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ROTATING SKY 1-2

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「起きてってば、ねえ、ねえったら、朝だよ」灰都は息を吸う。「七時二十分!」

 頭が痛い。理知衣音は居間でそのまま寝てしまったようだ。灰都が仕度を完了させ、ランドセルを背負っている。

「何時?」

「七時二十分、ねえ、僕は大丈夫だけど、お母さん仕事に遅れちゃうよ」灰都は重たいランドセルを揺らして、手際よく空のビール缶をゴミ箱に捨てる。

 理知はやっと目が覚めた、じわりと現実を噛み締める。緊張が全身を駆け抜けると一気に意識が覚醒。「灰都ごめん、食パンを食べてて」

「もう食べてるよ」牛乳とコップ、六斤入りの食パンを抱えて理知が寝ていた座卓にちょこんと座る。理知はバタバタと洗面所で髪型を整えて、クローゼットに走りシャツとセーターを着て、細身の黒のパンツを履く。上着のコートもそこで着てしまう。バッグに携帯を財布を確認して放り込み、リビングの掛け時計を注視。七時三十二分。いつもは四十分には家を出ていた。なんとか、朝食にはありつけそうだと、灰都の横に座り、気持ち程度に化粧を施してパンを頬張る。灰都はいつもより遅れて家を出るつもりだろう、この時間でも余裕を持って学校には到着する。早く学校に行くのは、体育館で朝の早い時間帯にサッカーで遊べるからだそうだ。ボールが危なくて休み時間中のサッカーは禁止になっているのだ。

 灰都は登校時間に合わせ朝食を平らげると、仏壇に手を合わせた。プラスチック製のプレートを台所に運んで行ってきますの挨拶。玄関先に座って靴を履く姿にいってらっしゃい、と挨拶を返した。ドアが閉まると部屋が静まり返る。

 一人でいること慣れたのはいつからだろうか。

 あの人と一緒になってから、いいやもっと前、付き合いだした頃か。寂しさとは違う不安がまとわりついて離れなくなる私にそっと手を差し伸べてくれたあの人だった。姿を見なくなって思い出さないようにしていた私が襲われてる。気に留めなければ、なんてことのない現象で、誰にだって訪れる。だから、極力付き合わないように心がけている。しかし、それでもたまに不意に心の隙間をついて、奇襲を企ててくるのだ。 

 時間を忘れている自分がいた。七時四十分を過ぎている。慌ててバッグを掴み、パンを冷蔵庫に押し込んでバタバタと家を出た。

 外は空気の冷たさが雪の居場所を凌駕して勇んで世界を凍らせようと企んでいるみたい。灰都は無事に学校へ行っただろうか。いつもなら心配しない息子の安否に敏感にセンサーが反応してしまう。エレベーターを降りて、マンション前の駐車場で車に積もった雪を払い落とす。マンションの住民に挨拶。いつもの顔である。何階に住んでいるかは知らないけど、スーツ姿でコートを身にまとった営業マン風の男性がコンパクトな乗用車に乗り込んで走り去った。ゴミ捨ての主婦とも声を掛け合う。忘れていた今日は燃えるゴミの日だ。次は忘れないようにと頭に刻む理知である。

 彼女は食品加工の工場に勤めている。勤続九年目になる。そこであの人と知り合ったのだ。冷えた車内、雪を払うほんの僅かの間にエンジンをかけて暖気、なんとか手先の冷たさを我慢すれば運転が可能な室温まで回復したようだ。理知は車を走らせて二十分で会社に到着した。混んでいるかと思われた道路も事故もなく、予測の範囲内の所要時間だった。工場はO市内の郊外、住宅地の一角で営んでいる里有食品という、主に魚介類を加工する食品工場で、創業はつい昨年、五十周年でその記念を催していた。一般の社員はあまり関係がないが、一応会社の記念ということもあり、新年会や忘年会と同種の強制型参加行事が開催された。社員数はおおよそ五十人程度で、その他はパートが会社を支えている格好だ。営業や事務は私の所属する加工技術者とは接する機会がなく、新規の仕事や加工品の成形の変更など事務的な伝達がほとんどで休憩時間に顔を合わせることもない。それらのやり取りも上司とコミュニケーションで図られるのであって、私は指示された仕事を黙々と淡々とこなすだけなのである。