朝晩の寒さに慣れ始めたころに訪れる本格的な冬。放射冷却の冷涼な肌差す空気を車の乗り降りに感じられるのは大変恵まれた環境、熊田は足元の凍った路面に気を使う通行人をやり過ごし、車をO署の駐車場に停めた。部下二人の車がすでに両サイドに停められてる、めずらしく早い出勤、と熊田は特段に気にかけることなく、アスファルトの勢力が勝る駐車場を横断、署内に入った。
「だから言ったじゃあないですか」鈴木がいきり立つ。「ギャンブルで儲けようって心構え自体、借金をしている人の行動にふさわしくないって。信じられませんね。賭け事は無くなっても害のない金額で愉しむべきなのに、僕にお金を借りてまで、高配当を狙うからですよ」
「ボーナスが入ったんだから、一万円やそこらで目くじらを立てるなよ。誰も返さないとは言っていない」相田は立ち上がって、顔を近づける鈴木に恰幅のいい体を揺らして、肩をすくめた。
「来月には必ず返してもらいますからね」
「覚えていたらな」
「正月の三が日も、大晦日も年明けにもメールを送って思い出させますよ」
「何の話だ?」熊田はコートをラックにかけて、部下二人のじゃれあいの発端を尋ねた。
「おはようございます」二人の声が揃う。
「何でもありません、金銭のやり取りにちょっとした行き違いがあっただけです。ご心配には及びません」
「持ち合わせがないからって、猫屋敷の視察の帰りに、お金を貸したんです」鈴木は非情を訴える。熊田は二人のやり取りで大よその内容は把握していた。あえてそれ以上突っ込んだ内情を尋ねる必要性はなかったのであるが、いつもは一番に席に着いている女性部下の種田の姿が見えないので、鈴木たちの事情を聞きつつ、彼女が遅れる要因に考えめぐらせたのである。
熊田は席に着く。デスクをはさんで正面が鈴木、その隣に相田が座る。熊田の隣が種田で、窓際の離れたデスクが常に不在の部長の席。
「法的に罰せられるような金額でもないだろう」熊田は癖でポケットのタバコを探り、取り出そうとするが、部署内は禁煙なのでそっとタバコをしまう。
「先輩の圧力を盾に後輩に迫るのはどうかともいますけどね」温厚な鈴木であるが、権利の侵害や不当な言動に対しては厳格で明確な対処を心がけた、正義に忠誠を誓う性質を垣間見せている。