コンテナガレージ

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手紙とは想いを伝えるディバイスである1-1

地上 四月二日

 週に一度の休暇明けに、気を引き締めるどころか、まったく昨日となんら代わりのない朝を迎えて熊田はO署に出勤をした。見上げた空は晴れ間がしか見当たらなく、通勤ではその晴れ間がまぶしいぐらいに思えた日差しの強さにやっと春の到来を桜の開花よりも身にしみて実感することができたのは何よりもうれしい、といった感慨耽る年齢ではない。もう数十年で土や畑に身を粉にして作業に没頭するとはどうして思えない。その楽しさを、押し付けてはならないのに、なぜだかこれまでの生活態度が間違っていて、現在の状態が正しいんですと、彼よりも上の世代はいわんばかりだからだ。彼らも五十前後ほどの年齢では同様の意見を言っていただろうに、一体誰のことを思い浮かべているのか、特定の人物はいないのだ。勝手な私の想像である、熊田はコートのいらなくなった身軽さを利用して玄関のステップを軽快に、屋内のひんやりとした冷たさを懐かしく感じた、一年ぶりに体感する天然のクーラーである。明治の発展期に栄えた港町と商業の拠点。その名残は老朽化に手を加えてでも保存が認められるルネッサンス様式の建物がO署、熊田たちの仕事場である。
 ただし、差し迫った指令はここ数週間、応援の要請すらも連絡はぱったりと途絶えていた。変化といえば、新部長を任された斉藤彩子が部長職を解任され、これまで勤めた部長がその座に返り咲いたことがホットな話題。とりたてて、あらたまった退任の挨拶もなく、週代わりの月曜に事務的に、部長の席の私物が熊田たちの前で回収、事務員が機械的ダンボールに品々を放り込んで、退任の事実を伝えたのである。こちらからの質問に事務員は指示の通りに行っているだけで、詳細はまったく聞かされていないとのことであった。
 熊田たちにとっては、"部長"という立場の人間は部署に在籍していないぐらいがちょうどいいのだ、現に仕事がないのであるから、指示を仰ぐことともめったになく、あったとしてもそれは熊田の指示で完遂してしまう。
 熊田は、一番乗りで部署の古びたドアを引きあけた、深夜に聞いたら身の毛もよだつ音声に早代わり。なぜ、夜に聞くと同じ音であっても、不信感と恐怖を抱くのだろうか、熊田は席に着いて考えてみた。やはり、神経がそれだけ研ぎ澄まされているのだろうか、動物として身を守るための機能か。あるいは、人や動物の活動が控えるために起きる静けさに音が強調されて、時間帯の視界不良と微かに植えつけられた得体の知れない目に見えないものたちの知識におびえるのか。両者とも錯覚に過ぎない。昼間では平然と生きられて、意識にすらあげないのだから。
「おはようごさいます」鈴木が二番手で出勤。彼は熊田の部下である。人懐っこい笑顔が消えていた。