コンテナガレージ

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予期せぬ昼食は受け入れられるか?2-1

 その週に、小麦輸入に自国での取り扱い、生産、加工、食品添加におけるガイドラインの作成に政府が乗り出した、と報道機関が伝えていたらしい。小川や館山から聞いた情報である。カウンターのお客の会話にも時折、週を重ねるごとに飛び交う小麦の言葉は多くなったように思う。
 週末の土曜。
 仕事帰りに、店長はコンビニで新聞を複数購入した。経済の専門誌も一紙読んでみた店長である。新聞を読むのはいつ以来だろうか、地下鉄に揺られる座席に座り、細長く折りたたむ一紙を読み始めた。
 新聞によれば、小麦の生産は当面、自粛の意向を政府関係者が示唆した、とのこと。政権、国の舵取りや影響力のある人物の発言らしいが、名前も小さな顔写真も店長はまったく記憶のどこにも引っ掛からない、異次元の人物に見えた。店長は、世間で交わされる情報のやり取りを店を開くにあたり遮断していた。それ以前も積極的にメディアの情報を取り入れるタイプではなかった。結果、店長の体感としては取り入れる情報が減った分だけ、経営について考察する時間と問題処理や対策の回答が、仕事から離れなくとも得られるよう、脳内の処理が簡略化された。能力、性能は現状を維持。量が少なければ、処理に当たる時間も短くなり、インターバルも生まれる。そういうことだ。
 これらの新聞はおそらく、読み終わるまでどの程度の時間が必要かは、正直なところ推測するデータがまったくないのだ。偶然に明日の休日は予定がない、一日を情報取得と考察にあてられるか。
 車内では皆、端末に夢中。目が合わずに見渡せるのは大歓迎ではある。事故や事件、国内外の政府の動き、経済の浮き沈み、広告、コラム、色付けされたページ、社評、地域の出来事、天気、テレビ欄。国内のニュースは、小麦の栄養価についての見解が中心的に書かれていたように思う。店長は目を閉じて、揺れに任せる。小麦の興りに始まり、栽培の方法、育成地域、品種、生産量、輸出入量が借りてきたように無機質な数字を並べ、最後に人体への影響があると不安を煽る形で締めくくっていた新聞記事。それらによれば、人類、主に近年に取り入れた小麦のたんぱく質が体内を攻撃、アレルギー症状を引き起こす種類が報告され、国内では相当数の患者がおり、まだ発症に至らない潜伏の患者も多数、存在しているとの予測。また、一部の宗教は積極的な小麦の摂取を推奨し、高価格の白米を諦め、小麦の危険性におびえる大豆への多大な信頼をあらわにする人物たちを痛烈に批判、といった記述もある。