コンテナガレージ

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非連続性4-1

 O署内、一階の鑑識係へ数時間の余裕を持って訪問する部長であったが、廊下に漏れ聞こえる室内の声に、手をかけた金属レバーの握りを開放し、その場を離れた。今回は部下たちへの隠し事は極力控えたい、種田あたりの殺気が最近特に尖りつつある。危険地帯は足を踏み入れなければ、安全なのだ。

 部長は天候の回復した市内をあてもなく車を走らせた。車を運転すると考えがまとまる、気分転換になる、などといわれているが、言語機能を介しない脳内の処理が余った容量で溜め込まれた情報を処理するからに過ぎない。散歩という代表例をないがしろにして、ドライブなどと英語に置き換えて趣味のひとつに昇格させているだけのこと。

 彼は常に考えを働かせている。移動も制動もどちらもである。区別はつけない。いっそ、体を人にぶつからないようにコントロールする機能を脳がはじき出してくれたら、近い将来にはそうやって直接脳にプログラムを送り込むようになるのだろう。人は、考えるだけに特化を余儀なくされるか、何も考えない人間が出現する。現在でもまあ、あまり変わりはない。統制下にあることは単に認識不足というだけ。操りは今後も継続するはずだ。そういった統制側の仕組みは受け継がれる、一定の層に。家族的な一派や操作を察知した人物でしかも権力を振るう側に回りたい者が、入れ替わり立ち代わり、その中で争いが起きて、時代が移り変わる。

 依頼主がそういった統制側の牙城を切り崩そうと試行錯誤に奔走する姿に共感して、彼は手を貸すのだ。勝ち組ばかりでは、ストーリーは展開を迎えず、平坦で舗装された道ばかりを延々と見させられる。面白くないではないか。もちろん、命の危険は多分にあるだろう。死を意識したこともある。以前は銃を突きつけあった。相手の撃つ気のなさに、向けた銃は相手から銃口をそっぽへと向ける。また、危険やスリルが生きる証、というもの当てはまらない。まだ、知りえていない事実の裏側が見たい、そういった好奇心が老体を突き動かしているのかも。自分が何より正確に把握できていない自己認識の不透明さが、根本の世間を疑う、統制を嫌う要因ではなかろうか、と彼は侵された思想そのものにまで思考を働かせていた。

 雪を待ちわびるクリスマス。

 幻想的な風景は観光客や幸せと思い込む連中へ作用する魔法。

 自然現象と思えたら、世間に流されている感覚を取り戻すだろう。

 酔いしれたければ、そのまま酒を飲み続ければいい。