コンテナガレージ

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踏襲2-6

 電車を降りてからの徒歩で確信に迫った気がする。私が取り込まれた曲は世界を斜めに観察する思考が組み込んでいたように思う。ただの怨みや妬みではなくって、もっと研ぎ澄まされて感度が良くて孤独で凛としている。ある一点からの忠実で絶対的な強振。

 急勾配の坂、汗が出てこないように一定のスピードで足を前に出す。途中、道路を横断、さらに急な坂を選択。

 他人の体験や想像なのに私がありありと情景をうかべられるのはなんでなんだろう。おそらく、作詞家と私が思う状態はかけ離れているはず。コンサートのお客だってそれぞれ違うはずなのに感動を湧き起こさせてしまう。

 坂を登り切るとどっと汗が噴き出してきた。公園では、子供がサッカーボールを一心不乱に壁に向かって蹴っていた。少年は器用に壁の同じ箇所を狙って跳ね返るボールを蹴り返す。足元でバウンド、宙に浮いたところを甲で押し出すように反発。リズミカルで見入ってしまった。公園のベンチでぺちゃくちゃとおしゃべりするさらに小さな子供を連れたママたちと視線が合う、何かをひそひそと伝え合って不敵な笑み。フェンス越しの視線を少年に戻す。車が一台私の脇を徐行で通過。少年は反対の足で同様の動作をさっきよりも遅れたタイミングで多少ぎこちなくこなしていた。

 止めた足を進めた。意識をしようとするとぎこちなくなって、無意識だと仕草が雑になる。一長一短。二つのいいとこ取りはできないものだろうか。でもそれはまだ先のステップ。今は、歌詞を自身に落としこむことだ。声の抑揚、強弱、歌詞の想起。歩きながら、想像で歌っているさまを再現してみた。出だしは良好だけれど、まだぎこちなくて上手く歌おうと必死。

 認められたい私が恥ずかしいくらいに主張している。より正直でいるための方法は、ありのままでギターを弾く。声はまだ声色でごまかしてた。観客が怖い。歌を理解してくれるのだろうかと不安。知らない歌詞や曲を聞いて楽しんでもらえるんだろうかとさまよう視線。おぼつかない足元、震えていると指摘されやしないかとやきもき。歌えたのは練習の賜物で体が覚えていただけ、感動とかプラスアルファとか生い立ちとかそんなレベルの歌ではない。

 左右を確かめて十字路を渡った。自宅まではあと十分程度で到着するけど、いつもの道だからってキャンセルされた風景が大多数で代わり映えのしない本年度の夏は夕暮れまで暑さを居座らせるつもりらしい。