「買うの?」
「……欲しいですけど」値札には十一万五千の文字。「これ結構高いし、どうしよう」
「いくらなら払えるの、お金?」店員が聞いた。
「えっ?うんと、持ち合わせは……二千円です」言った傍から無鉄砲な行動を呪った。財布の中身も確かめないでギターを買おうとしていた私を疑いもしなかったことを悔やんだ。しかし、これは衝動に従っただけ。端から買えないと決め付けるよりかはマシだろう。
眉を上げて店員は言う。「じゃあ千円でいいよ。それで売ってやるよ」馬鹿にすることも、考えこむこともなく、すんなりとあっけなく店員はタダ同然の低価格を提示してきた。
「冗談ですよね?だってこれ二桁分違いますよ。駄目ですよそんなの」
「あんたの店じゃないんだから、経営に口を出される筋合いはないね。そもそも、あんたがほしいって手にとったんだ」
「いやあ、まだ買うとは一言も……」欲しい気持ちはもちろん本物だ。でも、だって、そう反論する私もいる。
「買われたギターがただで戻る。もう十分儲かったし、楽器はあるべき場所にいてやっと息を吹き込まれる」とらえどころない瞳で店員が話すとおもむろに立ち上がり、続ける。「衝動に従ってみたらどうだ?」不敵に口元が横に広がった。こんなチャンスを逃す手はない。店員の好意や破格の価格ではない、ギターとの出会いである。赤を帯びたフォルムが横目で覗いたらひときわ他のどれよりも際立って立体的に見えた。
「……買います。ただ……」
「何?」
「私はこの子を手放したりはしませんから」決意の眼差しで宣言をしたつもり。店員に言ったのではない、自分自身に植えつけたのだ。
「やっと主が見つかったようだな」飼い犬に問いかけるように店員は、褐色のキラーに言葉を投げかけた。
ギターのことはさっぱりで着の身着のまま無防備で、もちろん弦やピックやらが必要であるのは知っていたが、平均的な外側の知識だけしか私は持ち合わせていない。
とりあえず必需品はこれまた店員の好意でボンボンとギターケースに放り込まれていく。肩に背負うブラックのギターケースも前所有者の置き土産だ。
二つ折りの財布に入ったなけなしの一枚札を店員に手渡した。代わりにレシートを受け取る。レシートにはアコースティックギタ千円の表示。ニヤリと笑いが襲った。
「わかんないことがあったらまた来るといい。俺の予想だけどこのギターはあんたから離れないよ」肩に掛けたバッグを一旦下ろして、ギターケースを背負うと案外重くない。ピョンピョンと跳ねるぐらいの余裕はある。しかしだからといって跳ねたりはしない私であるが、人がいない場所であったら軽くステップを踏んでいただろう。
歩行時、視線がギターに集まる。
うん、私から視線が逸れるのは良いアイテムかもしれないと、エレベーターを待って踵を上げた。