最後の一組が帰り、今日の営業が終了する。比済が一度席をはずした理由は、最後に帰った一組が彼女もしくは球体のチョコに特別な関心か、店内のかすかな会話に聞き耳をたてていたのかのどちらかだろう。しかし、栄養素が失われない、というのはどういった仕組みだろう、店主は疑問を投げ掛けつつ、途中まで手をつけたコンロを洗った。
床に稀釈した洗剤を巻いてデッキブラシでこする。シャカシャカ、リズミカルな音色。小川が横長の厨房を端から端までこすり上げる。彼女の通過後に、洗剤と汚れと食材のくずを洗い流せば、掃除は終了。ホールの掃除は国見がいち早くゴミをとり終えていた。
ドアが開く。「申し訳ありません、営業は終了したのでしょうか?お客ではありません、店長さんにお話が」
「どうぞ、その人はいいんです、通してあげてください」彼女は厨房に、無言で入った。
「先ほど残っていたお客は知り合いですか?」店主は比済に尋ねた。
「数時間前からは知り合いですね」
「それってつまり、つけられたって言いたいの?」館山がブラシを持って傍に寄った。
「こちらの店に防犯カメラは?」
「ありません」店主は即答。
「記憶媒体は?」
「PCに映像が送れる装置は一切取り付けていません。盗聴の可能性を疑うのならば、スピーカーの音量を上げましょうか?」
「ぜひ」
「ちょっと、何、大事?」
「どうしたんです、皆さん」小川がのんきにサロンを畳む。
レジの国見に店主がボリュームを上げるように指示。ダンスフロアを思わせる音量。
「残りのサンプルを私どもに譲っていただけないでしょうか?」比済が耳元で叫ぶ。店主は口に手を添えてメガホンの役割。
「あなたの描く使い道は?」
「商業利用」
「譲渡の権利は私に帰属しても、チョコの内容物、作成に関しての知識は持ち合わせてはいない。私は判断しかねます」
「一体どうしたっていうんですか?」小川が駆け寄る。店主にきいた。「ボリューム上げすぎで鼓膜が破れそうなんですけど」
「提供を拒否される、と受け取ってよろしいのですか?おそらく、多額の資金があなたの元に舞い込みますよ。それほどの価値が、黄土色の球にはあります」