コンテナガレージ

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夢が逃げた?夢から逃げた?3-4

 鈴木は運転席でこれまでの事件を振り返った。

 ありとあらゆる引き出しと、中身の見えない箱をひっくり返しても彼女と事件を結びつける証拠は発見されなかった。僅かながら可能性として残されていた、理知衣音の夫の事故が彼女の手によってもたらされたとの見識は見送られる。不来回生は事故死であり触井園京子の死亡推定時刻の彼女のアリバイは勤め先の同僚たちが証言しており疑いようはなかったのである。

 しかし、日井田美弥都の助言からなにかを思いついた熊田を追って彼女のマンションに急行すると彼女の息子がナイフを振り回していたのだ。室内には瀕死の彼女。駆けつけた時はかすかに生きていたが、自分たちにはどうすることも出来なかった。いつものことだ、悔やんだりはしない。次に進むためにはリセットと思い込みが必要である。立ち止まり、床に伏せて思い悩んだとしても答えが得られる保証はないのだ。歩みを止めれば、深みにはまって出てこられなくなる。

 彼女はなぜ命を絶ったのだろう、勝ち抜くための生活に疲弊したのか。いいや、そもそも競争的な環境に身を置いていたとは思えない。仕事は与えられた課程をコツコツとこなす部類に属する。独り身で将来に不安を抱えた末の強行だったのか。考えてどうなるというのだ。理由が知りたいのではない。事件を紐解きたいのだ。

 ぱちぱちと窓にぶつかる細かな雪音に嫌気が差して、ラジオをつけた。普段鈴木は音楽を聞かない。この仕事を始めてからは世間の流れを追うことをやめてしまった。重要度が変わったという意識もある。テレビだって毎週見ていた番組の存在もすっかり忘れていた。つまらなくなったわけではない、ステージが変わったのだ。必要なら面白いと思うならば見続ければいいのだし、もしかするとまた見たくなるかもしれない。

 ただ、ラジオの周波数は自然と覚えている。

 渋滞と天気が知りたいので、交通情報が聞けるAMにチューニング。渋滞に加えて、信号の赤、たっぷりとよそ見をする時間はある。

 丁寧と砕けた表現が入り混じった言葉遣いで女性が雪の情報を伝えた。「O市の管区内は夕方から明日朝にかけて暴風雪にみまわれるでしょう」。

 また国道は事故のために渋滞が二キロ続いている。鈴木はため息をついた。やりきれない気持ちを運転の爽快さで晴らそうとしたのはそもそもの間違いで、まっとうな刑事ならば不安定を野ざらしにはしない。

 渋滞にはまった鈴木は、ようやくO署にたどり着いた。

 熊田が部屋でくつろいでいる。種田の姿はない、彼女の姿勢のよさを表す椅子が、机と適度な距離を保っていた。まだ、理知衣音の息子に付き添っているのだろうか。あえて熊田には聞かないことにした。なんとなくではあるが、聞いてはいけない雰囲気が漂っていたからである。いたたまれない空気に鈴木は廊下に出て、喫煙室で一息入れた。戻るときに熊田の分のコーヒーも持参する。

「お疲れ様です」部屋には種田が帰っていた。

「おつかれ、あの子は?」

 「父方の両親に連絡を取りました。明日の午前中にはこちらへ来るそうです」

 「そうか、彼女、身寄りがないんだった。……なんでまた、ナイフなんか持ちだしたんだ?」鈴木が駆けつけた時には既に少年はナイフを手にしていて、それ以前の状況はまだ聞けずにいた。

 「それ、いただいてもよろしいですか?」種田が鈴木の手元を指さす。

 「どうぞ」鈴木は長い指に挟んだ二つの缶コーヒーを惜しみなく送り出す。一つは自分の分、もう一つが熊田の分だと考えていたが、予期しない種田の申し出を受けてしまう。ただ、不思議と怒りは湧いてこない。「熊田さんもどうぞ」

 「ああ、すまん」

 「それで?」おそらく半分ほどコーヒーを飲み干した種田に鈴木が先の質問の続きを訊いた。

 「玄関を開け、私達を見た途端に、部屋の中に走りだして、ナイフを手に戻ってきました。ナイフは綺麗な物で、自殺に使用されたものではないでしょう。少年は出て行くよういい、私達を廊下に押し出した所に鈴木さんが現れた」話し終えた種田は残りのコーヒーを飲んだ。ホッとした表情はすぐに取り払われて無表情に変わる。