コンテナガレージ

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プロローグ1-3

 米とは対照的にパン食は良好。成長が著しい。業界ではトップの伸び率だろう。もともと、ご飯をあまり食さない世代はパンに流れ、保存の効く甘味や味のついたパン食がさらに活気を帯びた。以前にお世話になった、ブーランルージュというパン屋も連日、店の外に行列ができるほどの盛況ぶりだと聞いた。直接目にしたのではなく、従業員から聞かされた情報である。

 僕は情勢を受け流す。

 利用はいつか利用される、頼り頼られる考えしか生まない思考が形成。

 だから、何も見ない。

 それでも、情報は耳に届く。

 そう、その程度でも情報は届くのだ。

 そして、掬えたものを手に取って、けれどまた止観。人は安易に流れすぎている。

 

 開店前の店先、近頃の日課は暖房のスイッチを入れ、上着を着たまま、歩道の除雪が仕事のはじまり。大変に億劫で、面倒な作業に見えるが、僕にとって考える材料にはもってこいの動作である。単調な動きにもいくらか楽な姿勢とそうでない姿勢とがある。そして、寒さで強張った体は熱を持つ。腰をかがめすぎては支点が固まり、力が一点に集まるので長時間の稼動には不向き。

 体重はやや後方に移すといいだろう。腰と曲げた膝にかかる負担を踵に移し、上半身の重さを分散。腕の振りは、極力、力を抜き、雪に接触する間際に柄を持つ手ではない左手から力を抜く。すると、スコップは自身の重みで雪に埋まるのだ。掬った雪を持ち上げる際には、腕の存在を忘れ、なるべく腕と体がつながる部位や中心に近い鎖骨・肩甲骨を意識に上げる。こうするれば、かなり全身の筋肉痛は軽減される。動きの継続で、下半身・ふくらはぎ・腿前面の疲れも感じられない状態が維持されている。

 通行人、人の出足、歩く速度、全体的な纏いつく気分をランチのメニューに活かす。メニューは前日、あるいは当日に決める場合もある。

 日本の米が姿を消しつつある現状、世間に操られている世界を人はどれだけ再考するのだろうか、僕は筒を輪切りにした形状のスコップで雪を店舗脇に押しやって考えた。隠れた既得権益の甘い汁をどれほどの人間がほくそえみ、引きつった笑いをこらえて、仮面の下に隠し、飛び上がる歓喜を押し殺して、搾取しているのか。

 どうでもいい、僕は取り合わない。必要ならそれなりの手段を講じるはず。

 行列のように隙間なく詰めるビルに注目。雲の隙間から見えた深い青を見上げる。

 上がりそうな気温をメニューに反映させようか、と店長は独り雪のなか、空に向かって呟いた。