「なにもありません」額の汗を拭い種田がもう証拠品の捜索は必要ないと訴える。全身にはじっとりと気持ちの悪い汗を掻いていた。
「そうだな、もう体裁はこのぐらいで終わるだろう」熊田の言葉どおりに、2人が道路の歩道を分ける白線の内側の段差に腰を掛けると、ぞろぞろと曇ってきた空を見越すかのように制服の捜査員たちがバンに乗り込んでいく。数台に分けて車は現場を出た。別部署の現場での最高責任者が熊田に捜索の終了を告げた。誰に何を言われたとはなにもいわない。ただ、そういった命令が下っただけで私はそれに従っただけだと言いたげだった。
現場の保存は最小限に制限されて、見張りの制服警官が2名と熊田たちだけになった午後、鈴木からの連絡である。
「お疲れ様です。クリニックで変な噂を耳にしました」
「なんだ?」ネクタイを緩めて熊田は話す。種田は上空の流れの早い雲に焦点を合わせていた。
「被害者の勤め先の同僚である歯科助手の女性が一度、仕事帰りに被害者を見たと言うんです」
「だから?」
「はい、すいません。その女性が言うには、被害者が紳士服の店に入っていくのを見たと証言したんです」
「店の営業時間は何時までだ?」
「9時です」
「そんな遅い時間まで開いている店なんてあるだろうか?」
「えっ?」
「紳士服の店に被害者が入っていくのを見たのは確かかもしれないが、それが仕事終わりだと言うのは疑わしいな」
「シフトの関係で仕事終わりまでいなかったのではないでしょうか。仕事は午後の途中までとか」
「噂を耳にしたとお前は言ったな?」
「はい」
「最初に歯科助手の証言だとどうして言わなかった?」
「ええと、それは他にも被害者の目撃談があったので」
「同じように紳士服の店に入っていったと?」
「いえ、そうではなくて一人はそのカーショップで見かけて、男性用の下着コーナーで見た人もいました」
「で?」
「後半の証言は被害者が自殺や事故ではなく、警察が調べているから殺されたのではないかと情報が伝わったために、ありもしない、もしかしたら見間違いかもしれない程度証言で、思い出せないぐらい過去の被害者目撃の記憶を、捏造とはまではいきませんが、いいように作り変えた可能性を感じたので噂といいました」