コンテナガレージ

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革新2-1

 帰宅後、玄関まで入って頼まれたCDを靴箱の上においた。ギターを弾いている時に声をかけられないための処置。

 ギターを倉庫に置いてアランの散歩に出た。

 散歩から戻ると倉庫に直行。

 弦の張り具合いだろうか、昨日よりも反発が強い。けれど、若干の緩みを持たせているようだ。指先から伝わる。アルペジオで視界を遮断、なめらかに動くようにと思ってしまうと指先が硬くなってしまうので考えないように体に任せてウォーミングアップ。

 任せ、時間の観念も取り去って。

 目を開ける。

 これからのことを無機質で冷たい天井を眺めて考察する。

 どうやって曲を作ろうか、コンセプトが重要。何を持って内に秘めたマテリアルを魅せるのか?まったく別のこれまでにない物を世間に発表した所で結果は目に見えている。であれば、足跡をわずかに踏襲した革新性で望むしか道は残されてはいないとの意見が妥当。

 そう、妥当が最適なのだ。尖りすぎては誰もついてこれやしない。追いかけるけれど追いつけない。しかし、時々立ち止まっていれれば、真意を汲み取ってくれるのだ。なぜ、セオリー通りのタイプで歌手としての一歩を踏み出さないのか、誰もがやっていてそこから見出されるのは一握り。であれば、パッケージに変化をもたらさないと掬い取ってはくれない。それに、もし仮に歌手になりえたとしても先の先がもう既にどん詰まりなのだ。完成されてしまっていて伸びしろがない。歌唱力やルックス、性格やファッションセンス、立ち振舞は慣れてしまえば他と同化し色を失せてしまう。だったら最初から予め別ルートの建設を予見させる登場が必須となる。

 区別を印象づける要因を決めなければ。

 息を吐いて、深呼吸。酸素が足りなかった、呼吸を制御して極力状態を一定に保っていた。

 アランが吠える。時刻と車のエンジン音でその正体が知れる。敵意のない狂愛の叫び。近隣にはただ吠えているようにしか聞こえないだろう。近所迷惑だと感じることもある。ただし、普段から付き合いのあるお隣ならば、撫でて犬に声をかけるお隣なら、理解してくれる。

 あちらだって、喧嘩の声も発しているし、孫達の訪問で夜間の花火大会を開いているのだ。お互い様だったら、イライラとした怒りは起きてこないはず。知っているただそれだけで認識に違いが生まれるのは、やはり捉え方なのだろうし、誰が行なっているかに起因するのだ。