コンテナガレージ

サブスク・日常・小説の情報を発信

パート3(6)-3

「ご自由に」老人はドアに消えた。

 老人の行動を詮索してもしょうがない、僕は意識をリビングのテーブルに強制的に代えた。ダンボールが二つ、置かれている。近づいて開封した。家電量販店にてPCを購入していた僕は、学校の帰りにターミナル駅で一度改札を出て、駅構内の目立たない、コインロッカーが並ぶ、人目につかないベンチでネットにアクセス、商品を注文していたのである。

 ダンボールのガムテープを剥がすと見えたのは、すべて本である。家庭では読める本が決められており、自由な知識の取得は規制されている。道をはずさない知識だけではまっとうな判断の材料に事欠き、制限が開放された時の反動を予測すると、両親の教育はあまり好ましく模範的で優秀な人材を育てるとは言いにくいだろう。体験者が語っているのだから、間違いない。受け継がれた体制なのか、あるいは反面教師か、どちらにせよ僕に押し付けるのは道理に反している、教育を施す人物という存在自体が絶対的な倫理の象徴を掲げるのは、過ちを認めないことと同義だ。一旦、こちらの側に下りてこなくては、汚れて、不誠実で、曖昧で、無頓着、嘘つきであることを認めるべき。また瑣末な事柄にかまけて貴重な時間を浪費した。

 僕は、椅子に座り、取り寄せた本を読み漁った。母親の車移動は必ず市内の中心部まで、だから往復の所要時間だけでも二時間は見込める。さらに、打ち合わせともなれば過去の事例から換算すると、最低でも三十分以上だろう。一冊に三十分で五冊か。僕はそれからわずかに体勢と座り位置を変えつつ、本を読み込んだ。

 三冊目に手をかけて、やめる。トイレに立ち、ついでに水分を補給した。冷蔵庫の食品はもちろん食べ放題である。テーブルに腰をかけようとしたが、もうひとつのダンボールの存在を僕は忘れていて、ガムテープは密着した状態でぴたりと張り付いてた。ただ、片方のダンボールに注文した本は全冊入っていた。これら以外の注文に覚えがない。しばらく間をおいて考えて、空けてみることに決めた。もしかすると、彼らの依頼かもしれない。 

 空気の入った玉が特徴的な緩衝材に覆われた底に一通の封書が隠れていた。