「樫本さんの以前の勤め先は?」
「さあ、昔のことを話す子でもなかったし、会ったばかりの頃は十代だったから高校を卒業してすぐだと思います」
「会社はこの建物だけですか?」
「ええ、そうです」
「I市で彼女は午後十一時頃に亡くなる前日まで頻繁に目撃されていたのですが、仕事関連で出歩いていた、ということはあったでしょうか」
「話しても大丈夫かしら……」
「録音しておけば」壁から突き出た板の階段から男が下りてきた。
「多田さん、もしかして今日も徹夜の覚悟?」女性の口調が軽くなった。
「仕方ないだろう、一人欠けたら誰かが補わなくてはいけないんだ」
「刑事さんたち、事務所を調べても何も見つからないですよ。彼女のデスクはもともとありませんから」一階に降り立つときの着地で体操選手のように見せ付ける。
「ああ、申し送れました多田です、私も設立当時からの社員です」寝巻きのスウェットを身にまとう優雅さはダンサーを髣髴とさせる。後ろで束ねた髪と広めの額。「皆さん、何か飲まれますか。コーヒーでも」
「あら、ごめんなさい。ついうっかりしていて」わざとらしく女性はお客への対応の不備を詫びた。
「お気遣いなく、事情を窺えば帰ります」
キッチンに立つ多田が話す。「彼女。また姿を消したのかと、思ってましたよ」
「また、というのは?留学から戻っても出社していなかったのですか?」熊田が離れたアイランドキッチンの多田に尋ねた。
「留学は表向きの理由ですよ。社長の親戚にあたるんで優遇されているんだ。大学へ行かないで就職したいが、英語は学んでおきたい、世間のかっこよさに魅せられる年代特有の浮かれに、社長が手を貸した。月々の給料も支払われて優雅な海外生活を送っていたんですよ」
「解雇されないのは、会社に多大な貢献をもたらすから」種田はまっすぐ多田を見つめ、よく通る低音で発言した。女性は種田を幽霊でも見るかのように注視。
「そう。ご名答。刑事さんともなると話は早いですね。頭の固いクライアントとはいつも仕事とはいえ、付き合っていると処理速度の遅さに辟易、こっちも鈍くなりそうで……」
「解雇されない理由を教えてください」