コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

抑え方と取られ方1-1

 週の真ん中、脅迫事件の翌々日は、雲ひとつなく晴れ渡る大仰な快晴。関東や本州の太平洋岸は、大雪に見舞われている。地下鉄の改札から望める大型ビジョンに早朝に傘を差して歩く人にインタビューを求め、欲しがる、天候に対する悲観的な感想を聞き出したいだけ。

 店主は目に入った映像を改札から地下通路までの三十秒ほど眺めた、端末に目を落とすビジョン近くの女性にすらその画面の情報は見逃されていた。一つ目を左折、地上へ上がる急勾配の階段を上って、記憶した映像を再生、そして綺麗さっぱり消し去る。

 微風。警察の警護が効力を発揮したのか、目的達成がはたされたのかはとにかくとして、国見蘭への被害は休憩時間の本人も気がつかない切り裂き以降は、鳴りを潜めた。ただ、世間の風潮は大豆の栄養価と味を改めて見返す昔ながらの食生活をずいぶんと盛大に大切で守るべき伝統だと、各メディアが書き立ててるらしい。

 そういった類の情報は、お客の会話と従業員からもたらされる情報だ。積極的に考えなしにベッドを這い出て、または仕事から帰宅したらテレビをつけ、新聞に目を通す習慣はまったくないのだ。それでは話題について行けない、といった声が聞こえそうだが、そもそもついていく話題なのだろうか。もたらされて飛びつかんでそしてまたやってくる向こうからの情報を取り替えている、僕にはそう映る。そこで、不必要と評価を下した。以来、条件を満たす情報のみを取り入れる。しかも、きわめて取得のスパンは短い。情報へのアプローチ変化によって、大まかに情報の輪郭はつかめてしまう。当然に世間をにぎわせるニュースの漏れ聞こえであっても、現状を捉えるには十分である。