意味を脚立に座り、声を届け、かみ締めた。