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空気には粘りがある2-2

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 デンタル・ゼロ。

 エレベーターの扉が開くと、すでにそこは会社である。社名のとおりに被害者の勤め先は歯科医院である。曲線を帯びたウッド調のカウンターから二つの小さい顔が見えている。室内にはかすかに聞こえる程度の音楽が流れていた。

 「すいません、こちらで早手亜矢子さんが働いていると思うのですが」

 「……あの、今日はお休みでして、失礼ですがそちら様は……」隣の似たような顔の同僚と視線を交わしてから伺うように言葉を続ける。鈴木は立ち込め始めた不穏な空気を即座に取り除く、とっておきの、伝家の宝刀・警察手帳を掲げた。受付嬢の表情は明るくそして影をつける。「早手さんに何かあったんですか?」治療を待つ患者に聞こえないように小声で問いかける。待合室はエレベーターの正面に位置する。奥は窓に面し、両サイドは壁と、腰までの高さの真っ白な本棚で遮られている。

その上部は刷りガラスだ。ガラスの隣はカウンセリングスペースが設けられていて患者側に二脚の椅子、テーブルを挟んだ奥に医者の席と角度のキツイpcのモニター。待合室の端の位置からだと受付の様子は丸見えである。

 「大きな声を出さないようにお願いします」鈴木は二人に前置きのクッションを入れて話した。「実は、昨晩にお亡くなりなりました」エッと息を呑む二人の声が瞬間に劈いた。幸いにも、こちらの伺っている者はいない。

 「亡くなったって、どうして?」もう一人は、口を押さえて呼吸もやっとの状態だ。そのとき、エレベーターから患者が現れると受付に診察カードを置き、待合室へ。一度目が合ったがすぐにそらされた。

 「詳しくは申し上げられません。まだ捜査の段階なので」

 「捜査って、事件に巻き込まれたんですか?」 

 「いや、ですから、事故なのか事件なのかも詳しくはわかっていません。今日は彼女も出勤の予定でしたか?」相手からの言葉攻めに対抗してこちらから話を振る。受付嬢の一人は割りと気丈に振舞って、正義感を持ち合わせているようだ。もう片方は、いつの間か取り出したハンカチで化粧が落ちないように器用に、涙を拭いていた。化粧に気を使う余裕はあるらしい。

 「そうです、今日は私本当はお休みだったんだけれど、急遽出勤してきたんです」鈴木に慣れたのか、興奮したのか受付嬢の口調は多少フランクに友達との会話に語尾だけをですます調に変換した話し方に切り替わった。

 「早手さんは、昨日は出勤していましたか?」

 「はい。一緒にここを出たのが9時半ぐらいです」都心部に歯科医院は客のニーズに合わせて営業時間も他と比較すれば長い部類に入るだろう。

 「早手さんの自宅に行かれたことはありますか?」今度は隣で泣いている受付嬢にも言葉を振るが返ってくるのは一人からだけである。

 「知らないです。あまり、親しくはないですね。会社以外でわざわざ休みの日に会うなんてこともないですし。ねえ」同意を求めて隣には話を振るが話を振られた方は感情を抑えきれないでいる。

 近くで生きている人は突然に、いまのように亡くなりはしないと思っているのだろう。鈴木は刑事だから特別に死に対しては鈍感でいられる。しかし、それは鈴木に自身に備わっていた機能であり、結果として選んだ職業に適合したためにアイスマンと揶揄された性質が肯定的に捉えられた。

 悲しくて泣くと感情が豊かだと言われる。はたしてそうだろうか。

 たとえ家族であっても自分ではないのだ。鈴木は、自分の考えを人に話したことはなかった。取り立てて言うべき内容でもないと思えていたし、また理解を求めてもいない。他の別の、違う、異なった考えがあってもそれはそれなのだ。判断も詮索も決定もレッテルもない。ただの人の意見でしかない。

 こう思うとまた、変だといわれそう。言ってもいいが言わない方が世の中をうまく泳げる。どうして自分の事を話さないのかと問われても、周りが理解を求めなくなれば、おのずと話すだろう。話して欲しいのはあなたが話したいからだ。自分がぺらぺらとしゃべる様にいくらかの罪悪感を抱いているのに。