国見が搾り取る豆乳ににがりを加えてゆっくりと攪拌、底の深いバットで軽く固まる程度まで待つ。店長は、氷を固める一サイズに分かれた容器を吊り戸棚から取り出した。
「ある程度固まったら、こっちに移して」テイクアウトの使い捨て容器、サイズに合わせて昨日、この型を購入したのだ。これ以外の使い道が今度あるのかどうかは、疑問であったが、形の崩れやすい豆腐の移動には最適と判断を下した、店長である。
「店長、ナンはどうやって渡します?カレー用の容器はもうありませんよ」ピザ釜の横で小川の前後運動。
「心配は要らない。包み紙を買ってあるから、出来上がったナンはそれに包んで、手渡す」
「袋に入れないんですか、雪で濡れちゃいますよ」
「二つ以上の購入なら袋をつける。一人前なら食べる場所までお客に抱えて運んでもらう。出来立てのナンを雪をよけて、ランチを買う、コンビニで買うのでも、店の食べるのとも違う。面倒がマイナスというイメージは、利便性が整う世界では反対に作用するのさ」
「グラベルの走りを覚えて、ターマックで才能が開花する、ということか。なるほど」
それからしばらく各々の口数が減り、作業に従事した。
「いい匂い」規定の出勤時間に晴れやかな国見がドアを潜った。彼女だけが、十分に休息をとり、仕事では手を抜かない、長期間に対応する体を持ち合わせる。
「今日のランチですよ」一定量の小麦をこねた小川は顔に汗を拭った粉をつけて、カウンターから顔をのぞかせる国見に応えた。
「それってもしかして、ナン?」
「そのまさかです」
「小麦粉の健康被害のニュース見てないの?」
「ああ、朝にやっていましたね。けど、食べた人は特殊な食べ方をしていて、ほぼ小麦しか口に入れていなかったのが原因だっていう見解だったと思います。なんだか、国見さんの顔を見てると私の情報とは違うような……」
「店長、ナンの提供中止を要請します!」
「理由は?」作業の手を止めた店長は、格子柄のコートに身を包んだ国見と対峙。要求を相手に受け入れてもらうための手法を彼女は体得しているようだ。感情に任せた押し付けでもないが、緊急性も言葉と表情、僕との距離にそれを表す。
「先週の夫婦、お米を買い、要求した二人が警察に捕まりました。テレビの報道では、彼女らは子供にアレルギー反応を示す小麦を大量に食べさせた疑いがもたれているとのことです」