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がちがち、バラバラ 4-3

 

 三神はこれまで、シリーズ物を書いたことがなかった。こういった物語を書く上ではまず、短期的な出力が必要で、読者を飽きさせないために、短いスパンの継続的な作品発表が求められる。遅れては、誰もついては来ない。来月も発行されるというだけで、読者の期待はふくらみ生活に張りを持たせ、息を深く吸え、潜っていられる。読書は息継ぎで世俗は水中なのだ。だから、定期的な酸素、それも良質でとっぴな発想の期待を超える、物を生み出すベースが必須の条件。だが、それらを提供する土台が私にはまだ出来上がっていない。自信のなさからではなくて、客観的な意見のつもりだ。もしも、不足部分を補い、平行作業で執筆を始めれば、生活スタイルの全面的な改変を余儀なくされる。うん。私は今の生活を変えたくはなかったのだろう。本心は、現状に満足はしていないまでもこの底辺の作家業は性にあっている。ほぼ特定の人物との仕事上の交際も数時間、長くても数日で開放されてしまう、世間とはそりが合わない私には最適な距離感なのだ。これがもし忙しくなると、おそらくは関わりあう人物が増え、その分トラブルも比例して増加する。しかし、そういった私の思惑とは裏腹に、こういった種々の改善は、彼女の提案を受け入れたことにより、見事にすり抜けられた。振り返ってみても、仕事量は倍以上に膨らんだが、おかしなことに執筆のスピードは変わらずにこれまでの速度を維持できていたし、仕事の関係者は増えるどころか極端に淘汰され、初対面の不都合さは徐々に解消されていった。そこで私は改めて作家としての生活を見直す。覚悟と自覚が不思議と湧き出し、不必要な時間を割いた。テレビは録画だけを見る、掃除、食事、風呂、洗顔、身支度などは時間を決めて行動。余剰時間を体感、いかにこれらの行動が無駄であるかを肌で感じたのだ。だけれども、反対にまったく無意味な時間もあえて設けた。創作のヒントは、PCを離れた場所でいつも生まれる。ただし、無理に記憶にとどめようとはしないで、ぼんやりとおぼえておくぐらい。すると、創作に戻ったときにクリアな頭でいられるのだ。彼女に出会ってからは、いいことずくめであった。