コンテナガレージ

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私は猫に石を投げるでしょう1-3

 まったく独裁者以外の形容詞が見つからないほどの人物が、社長。顔も見たことはない、外部にさらされたことはなかったように私は思う。手渡された曲を確かめつつ、私はデスクに腰を下ろした。肩にかけたバッグを下ろすためフライングで取り付けたイヤフォンを耳から外す。

 私の業務は商品の全般のデザインだ。あまりにも取扱商品の幅が広く、多種多様な商品郡が過去の履歴として展示できないほどと考えてもらえれば、想像は容易いだろうか。私は曲を流す。フロアは間仕切りが一切ない、開放的な空間をコンセプトに設計、これも社員の誰かの作品だそうだ。建築は工業製品というよりも芸術に近く、会社に独立の部門が形成されている。いつの間にやら、五分が経過。仕事に取り掛からなくては。

 まず曲を流して聞く。デザインの仕事にこの曲を反映させなくてはならず、一日がこの仕事の締め切り。まったくばかげている。短時間で何ができるというのか、そういった批判は数多く受けてきたが、私にはそれほど悲観的な対応がおきない。むしろ、正解に限りなく近づいているのではとさえも思う。限りの中で、最上を作り上げる手法、プロセスもまんざら悪いとはいえない。長い時間をかけて、だらだらと長期間意識を這わせた作品は確かに魅力的ではあるが、その作品を生み出す環境を前もって構築するためには、やはり期間を、決めた定期的な作品を作り出す必要性に、生活という決まりに沿って生きている私には避けて通れない。

 ふがいなさ。

 現状の不満足。

 表向きの第一印象を私はぼんやりとある程度、まあまあ、理解した体で曲を体内に取り込んだ。社員の気配がまだ気になる。もう少し、私一人でいられる空間を作るには時間がかかるか。

 本日の業務は、本のカバーデザインである。装丁、というそうだ、この職業の専門家がいると聞いた。私に回ってきた、ということはこの業界も飽和状態に行き着いたのだろう。同じ持ち回りでその人物にセンスにばかりたよった結果かが、現状の依頼である。打破が目的なんだ。しかし、奇抜なデザインははばかられるから、先鋭的と銘打って私の会社を前面に押し出す、批判の理由を先に抱えた、浅はかな提案。まったく意味がないではないか。カバーのデザインは本の内容との関連性が求められる文面が事業内容書に書かれていた。私はディスプレイでそれを読み込む。