「洗いざらい僕の身辺は洗ったんじゃないのですか?」
「そのつもりだけど」ポーンとエレベーターの着地音が受話器の彼女の背後に聞こえた、ビジョンが鮮明に浮かび上がる。やはりホテルにいるらしい。
「逃げるべきですかね」
ドアがノック。二回、叩かれた。この位置からドアは死角になる、ベッドの足元に移って短い廊下の先がドアだ。
「来ました」
「あれ、もう?思ったより早かったわね」
「アドバイスがあれが聞いておきますよ」
「なあに、危険を感じて肝が据わったの。ふうん、案外度胸は備わってるんだ」
「忠告でもこの際構いませんよ」落ち着いてる自分を一歩引いて僕は更に客観的に見つめる。緊張のピークに訪れる、稀有な現象だ、デジャブに近い感覚だ。
再び、ノック。今度は三回、強度も強め。目一杯電話線を伸ばして電話機ごとドアを視界に入れるベッドの縁に片膝を着く、首を伸ばした。外に気配。複数人が待ち構える雰囲気だ。
ちらりと、逆三角の赤いマークを振り返る、窓に張られた割れやすい窓。
「捕まりなさい、そして余計なことを口走らない、これが妥当な選択ね。というか、残された行動はもうこれしかないのよね。残念、恨むなら、私の鈍った勘を恨んで」
「しおらしい、あなたも存在を許されてる」
「まあ、一種類の性格に物事の処理を任せるほど非効率よ。あなたがそれは良くわかっているはず、だから研究を続けられる。対外的な一般生活の処理はそうね、十歳前後までのあなたで占められた。大部分のあなたは、そうして見事に他人にかける優しさや情け、配慮といった気配りから解き放って、自らを守るパーソナルな部屋、開発の拠点を獲得した」
「これから続けられるでしょうか、警察に真実を言わなければ」
「神のみぞ知る。神はお上のかみよ」
「結局、自由経済を謳っていながら、既得権益の甘い汁は規則を作り出した要人たちに密かに吸い取られる……」
ドンドンドン、ドンドン。まるでラテンのリズム。
「健闘を祈ります。家宅捜索で荒らされた室内の片付けなら、そうね差し入れを持って、ともに悲観にくれてあげられるわ」
ドアノブが乱暴に押し引き、回転、金属音の隙間に人の呼びかけも、室内に染み渡った。